京都(11/6)
33年に一度の御開帳というので、これが最後だと思い、六波羅蜜寺の十一面観音立像と清水寺の御本尊十一面千手観音を観てきました。私自身は唯物論者ですから拝むということはしませんが、今から千数百年前の人が作った木造の仏像を観るためと、京都は人間の長い歴史の中で栄枯盛衰や喜怒哀楽を味わってきた人々が仏教や栄華を形(文化)として残してきたところであり、その背景となる人の肺腑を考えたかったこともあります。
 
まず演出が良くできている。奥まった薄暗いところに据えられ蝋燭の光だけに照らされている。近づき難い高所にあるため、どうしても仰ぎ見ることになる。
また、人は相手がいると、先ず顔を見る。どんな表情をしているのかと?やさしく微笑みかけてくれたり、怒られたり、睨まれたり・・・いろいろある。顔の中でも目を観るので(私は)、覗き込むと、書き込んだものから玉眼のものへと時代とともにリアルになってきている。平清盛坐像の目は平家物語に描かれている清盛の放漫さは全くなく、鋭く見据ている。やはり信者の心境に合せて多様性のある対応がされている様な気がする。
「諸外国のような宗教思想がなくなり、世間体とか世間の目と言うものに恥じも外聞もなくなっていく日本社会のなかで、その役割を担っていくものは、どのようになっていくのだろう」と感じた日でした。

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 ・「モノづくりの大切さ」と「研究と創造の精神」を本当に感じました。同時に繊維機械と自動車技術の変遷を目のあたりにして人間の英知の素晴らしさをも感じました。普段、表面的なことしか考えていないけれども、隠された所で多くの役割を持ったものがたくさん働いているから成り立っている。物事の本質を知るということは何ごとにおいても大切ですね。