1972(S47)年夏、スカイライン2000GTで北海道、羅臼まで走る

1971(S46)年給与が3万円代のときに80万円するスカイライン2000GTをローンで買った。
(早々に、こんな馬鹿なことをする同僚はいなかったが、名古屋だからできた)
会社の夏期休暇が5日連続でとれるようになった。

この2つの条件で、早速計画を立てて、今まで行ったことがない北海道へ行くことを思いついた。
一人では運転時間に無理があることと、費用がかかり過ぎるので片岡君と荒瀬君を誘った。
(当時こんな旅行をしたのは私が最初だ)
その後、何人かの人達が車を使った長距離旅行をするようになった。そう言う時代になったのだろう。


インターの近くにある、「あさくま」でハンバーグを食べて、夜9時頃、名古屋ICを出発
東名高速を徹夜で運転し、東京都内を抜けて、夜明けの頃、利根川を渡った。

八幡平が写っているので国道4号線の盛岡の辺だろう
月刊誌スキージャーナルなどで、春スキーの山として八幡平がよく紹介されていたので、寄道をしたかったが
今日の予定の十和田湖まではまだ遠かったので、諦めた


国道4号線を北上し、104号線から十和田湖へ着く
十和田湖国立公園協会
3人で代わる代わる徹夜で運転したが、さすがに疲れた、1200km位は走ったと思う
湖畔で宿をとる

翌日は、102号線で奥入瀬を観光し、奥入瀬渓流|青森県観光情報アプティネットaptinet
印象:奥入瀬は綺麗だった、「シューベルトの鱒(ます)」の風景にぴったりだな、と思った

八甲田山を山越えして、八甲田山 - Google 検索 、青森へ向かう
新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を読んでいたこと、登山やスキーが好きだったことで、八甲田に凄く興味があった
何年か後に、「八甲田山」の映画も観た
新田次郎 - Google 検索
余談
組織の中で働き、3年も過ぎて色々分かってきた頃、この本が考え方に凄い影響を与えた。また、後に観た映画も
軍隊(会社)に命令は必要不可欠だが
・規律ばかりを重視して柔軟性がないリーダ
・理論的に物事を考えられないリーダ
・物事に対する切り口が多角的でなく、多面的に処理することができないリーダ
・自然、山岳、登山、など、謂わば専門知識がなく、精神論的なことばかりを重視するリーダー
・想定できるリスクマネジメント力がないリーダ
・立場を守ろうとする保身とエゴegoismなリーダ
だと
部下は悲惨で、死を招いた
私の推測だけど、新田次郎は満州からの引揚者として見た、関東軍の有様をも含めていると思うのですが
後に、
藤原てい、藤原正彦の本も読んだ

山越えの山岳道路には冬用の15m近い竿が道路にそって立てられていてた
きっと大雪で埋まってしまった時の目印のためだろうと思った

青函連絡船で、函館へ渡る


国道5号線を北上し、大沼国定公園へ
まるごと大沼/大沼国定公園ガイド


昭和新山:しかし、よくこんな近くまで行ったよね
昭和新山 - Google 検索


支笏湖湖畔で 支笏湖 - Google 検索


オコタンペ湖:道路は舗装されたいなかった オコタンペ湖 - Google 検索


クラーク博士:「少年よ大志を抱け」よく聞かされた クラーク博士 - Google 検索


層雲峡、ロープウェイで登って大雪山を見たかったけど 層雲峡 - Google 検索


まさにアイヌ人と言っても通用するな


美幌峠から屈斜路湖を臨む
美幌峠から屈斜路湖の画像(1時間以内)


美幌峠から屈斜路湖を臨む。
美幌峠 - Wikipedia ここからの景観が北海道の中では一番雄大で良かった


晴れの摩周湖 摩周湖 - Google 検索
第一展望台から見た摩周湖の画像(1時間以内)


摩周湖第三展望台


阿寒湖 阿寒湖 - Google 検索
 

網走刑務所 網走刑務所 - Google 検索


知床五湖、後方は羅臼岳
知床五湖 - Google 検索   ▶ 知床旅情 - 加藤登紀子 - YouTube


ニセコの近く、後方は羊蹄山
ニセコ 羊蹄山 - Google 検索


小樽港のフェリー乗り場で
小樽港 - Google 検索


日本海フェリーで舞鶴へ
日本海フェリー - Google 検索

舞鶴から天橋立を見に行ったが、
北海道の雄大な景色を観た後だっただけに
これ何、という感じだった