今昔物語集 角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス」を読んで、
凄く気に入った文面で、感銘を受けたので、ここに掲載させてもらった。
 
 武士とはいっても、江戸時代の公務員化した侍と、頼信父子のつわもの(兵)とでは、ずいぶん性格が異なる。
江戸時代では、体系化された武士道を尊ぶことが使命とされたが、
源氏と平家が競合した平安末期では、武士道の理念よりも実践が重視された。

 つわものの共通認識は、殺戮を第一の仕事とするという点にある。
この点で、つわものは、貴族とも一般人とも、明確に一線を画した。
彼らは、日常の絶えざる武技の鍛錬を通じて、「つわものの心ばえ」を体得してゆく。

 つわものが一般庶民に異常な恐怖感を与えたことから、こんにちの暴力団になぞらえる歴史家もいるが、
間違いである。
暴力団は社会の裏面で暗躍するが、武士は社会の表通りを堂々と闊歩する。
武士は社会を主導するが、暴力団は社会に寄生するだけである。

 軍神といわれた八幡太郎義家は、頼義の長男、頼信の孫である。
この三代で、関東から平家の勢力を追い払い、源氏の強固な地盤を築いた。

 鎌倉幕府を開いた頼朝も、この頼信父子の直系の子孫にあたる。
頼朝をたんに英明な政治家と評価するのも、やはり間違いである。
彼もまた、弓矢にかけては百発百中の腕前であり、鎌倉を出ると弓矢を手元から話さなかったので、
部下はいつもびくびくしていたという。
つわものの武士の鑑なのである。

 武士たるものは、武技をもって部下を制する力量がなくてはならない。
そうした時代の武士の精神は、後世の武士道に比べると、驚くほど現実的で、柔軟かつ強靭である。


源平の合作だった軍神ーーー八幡太郎義家
 源氏、平家の名を聞くと、源平合戦という先入観にふりまわされ、いつも喧嘩ばかりする犬猿の仲と思いこみがちだ。

 しかし、両者は初めから不仲なライバルだったのではない。
絶好の証拠例とも言えるのが、軍神と崇められた八幡太郎こと源義家である。
彼の父は源頼義、母は平直方の娘で、いわば源平両氏の共存共栄を約束する期待の星だった。
つまり源義家は平直方の外孫にあたる。

 源頼義は父頼信とともに平忠常の乱を鎮圧した名将だが、はじめ鎮圧に失敗した直方が頼義の武勇にすっかり惚れこんで、娘婿にしたばかりか、自分の支配していた鎌倉の地まで譲ったという。

 この鎌倉に幕府を開いた頼朝は頼義、義家の直系の子孫、しかも直方は北条氏の祖とくれば、両者を結ぶ縁はじつに深い。
してみると、源氏が東国に政権を樹立した背景には、平家の多大なる貢献があったわけだ。
後の源平争乱を思えば、少々皮肉な運命ではあるが。

 平忠常の乱はもちろん、平将門の乱、前九年、後三年の役など、源氏と平家をめぐるさまざまな説話を、『今昔物語集』の編者はていねいに収集して、特に一巻を割り当てた。
巻第二十五がそれであり、編者が非常な関心を源平の兵(つわもの)に寄せていることがわかる。

・頼朝に至る系譜を単線的に示した
清和天皇ー貞純親王ー経基ー満仲ー頼信頼義
                    |ー義家
ー義親ー為義ー義朝ー頼朝
      北条氏 ー ー ー 平直方の娘

源義家 系図 - Google 検索