山行: 1992〜2001 2002 2003

2001.12/1 鎌ヶ岳 三重県鈴鹿 
一ノ谷茶屋から武平峠経由で鎌ヶ岳へ、帰路は長石谷を下る。
紅葉の時期には多くの人々が訪れ賑わった時期が本当に在ったのかと思わせるような、静けさだけが残っていた。既に晩秋の山は色が落ち、地表の土や岩肌そして落葉と木々の幹で山全体の色を作っている。
小鳥のさえずりは消え、沢の清流からはせせらぎだけが聞こえた。谷の底には冷たい空気が漂い、枯れ木のように立っているブナ林の中には、僅かに射しこむ木漏れ日だけが暖かく煌めいていた。
華やかさは無く、地味で、人の気配が全く感じられない物静かな山中は人生の終盤を迎えた大人としての落ち着きと、本来の自分を有るがままに見せているような雰囲気が漂っていて、心のやすらぎを感じさせてくれた。
やがて来る自分の一生もこのようなものかも知れない。

2001.9/22-24 新穂高温泉>鏡ヶ池>弓折岳>笠ヶ岳 

ウォルターウエストンは布教のため宣教師としてイギリスから来日しました 。しかし、日本の山々の美しさに魅せられアルピニストとなってしまった。その心境が分かるような、穂高連峰の雄姿を魅せ付けられました。
常念岳もそうであるように、あくまで舞台の中の穂高連峰という主役を観光させてくれる物見台として鎮座していて、槍ヶ岳のような自己主張の強い山ではない。しかしながら、中部山岳地帯をを中心に富士山から薬師岳、立山連峰、白山、御岳、木曽駒までの眺望を可能にしているということは特等席に値する山である。

2001.7/22 南アルプス 仙丈ヶ岳(3033m)
21日北沢峠でキャンプし22日早朝から約10時間の行程でした。
仙丈ケ岳はジェネラルでキャパシティのある第1級の山だなと感じました。容量の大きさ、懐の深さ、視野の広さを兼ね備え、全てのものを受け入れている、総合力のある山です。人で例えれば、どんなことに直面しても動じることなく、当たり前のように受け入れ消化してしまう太っ腹な人がいますが、そんな包容力のあるイメージでした。登り惚れしました。

2001.7/15 四国徳島県:剣山(1955m)

最近は百名山を駆け抜けるように、登山ができる時代になった。アクセス道路と車のお陰である。しかしながら奥深い霊山に辿り着くには、ゆっくりとStep by Stepでアプローチすることが重要であるような気がする。
その長い過程を通して色んなことを知り学ぶことで煩悩が拭われ、自分自身が見えてくる。 今の人間社会、色んな意味で本質から逸脱している。アクセスやアプローチにはもっと時間を掛けることが、大切なのではないだろうか。

2001.7/14 四国愛媛県:石鎚山(1982m)

車で2時間以上もかかる奥深い山中にはスリーシーズンが共存していた。自然の中で鶯(うぐいす)や蜩(ひぐらし)が鳴き争っている。植物達は日光と水分を独り占めし 、生き生きとした緑が幾重にも連なる山々を覆い尽くしている。
その逞しさと共に70歳台のグランドシニア―達が大勢いた。私達でさえも登頂までに3時間もかかり息切れしてしまう。信仰のためなのか、山の霊に魅せられたのか、自らへの挑戦なのか分からないが、幾つになっても自分を信じて挑戦している人々の強い意志が、その姿から感じとれた。
登山道には生き生きとした人達が幾重にも連なって続いていた。  

2001年、平成13年5月25日22:30に名古屋を出発し、
26日早朝から鳥取県の伯耆大山(1711m)へ登山。
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■2000/11/26 大正池から穂高連峰

 
2000 9/20,21 岳沢から前穂高岳への登頂断念!




 
■2000.8 恵那山





 

■2000.7 御嶽山


 

■2000.5/4 寧比曽岳に登山





 

■2000.4/30 滋賀県、霊仙山に登山
深田久弥が選んだ日本百名山を123日で踏破した。
登山家の重廣恒夫さん(私とは同郷で同期)と登ってきました。



 
■2000.4/16 蛇峠山
昨日の寒波で、近くの恵那山は霧氷で真っ白です。
後方には中央アルプス、
2000m以上の山々には残雪が白く輝いています。

■1999/08/01 西穂高岳山頂 2909m
新井さんとWifeも

 



新穂高ロープウェイより


 


 


■1998.9月 白山
  登山の想い出を語る
 
■1997.2月 八ヶ岳 天狗岳

 
■1996.8 表銀座コースの一部 常念岳-横通岳-東天井岳-大天井岳-燕岳

 
■1996.7月 乗鞍

 
■1995.10/7-8 涸沢

 

■1992 奥穂高岳へ
涸沢カール


山頂は寒さと霧で足元だけが見える状態だった

奥穂高登頂後、帰路の上高地で