うちの(たのしみ)を以って本とし、耳目を以って外の楽を得る媒(なかだち)としてその欲になやまされず、天地万物の景色のうるはしきを感ずればそのたのしみ限りなし。
この楽朝夕目のまへにみちみちて余りあり、これをたのしむ人は則すなわち山水月花の主となりて人に乞ひもとむるに及ばず、財もて買ふにあらざれば一銭をも費ついやさず、心にまかせてほしきままに用ふれども尽きず、常にわが物として領すれども人争はず。
何となれば山水風月の佳景は固もとより定れる主なければなり。
かく天地のうち窮きわまりなき楽を知りてたのしむ人は富貴ふうき奢おごり羨うらやまず、そのたのしみ富貴にまさればなり。
この楽を知らざる人はたのしむべき事常に目の前にみちみちて多けれど、その楽を知らざれば楽まず、世俗のたのしみはそのたのしみいまだやまざるにはやく我が身のくるしみとぞなれる、例えば味よき物を貪むさぼりてほしきままに飲み食へば始は快しといへどもやがて病起りて身のくるしみとなるがごとし。
凡およそ世俗のたのしみは心を迷はし身を損そこなひ人を苦ましむ。
君子のたのしみは迷まよいなくして心を養ふ。外物を以て言えば月花をめで山水を見風を吟じ鳥をうらやむ類たぐい、その楽淡ければ終日たのしめども身に禍わざわいなく人のとがめ神のいさむるわざにあらず。
このたのしみ貧賎にしても得やすく後の禍なし。
富貴の人はその奢り怠りにすさみてこのたのしみを知らず、貧賎の人はこの二の失なくして志だにあればこの楽を得易えやすし。

貝原益軒