旧海軍兵学校はイギリスのダートマス、アメリカのアナポリスとともに世界の3大兵学校として名をはせた。
現在は海上自衛隊の幹部候補生学校として使用されている。

日本海海戦時代活躍した東郷平八郎や山本権兵衛元帥の遺髪から、敗戦に至るまでの旧海軍の遺品が数多く展示されていました。

国のためだと洗脳し20代の若者を片道切符で戦場へと突撃させた指導者達と
父や母に先立ち死んで行く息子達が両親に宛てた遺書が同じ建物の中に展示してありましたが、
私は後者の方がより心を打ちました。
止めどもなく涙が出て仕方がありませんでした。
きっと私も息子達を持つ親になっていて、その当時の父親の気持ちが分かる年頃になっていたからでしょう。

日本が西欧諸国に追いつきたいと願う時代は建国のために多くの人が一丸となって、真面目に働きました。
しかし、いつからか驕りと過信が前面にでて、武士道とは掛け離れた不意打ち作戦を行い、
最後には人間の尊厳を無視して、知恵も技術も情報も無い、神頼みだけの作戦(?)でしか戦う事ができなかった日本軍を考えると。

高度成長した日本社会の中で、現在起きている様々な問題が当時と何ら変わっていないような気がしてなりません。

今回、案内していただいた高木 克さんに心よりお礼を申し上げます。 2000 8/10

左上の山が古鷹山、後方が幹部候補生学校

明治26年(1893)イギリスの建築家が設計監督し、レンガは1枚1枚を油紙に包みイギリスから輸入し、1枚が当時の職人の日当2日分に相当したそうです。

100年以上経っても、びくともしていません。
石や土の文化を持つ民族は100年先まで考えてプログラムするんでしょうね。
教育参考館

五省
1.至誠に悖るなかりしか
1.言行に恥ずるなかりしか
1.気力に缺くるなかりしか
1.努力に憾みなかりしか
1.不精に亘るなかりしか

やはり精神的な意味ばかリが強調されすぎていますね。
いつのまにか先入主となり、日本海海戦の成功談に終始し、次の戦略を考えられなかった。
物事2度と同じ事はなく、ましてや次の時代には全く違った要素が入ってくるものです。
新たな事へ切り替えができず、失敗を隠すことだけで改善したりすることができない民族なのかもしれません。
ハワイ真珠湾に突入した特殊潜航艇
昭和35年に真珠湾で発見されたものだそうです。
当時の最先端と思える物凄い技術が使われています。人間の知恵は素晴らしいと感心しました。

この戦争の勝敗を決めたものは航空戦力でした。更にレーダーが情報収集手段として、またコンピュターが原子爆弾開発のための計算機として使われだした。
いつの時代でも優れた人とサイエンスが勝敗を決めてしまいます。

21世紀はコンピュータ情報科学と分子生物学バイオ技術が先導役となってくるでしょう。
資源の無い日本は、上記2つと、英語力をトップレベルにしないと未来は無いでしょう。
戦艦「陸奥」の主砲

弾が40数キロkm先の山口県岩国市の錦帯橋まで飛ぶそうです。
しかし、最後に弾は重力加速度で垂直に落下するだけだそうです。
目標には命中しない筈です。

海中に落ちた弾の水しぶきが真上に上がっているのは、その為だと説明を受けました。
しかし、大切な人間の生命を軽視した物作りは、最後には負けます。

機銃掃射にあったゼロ戦闘機が一瞬で粉々になったとか聞いています。
パイロットの座席も薄ぺらい鉄板なので弾が貫通したそうです。
一方アメリカは分厚い鉄板なのでパイロットは助かり、パラシュートで脱出しました。
そのため新たなグラマン機で再度戦場へと向かう事ができました。

考え方が根本から違いますね。

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