岳沢の一夜

昭和63年に涸沢から奥穂高岳へ。平成10年に新穂高温泉から西穂高岳へ。そして今年、岳沢から前穂高岳へ(このルートは本当に辛かった)。

<上高地から岳沢登山口>
昼ごろは沢渡から釜トンネル、大正池から河童橋へとバスやタクシーが先を争うようにしながらどんどんと客を運び込んでいる。人並みと騒々しさの中で上高地の自然が何処かへ追いやられていて、本来の自然の美しさを味わっている様子は殆ど窺われない。
河童橋を渡り、岳沢の登山口に入ると、一変して人気はなくなり森林の冷気が首筋から伝わり、沢からの川音が木々の間を屈折しながら聞こえ、苔の匂いを含んだ湿気が鼻から吸い込まれてきた。爽やかだ。

<登山道>
しかし、やがて額から汗が一滴落ち、心臓がマラソンをしている時のように烈しく打ちはじめ痛くなってきた。 酸素を補うために息遣いは激しくなりピッチを上げるがまったく効果がなく喘ぐばかりである。25kgあるリュックが肩に食い込み痛みを覚えだした。頭を垂れて一歩、そして一歩とゆっくり足を上げるが重く 登坂を拒んでいるようだ。すれ違う人と挨拶をするが相手の顔を頭を上げてまで見なくなり、やがて挨拶も億劫になりだした。終には小声になり喉が役割を放棄しだした。
如何して登るんだ、そんなにしてまで。もっと楽で面白いことが沢山あるじゃないか。頭までが自問自答しながら反抗しだした。

<テント場>
テントを張ってから、汗で濡れた下着や上着を全て着替え、スキー用の靴下1足を履き「ほかほか懐炉」を拇跡辺りへ留め、更に2足目を履いた。ズボンと厚手の上着にスキー用のセーター、そしてゴアテックスのヤッケ兼用雨具を上下着てから 、“おでん”を暖め、500mlのビールを飲みはじめる。

<夕闇>
正面を見ると焼岳が夕闇の中に真っ黒なシルエットを浮かべ、その上空には夜間飛行の点滅が音もなく移動している。左手には霞沢岳や六百山が空を遮るように立ちはだかり、右手には独標、西穂高岳、ジャンダルムの高嶺とした岩肌が続き、人を寄せ付けない迫力を感じさせている。目線を下ろすと上高地から大正池方面へと樹林の中を蛇行しながら月明かりに光っている梓川の水面と河岸が闇の中に浮かんでいる。
振り返って夜空を見上げながら北斗七星を探すが、垂直にそそり立つ屏風のような穂高連峰が空を狭め、今にも倒れかかって来るかのように迫っているため見つからない。奥穂高岳の急峻で黒々とした岩肌は何万年の時を不動のものにしてきた自信を感じさせながら今宵も月明かりを反射させている。

<静寂>
やがて今日の疲れに加え、“おでん”と “アルコール”が五臓六腑を満たし始めると、至福の感覚が次第に沁み込んで、日頃から鈍い脳の働きが更に低下しだし、同時に五感も歩調を合わせはじめてきた。
山間の狭い夜空から、人間の視界を薄明かりで照らしていた月光が、その姿を山稜に隠しだすと、辺りは急に冷え切った暗闇に変わり、やがて静寂だけが支配してきた。
−3℃まで耐えるシュラフに潜り込み、一人静かに横たわると、人間という厄介なものから、徐々に周辺に生えている草木と何ら変わらなくなり、やがて岩や砂と混じり合いだし、いつの間にか無感となって同化していった。

(人の一生も今日一日のようなものかもしれない)
2003 9/28 末岡利雄