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英国ロマン主義絵画展   松坂屋美術館 2002.11/8

1800−1950年に描かれたものだけに歴史の変遷を感じさせる。100年以上前の風景は当時の様子が伺われ、産業革命ころの蒸気機関による機械化、石炭の煤煙やスモッグ、田舎の長閑さなどが描かれている。この頃の風景から現在を思うと、人類の近代化への躍進は驚異的だとも感じる。何処まで進むのかは分からないけれども、新たなことを色々体験できる、本当にいい時代を生きていると思った。

グレートジャーニー 写真家・探検家・医師 関野吉晴
2002.8/16松坂屋特設会場

いろんな写真展や写真集を観てきたが、これは凄い!というのが一番の印象である。
それは、地球上の大陸、海や川などが持つ自然の厳しさと過酷さを捉えながら、その環境の中で自然と共生し、自分たちに適合した衣食住を見出し、文化や習慣そして価値観を持って生きている人類の逞しさと多様性を撮っているからだ。

私が居る日本、その様式は殆ど欧米のコピーである。何処へ行っても大体同じものを食い、同じような生活習慣を持ち、資本主義社会の組織構造の中で、働くことや、 稼ぐことや、どういう立場だとかなどなど ・・・これが社会の常識で当たり前だと思っている。
しかし、そうではない世界がまだまだ沢山あり、自然と共に、その地の特性を活かしながら生きている多様な民族が地球上には、まだ沢山いることを教えてくれた。
又、写真に写っている人々は、どう観ても我々の周りにいる東洋系の顔ばかりだ。アフリカから北西に向った西欧系の人々と比較した場合、何故このような違いが出てきたのか? ローマ時代 以降から、ポルトガル、スペイン、イギリスは航海に乗り出す技術、火薬を使った武器や兵器、戦術戦略にも優れ、世界中を植民地化した。モンゴロイドは辺境の地へと移動せざるを得なかったのか? 21世紀になった現在社会を見ても殆どが西欧様式で ある。衣食住、政治経済、製造、運搬、芸術、スポーツまでその根源は西欧である。出所は一つでも如何してこんなになったのか? ローマ史よりも更に遡った西欧の時代が知りたくなった。

関野さんは10年もかけて自らの脚力と腕力だけで人類の足跡を辿る探検をした。
それだけでなく、先人たちが何万年も前からしてきたであろう、自然と人との関係と、人間社会や人間同士の本来の姿を教えてくれた。
(書籍:「進歩」は人に何をもたらしたのか?)
このことから、化石燃料を使った利便性に享受している近代社会の仕組みが、このまま何時までも続くとは到底思えないことも感じました。
極端かもしれないが、この地球を如何に長持ちさせるか、若しくは先人が400万年前アフリカから第一歩を踏み出しグレートジャーニーしていったように、新たなる地球を求めて宇宙へと向かって飛び出して行くのか。
いつの日にか180度の大転換を迫られることになるだろうことも。

http://homepage1.nifty.com/timespace/GJnifty/index_j.html
 

白川義員 写真展 「世界百名山」
                                  JR名古屋高島屋 2002.6/5
写真にはアジア、中央アジア、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、南北アメリカの天候の安定したピークを、日光が織りなす様々な彩色 に輝く雄姿の瞬間を撮ている。
この海抜4千〜8千mm級の名山を海の水を取り除いて考えてみると、地球の マグマの上で波打っている絨毯がずれて重なった程度のことなのだろうが、大陸の移動による衝突でできた 、その事実をどうしても見たかった。そんなことを思っていた頃のことを下記に書いた。

37歳の夏、家族5人を連れて行き当たりばったりで、カナダのカルガリーからバンフ、ジャスパーそしてバンクバーまでの2000kmをレンタカーで走ったことがある。
このとき、太平洋プレートが北アメリカに衝突し、ロッキー山脈ができた事実を目で確認できた。スケールの大きさ、地球の長ーい歴史の中で自然が創りあげた現象、それらの自然の中で人々が共生している様などを感じた。
日本に居座っていて、あーだこうだと言って理屈ばかり言っていても理解できない、多くのことを知ることができた。
山は、入った人に自然の存在や自然とのかかわりの中で自分とは何で、如何いう状態で生きているのか、そして難しい判断や決断を要求し、挑戦や我慢、耐えること、待つことなど、色々なことを教えてくれる場所のような気がする。

北野天満宮神宝展 名古屋市博物館 2002.6/4
学生時代(30数年前)福岡で下宿をしていたので、大宰府天満宮へ友人たちと時々出かけたものである。その頃は学問の神様が奉ってあると言うことぐらいで、菅原道真の人生を 深く考えたことはなかった。
自分なりの人生を歩み思うことは、
時代の覇権の中で生きてゆくことは、その変化に翻弄されてしまうところがある。道真には才能があっただけに登用されもするが、嫉みを受けも したのだろう。
1100年前の昔のこととして考えても、道真が正論だっただけに後世からすれば、疚しさ(やましさ)が募ってきたにちがいない。
永田町あたりは政治家を肩書きに疚しさもないウジに成り果てた連中のニュースが今日も流れている。
なんとなく、人の一生の間には喜怒哀楽が山として在れば谷としても等しく与えられているような気がする。

http://www.kitanotenmangu.or.jp/
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/

モネ  睡蓮の世界 名古屋市美術館 2002.05/10

どの作品にも水面の色として紫色が使われている。モネは紫が好きだったのか、なにか意味があったのか、など詮索してみたくなってきた。
季節と天候と時間の中で移り変わる色の変化が作品一つ一つに表現されていて晩年のモネの心情が描かれているようだ。
印象派の画家としてフランスを代表する人だと思ったとき、下記のことを書きたくなった。
「芸術の都パリ」と世界から言わしめるようになった背景には、フランス人の芸術家だけに留めるのではなく、世界の才能ある芸術家 に門戸を開き、パリで切磋琢磨させることが芸術の発展に繋がり、ひいてはフランス芸術の地位を築くことになるとの考え方があって、政策がとられたと聞いた 。
簡単に言ってしまえば、排他することなき競争からの発展である。我が村(政党、省庁、企業、組織、会)さえ良ければいいというような考え方では、世界から認められることもないし、一流の人も集まらないし、 リーダーにもなれない。
近年の情けないニュースばかりの日本、絵画一つを観ても諸外国から学ぶべきこと、まだまだあるなあ、と思う日になった。

榊獏山 JR名古屋高島屋 2002.04/25

字が上手い人は書くときの流れができている人だと思っていました。
それはスポーツでも言えることで、相撲界で負け知らずだった北の湖が「勝敗は一つの流れです」と解説していたことも思い出しました。タイガーウッズのように一流の選手は無駄が無く美しいフォームをしている。 そんなことにも通ずるのだろうと思いながら鑑賞させて頂きました。
水彩画がまたまた上手い。
平山郁夫画伯のスケッチや水彩画を彷彿とさせるところがある。
60年にも及ぶ制作の中で、色んな思いがあったのであろうが、やはり「好きであった」ことと、「自然体で有るがままに流してきた」のだろうと推察した。
「花アルトキハ花ニ酔ヒ 風アルトキハ風ニ酔フ」 人柄が出ている。

片岡球子 画業80年 JR名古屋高島屋 2002.3/29

写真は「面構」シリーズの足利尊氏
私は絵画などの作品を鑑賞する場合、解説や評論などは読まず、先ずその作品を一通り自分の目で観ることで作者の思いや考え方、人物などを勝手に想像しながら拝見させてもら っています。

片岡さんは自信がある人だなと思いました。
自信がるあるので自分の意志で感じたことを、あるがままに表現し、更に個性を味方にしている。
やはり、自らの人生を人に頼ることなく自分の力で開拓し生きてきた、その自負心で描ききっている。対象となるものは大胆な線と繊細な文様で描かれ、予想もしないような色が塗り込まれている。
作品一つ一つに97歳になる彼女の生き方そのものが表現されていて観る者に勇気や活力を与えてくれる。

「顔は心の窓」 だと思っていて色んな会話の中で言ってきました。
それは相手の地位とか金持ちとか職業とかに関係なく、その人の顔を邪心なく素直な気持ちになって見ていると、心の中の状態が次第に見えてくるからです。
確かに、人は顔に出ますね、心構えが。人は心身の在り方や状態が次第に人格として顔に表れ、作られてくるからでしょう。
片岡さんが描いていらっしゃる「面構」シリーズは、正にその思いでいっしょでした。
90歳代までには、まだまだ。今から、「面構」のいい人生にしていきたいものです。

我が心の旅路 平山郁夫展
 名都美術館 2002.03/15

画伯の絵画を眺めていると、心が癒される思いがする。いつの日か父や母に手を繋がれながら子供の頃見た、故郷の風景でもあるような気持ちになる。
いつの日か、この地に行って、この情景の中に自らを置いてみたくもなる。それは、長い歴史の中で、先人達が自然と共に生きてきた心が今でも残っているにちがいないと、そんな気持ちにさせてしまうところがあるから だろう。

各作品から感じられたことは。
逆光の中でしか見ることのできない色彩が全体を包んでいること。
また、本来ならば裏側になってしまって見ることのできない、影の部分が光の屈折によって輪郭を形成し、それが大きな存在感となっていることである。
所謂、その風景の中にある光源が、対象となるものに光を浴びせるような構成になっているため、光の強さの中に隠れてしまいそうなものを 、逆に浮かび上がらせている。
普通ならば、表舞台でライムライトを浴びたもの、光に照らされたものを描く作品が多い中で、光の中に隠れて見落としてしまいそうな人達や造形物を 主役にして描き出している。
画家としての才能の素晴らしさもさることながら、人物として一流な視点がなくては対象を捉えることはできない。
それぞれの作品には画伯の心の深さ広さ優しさが滲み出ていた。
心の本質を感じ、気分のいい日にさせてもらった。
 

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