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12/22 プリスカ・モロツィ ジャズ・クリスマス 2001.12/22
南アフリカ ザンビア生まれ。南山や中京大学で教鞭をとり、夜はジャズシンガーとして活躍する。
まず、映画「ボディーガード」に出演したホイットニー・ヒューストンを思い出す。
引っ込み思案の多い日本人とは対照的な人柄を感じさせる。自分の得意技を持って日本という国に来て自分を出し切って、精一杯自らも楽しみながら観客を魅了させていく踊りと、リズム感、更に小さな身体からは想像を絶する溢れ出る声量。教職とシンガーとしてどちらも一流、そんな印象を受けた。
有りのままの自分を出し切ってプレゼンテーションすることは難しいのかもしれないが日本人が今後一番必要で大事なことのような気がしました。

11/20 LEONARDO DA VINCI の白貂を抱く貴婦人と チャルトリスキ・コレクション展
松坂屋美術館 2001.11/20
1490年頃レオナルドが描いたということでは一見の価値はあるかもしれない。
13世紀ごろまでの西欧社会は聖職者達による支配下の中で、「神に逆らった現世の行い は死後地獄へ落ちてしまう」と言い含められ自由行動を抑圧されていた。 更に、「自らの考えで行動することは神への反逆である」と信じこまされていた。(ひょっとするとルネサンスを織田信長は聞いていたのかもしれない)
それは、日本が大戦当時掲げていた「大儀」のような社会であったのではないかと推察している。
そのような思想が180度転換したのがルネッサンスである。
自らの知恵と勇気と才能を身に持った極々一部の天才達にとっては自由に表現でき素晴らしい時代ではあるが、そうではない殆どの凡庸な人々には 、信じるものや与えられていた指針が無くなるだけにカオスの時代となるのかもしれない。
いずれにしても、何年経っても人間は繰り返してばかりで少しも成長していないなぁーと言うのが実感であった。

11/16 北斎と広重 浮世絵にみる日本の情景
名都美術館 2001.11/16
図柄で表現する遠近の上手さには感心します。情景の中でも一番強調したい部分は派手に露骨に、これでもかというように前面に出しています。まさに天才の成せる技 ですね。
全くの余談になるし、これだけで語れるものではないのですが、風景の中から窺われる日本の1800年前後は籠担ぎで、馬車と言う所謂、車輪を利用した文明は無かったのだろうかと驚く。ベンハー やグラディエーターの映画にも出てくる4頭立ての馬車の競技がローマ時代に在ったことを思えば 、日本は道具を使う発想が希薄だったのかもしれない。
また、沿岸に帆掛け舟はあるにせよ。海洋遠く外へ出て行くことを考えなかったのだろうかと思う。既に300年前にはコロンブスがアメリカ大陸を発見している。
やはり、日本人は内輪の中であーだ、こーだと言って議論ばかり重ねてばかりいて、いっこうに一歩前に踏み出せない民族なのかもしれない。
しかしながら、インダス文明のころから民族や宗教やイデオロギーなどの権力争いや軋轢に終始し、国の発展や豊かさを 導くまでに至らない民族国家が今も存在していることを思えば 、日本はまだましな民族ではある。

09/10 高句麗今昔を描く 平山郁夫展
平山さんの本画を観ていると、構成や色合いなど、全体からは人間が生きるために必要だった造形物と山野の自然とが共生していて、然もその中に長い歴史が窺われ、好きだ。
人間が誕生し、生きてきた故郷の情景を思い出さしてくれる。
自然体で無理がなく、今そこに自分が居るような雰囲気をも感じさせてくれる。
www.hirayama-museum.or.jp/

08/8 ロダンと日本 愛知県美術館
人は普段、落ち着いて物事を考え、冷静な判断をして行動したりコミュニケーションをしている。しかし、状況が一変したとき冷静さと落ち着きを失わないで 、判断の明晰さや沈着な姿勢がとれる人は少ない。
また、人は生を受けたときから避けることができない生老病死の苦しみを背負って一生を終わる。
古代の彫刻のように、美しさや権威を象徴させるような肖像ではなくて、ロダンは、ただならぬ状況における人間の表情や態度をブロンズや大理石の像に表現したかったのではと感じた。
また、死に直面する「花子」の形相に観られるような、人間の最後の表情をいかに形にするかが残っていたのかも知れない。
しかしながらロダンは、現世を生きた全ての人間は何らかの理由で「地獄の門」を潜らなければならないのだと考え、その時の苦悩を集大成として表現 したかったにちがいない。

08/2 春日井市道風記念館
小野道風の名前は知っていたが春日井市の出身で、それで書の町になっていたとは。柳に跳びつく蛙を傘をさしてじっと見て、何事も努力すれば成し遂げることができるという話も聞いたことがあるが忘れてしまっていた。
人間の五感を通して動きや音や形に美しさを感じるとき、対象は「無駄な部分がない」、「無駄な部分を削ぎ落とし残った」ものだと思っている。それはスポーツや言葉や音楽や様々な造形にも共通している。
書でも同じことが言えると思った。

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