1960(S35)〜1965(S40)年 中高生の頃、破天荒を好む

新しい学友ができて、色んな奴が居ると思うようになったし、人の個性も分かるようになった。
好きな女の子も意識するようになり色気もでてきた。
勉強はそこそこで単純に覚えることは苦手だったが、理屈で色んなことが分かっていた。

   ーーー高校生のころーーー

化学
高校2年生のときだったと思う夏休みが終わって直ぐ、突発的に学年一斉の化学の試験があった。
全員の成績結果が成績順に3〜40mぐらい廊下に貼り出された。(順にだんだん氏名が小さく書かれていた)
1番最初に自分の名前が大きく書かれ貼り出されたので、びっくりしたことを覚えている。

物理
物理は椅子の背もたれにもたれて、先生の顔を見ながら話を聞いているだけで楽しかった。
正解が出ないような時には、最後に指名されて答えていた。
特に電気やエネルギー、運動(重力)に関することが好きだったので、大学は電気工学へ行きたいと思っていた。

数学
学年で数学の試験があって、多分少数の生徒だけしか解けなかった難しい問題であったのだろう。
大学でたての若い女の先生(学科の違う)が、数学の先生から「その問題の解答はSに聞け」といわれたので、教えてくれと言ってきた。
他にも何人かいたが、黒板の前で順序良く分かり易く1つ1つ質問に答えながら解説した。
同時に、
人に教えることの難しさ
を感じた。
理由は簡単:
自分と考え方が違うこと、
理解力が同等ではないこと、
比喩が通用しないこと(共有できない事柄はX)

特に重要なことは
自分が喋って説明、解説しているだけではダメで、相手に喋らすこと、やらせることが重要であると感じた。
そのことは相手が何処まで分かっているかを確認できることと、相手も答えることで確信と自信が持てると感じたからだ。
このことは将来、本当に役立った。
(◎最近ではハーバード大のサンデル教授がやっているような、生徒との双方向Interactiveが本当の教育学習であると思う)
(×先生や講師が、一人気分良く、自己満足しテンションを上げて喋りまくっている。教えるという立場が分かっていない)

自分は暗記して、その場を済ませることは好まず(すぐ覚えられないし、すぐ忘れるので)
また、日常的なことをてきぱきとすることは苦手で、
時間はかかっても原理や原則、何故、如何してそうなったかの因果を追求することに興味があった。

ただ、生徒にも処理型と思考型がいたが、先生は処理型の生徒のほうを重宝していたし、先生も処理型が多かった。
(まあ、限られた時間の中で、決められた範囲のことを、こなすには、どうしても処理型になるし、
世の中の大半はルーチンワークの処理だし・・・。まあ、雇われ人間が成せる唯一の技なのかもしれない)
しかも試験問題は、どれだけ覚えているか、のような問題ばかりだった。

鮮明に覚えている良いことだけを書いたが良くないことも沢山あった。