山行: 2001 2002  2003

2002.10/12-13 乗鞍高原 
 先月から3度目の乗鞍高原である。乗鞍が持っている良さは、3000mを超える独立峰としての視界と、その裾野に広がる樹木や水源の豊富さである。
それが何者でも受け入れてしまうような懐の深さと穏やかさを感じさせる。
 しかし、今回は山に於ける季節の移り変わりの速さを痛切に感じた。13日の朝の外気は1.5℃で霜が一面に降りていた。動植物が生命を維持するには、太陽 と空気、土、水だと思っていたが、今回は気温を付け加えたいと思った。人は極めて狭い範囲の自然の中でしか生きていけない 、そんな気がした。

 ちょっとしたことで話かけたことから、一ノ瀬で日本写真家協会&日本植物学会の今井高嶺さん(60歳)夫妻と3人で2時間近く話をする機会があった。
1年のうち200日は車の中で生活と仕事をしているとのこと。既刊の作品や30年の間に撮った上高地の花や植物を中心にした写真集のオリジナルを見せてもらった。
 話しているうちに、ふと重森三玲のことを思い出しました。造園師であるが昭和の小堀遠州と言われた人です。
重森は「本業を伸ばし豊かにするには周辺を極めることです。それにより全てが1つになる」と言っています。
写真機の光学やフィルムとシャッターと時間のことも然ることながら、それだけに留まらず。植物の生態、環境、水、空気、季節、地域、など、関連する周辺の知識と取り組む姿勢には、正に重森の言葉そのものがあり、プロと趣味の違いを痛切に感じました。
 この年になって、まだ自分には時間を忘れて脇目も振らずに取り組みべき目標がみつからず考えあぐね、根無し草のように浮遊し、ずるずると日々の時間を過していると思う日になってしまった。
<関連しそうなので追記した>
NHK:プロジェクトX「運命のゴビ砂漠」〜人生を変えた三百万本のポプラ〜
http://www.nhk.or.jp/projectx/k/99.htm
人間、自分の年齢の所為や、他人の所為にして、何もせず浮遊しているのは自分への甘えからだな。

2002.09/21-23 蓼科山 
茅野市辺りから北方左手にドングリのような形をした独立峰の山が見える。蓼科山2530mである。
遠くから眺めていると、縞枯れ現象と高山植物の緑が織り成す美しい色と形が女性的な魅力を想像させてしまう。しかし遠望とは異なり、女神茶屋からの直登3時間は結構キツイ登坂である。山頂は球場のようで、その中に黒 灰色の火山岩がごろごろ転がっているが、360度の大展望は天下一品である。
富士山もそうであるが、遠方から眺めていても山自身が持っている個性と品格を感じさせ、逆に山と共に居るときは遠くの山々を展望させてくれるだけの視点の高さを持ち併せている。
孤高の独立峰だけが持っている魅力の一つである。(山も人も同じだ)
穂高連峰> <浅間山> <八ヶ岳

2002.09/14-16上高地 徳本峠、徳沢園
天気がよければ前穂に登りたいと考えながら2年ぶりに入ってきた。生憎の曇りと雨模様だ。
ここの魅力は、真正面に立ちはだかる穂高連峰や明神岳と後方から迫ってくる霞沢岳と六百山の高さと大きさによる圧倒感、その間を静かに流れる梓川の音と空間がつくりだす雰囲気、そして森林の色と静けさが全体の調和を作り上げ ている。
沢渡からの入山ルートができる前は島々から徳本峠越で上高地へ入っていた。ウエストンも、ここから穂高を見たのだろうと思い立ち徳本峠へと向った。確かに、このルートの方が安全であるが 梓川左岸の大正池や河童橋からの穂高の景観には及ばなかった。
徳沢から新村橋まで、川幅が広がった梓川を上っていくと、ひと気 が一気に減り涸沢や槍沢へ(から)の登山者が充実した顔をしながら目的地へと足早に黙々と歩いている。
登山を諦めたこともあって上高地上流部の自然観察をすることが出来た。山のことを書くときは山に入って書く、徳沢に宿泊し執筆した井上靖や新田次郎の気持ちが分かるような気がする。

現場に出向き、自らの目で観て、鼻で嗅いて、空気を吸って、手足で触れて、その場の人達と接点を持って、事実を捉えてくることで、初めて 本質が分かってくる。

2002.09/08 三重県鈴鹿国定公園 竜ヶ岳 1099m

鈴鹿山系は近江の琵琶湖と伊勢湾を分断するように関が原あたりから亀山へと南北に50kmぐらい延びている。 幾重にも重なる山並みが西から東へと移動する天候を拒んでいるようだ。
頂上一帯は樹木が無く数百メートル四方に1mぐらいの高さの熊笹が群生し、その中を三方からの登山道が2mくらいの幅で頂上へと伸びてきている。
眼下には桑名や四日市の町が広がり伊勢湾へと続いている。
この山並みが地元の人々に限りない恩恵をもたらしていることを窺い知ることは容易である。

2002.08/25-26 中央アルプス 空木岳 2864m
1365mにある駐車場から池谷尾根に沿って1200mの標高差を6時間かかって避難小屋泊り、写真は26日AM7時の山頂。今回は長女とヨークシャー・テリアが同伴した。
犬のことから書けば、私の健康管理を務めてくれる唯一の友である。既に2年と7ヶ月の付き合いがある。殆ど毎日1時間以上は、この友と東山界隈を歩く、おじさん一人が歩いていても誰一人声をかけてくる人はいないが、この友のお蔭で女学生から、おば、おじ様まで多くの人と知り合いになれた。(これ以上は又の機会に)
そんなことで、是非とも僕の好きな山に連れて行ってやりたかった。登山中は、疲れを知らない子供のように素直に喜びを体で表現しながら私達の間を繰り返し行き来していた。
長女も色々と考えることが多く紆余曲折を繰り返している。いつの日か外の世界へと目が向けば、自分の居場所も見つかるのではと思っているが親としては心安らかではない。
空木岳はモレーンによるカールを擁している木曽駒ヶ岳や宝剣岳と違って、観光客向けでない。寧ろ、隣の一般的な雑踏から少し離れて自分が持ち込んだ寝食に浸りながら、静かに上質な山の楽しみ方をしたい人にはお勧めだ。
ルート的に木曽駒高原を基点とした逆三角形の左辺を担っているため下山者や南下の縦走を楽しむ本格的な登山者が多い。標高2500mぐらいまでは植物が豊富に茂っていて木陰の中に登山道があるため、爽やかな風が心地よく、森林浴といった感じだった。

2002.08/10-11 木曽駒ヶ岳 2956m
写真は11日AM7時
1891年8月、ウォルター・ウェストンが木曽福島から登ったことを知っていたので、
伊那谷からのロープウェイは使わず、
木曽駒高原スキー場(1340m)から、Bコースの登山道を選択した。(ウエストンに近づきたかった)
夕刻の17:30分、7時間掛かって標高差1600mあった山頂へ、たどり着いた。
2800m位からは酸素も薄くなり、20Kgのリュックの重さも加わり、へとへとの状態になっていた。
何度も頂上の手前でテントを張ろうかと思ったことか。
尾根の南側から台風並みの強風(霧雨)と7℃の気温の中で、震えながらテントを張り終えたら、18:30分だった。
日没と共に気温は一気に下降し、真冬並の寒さと、終夜の強風でテントが飛ばされるのではないかと思いながら、うとうとした。
悪天候のため翌朝直ぐに下山したが、
無事、麓に下山してみると、体の中の毒素が一掃されたような爽快感が漂っていた。
くるまやで、信濃地鶏そばを食べたが、こんなに美味しいものかと思う程、体に染み入った。

ついつい頭の中だけで考えて、あれはこうだとか、これはああだとか偉そうに理屈ばかり言っている、日々の人間社会を離れ、
時に一人になって、自然界の中に浸ってみると、教えてもらえることがたくさんある。

山深い中で、たった一人しかない、自分という小さな存在を知り、
刻々と変化する自然現象の中で、かけらのような脆弱な自分を知り、
人生の縮図のような、上り下りのある悪路に足を奪われ、つまずき、滑り、転びそうになりながらでも、
一歩一歩と前へ踏み出すことの意義は、自分を信じ挑戦をする意欲に他ならない。
 

2002.08/04-05 北八ヶ岳周辺  
 4日:麦草峠、白駒池、高見石小屋
 5日:麦草峠、茶臼山、縞枯山、坪庭、五辻
今回は花を観察する会のメンバーに参加させてもらった。
ごく一部分の探索だけでは早計だが北八ヶ岳は火山群の上にシラビが群生している。
岩の上に根を張っているためか、どうしても自重を支えきれずに倒木した木が目立つ。
そして、雨量が適切に補われているためだろう、苔が岩肌に群生している。
視界が広がる展望からは中部山岳の殆どが見渡せ、自前の美しさも加わり多くの自然愛好家に好かれる所以が分かる。 
<Enter>

2002.05/05 大川入山 1907m 
今年初めての登山です。当に「目に青葉山ほととぎす初鰹」でした。
この時期の山々は新緑の青葉が色とりどりに山肌を覆い一面が緑色類になる。同時に負けじと野花が反対色で懸命に対抗している様は生き物の宿命のようなところを感じる。
赤や黄や白色の花を持つことだけで、同じ植物でありながら人間から寵愛を受け、雑草は惨い差別で伐採される。
この違いは何なのだろうかと考えたとき、ちょっとした色や形や匂いを持ち合わせていることではないかと思う。 人の生き様もそんなものかもしれない。
しかしながら役割提供として見たとき、緑は自然環境の広域な循環系の中で、資源や水分や生物の育成の場を提供してくれ、花は人に対する心の癒しを提供してくれている。
植物であれ生物であれ人間であれ、いずれにしても、一生の生き方として、この社会に何を提供しているかが重要なのだろう。