紀行

旅に出れば神経が研ぎ澄まされ
鋭い感覚で物事を新鮮に見ることができる

紀行には発見や出会があり気分転換元気回復になる
老人が徘徊する気持分かるな


17.5/3水祝日 桑名市の七里の渡し跡

JR桑名駅に、お迎えあり、タクシーで

M氏の所で昼食をご馳走になる
いろいろあったが、桑名名物の蛤汁、
茹でそら豆、ふきの煮物が、実に旨かった
焼酎のハイボールもいいね

その後、市内を案内してもらいました
桑名市博物館
石取会館
桑名宗社(春日神社)
九華公園
柿安(無料コーヒーあり)
蟠龍櫓
七里の渡し跡
歌行燈句碑(泉鏡花)
諸戸氏庭園(一般公開中)
六華苑(以前行ったことがあるのでパス)
寺町商店街(桑名別院)
アピタ(2Fに美味しい珈琲店あり)
JR桑名駅

広域ではないが、旧東海道の街道であると共に
熱田神宮と伊勢神宮をつなぐ要衝でもある
尾張方面から伊勢への起点となる城下町だけあって
旅人が楽しめる文化が今も要所々々に残っていて
市民全体がそれを存続しようとしている気概を感じた

揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川と伊勢湾の入江奥に位置し
鈴鹿山系を背後に配しているだけに
豊富な衣食住材に恵まれ安定した藩であったに違いない

市内の雰囲気や市民の穏やかさ上品さは
お伊勢さまが、いつも心のどこかに居て
何らかの尊崇とか畏敬のようなものが
桑名の人々の生き様の中に育まれ
今も続いているからに違いない
熱田 七里の渡 写真

2016.11/04 文化のみち二葉館
近くて遠かった
市内にありながら
なかなか訪問する機会がなかった
文化の日の翌日だけあって静かでした

遠くて近きは男女の仲の諺のごとく
福沢桃介と川上貞奴の愛の館だった
電力事業王と
世界に名だたる女優の巣だけに
現代でも通用するモダンな様式である

この地域は徳川上級家臣の住まいだっただけに
今も落ち着いた町並みと、上質な住民が陣取っている

大学の工学部電気工学科で学び
学友たちの多くも九州電力や関連会社などに就いたりした
私は強電ではなく弱電に属するコンピュータ会社に就いたが
電力については何かにつけ興味があった

昔なるが
長野県南木曽にある福沢桃介記念館を見学したことがある (2013.8/1にも記載
そこで、貞奴さんの写真を見た 川上貞奴 - Google 検索
二人の寝室だったところに
今は、
城山三郎の書斎が復元されていた
真面目で実直な性格が書籍に溢れていたので
大好きな作家だった
今も私の書棚には十数冊の本が収まっている
「男子の本懐」、「雄気堂々」、「落日燃ゆ」、
「粗にして野だが卑ではない」など・・・
30歳のころ読んで感動した記憶が蘇ってきた

決して順風満帆ではなかっただろうが
持って生まれた裁量に相応しいことをして生きた3人に出会えて
私までが清々しい気持ちになった
 

 2016.10/18 久屋大通庭園フラリエ
いつも通過してばかりでしたが
今日は28度にもなる晴天と秋の草花、
ハロウィーンHalloweenの飾り棚ができていたので入園
しました(無料がいいね)


 2016.10/12 下呂温泉
いい日ドライブで国道41号線経由で下呂温泉へ
平日とはいえ、閑散とし、人通りなく
将来破綻する地方自治体などと言われている
典型的な様相を呈していました
(ま、金土日は賑わっているのかもしれませんが)

2016.10/04 三州街道をドライブ
いい日ドライブで飯田街道、三州街道を走り昼神温泉まで往復しました
写真は温泉の一番奥にある
十字屋可否茶館の前で
珈琲が美味しい
店主に何故ここで? > 水が良いから
飲み方は? > ブラックで、それからミルクを入れて、最後に砂糖を入れて
一杯のコーヒーから三種の味を堪能するのが良いとのこと

2016.07/20 蕉風発祥の地
意識するということは、興味が湧くということですね
灯台下暗しでしたが、足元を暑く照らしてくれました
今日、名古屋は34℃でしたが、行きました
今年は、古典文学を読み和歌に惹かれ

2016.04/12 八重桜
今年は古典文学を読むぞ、と決めて読書をしていたら
3/3に「道の古代」の講演会が中京大学であった
この2つのことで、一気に和歌と奈良の平城京の時代ことが頭のなかで駆け巡り、夢にも出てくるようになった。奈良は「和歌の都」でもあると思った


2014.11/20 徳川
2014.11/13 菊花大会
2014.10/18 赤崎記念研究館

2004までの紀行・講演など

訪問・探訪・講演 2003
持続可能なモビリティ社会の実現に向けて (2003.10/15)
〜先進的な自動車技術の現状と課題〜
トヨタ自動車株式会社 専務取締役 渡邉浩之

トヨタ自動車の”ものづくり”の一員としての誠実な人柄が講演を通して感じられたことが一番の印象である。
誤魔化しや無責任な考え方では物は作れない、そして世界中の人間社会の中で受け入れられ信頼される商品にしていくことはできない。
環境の問題、エネルギーの問題などモビリティ社会がかかえる問題は多岐に亘るが、日本人の英知と誠実さで取り組み、世界の冠たる先進技術国になることを願う。
ただ、年間10,000人もの交通事故死者がいて、100万件もの交通事故が発生している現状を考えると、交通事故回避のための先進技術開発の現状についても講演していただきたかった。
 
愛知サマーセミナー2003 (2003.7/19〜22)
多種多様に1000もの講座が開催された。印象に残った講座は、
スポーツと体−運動すると体はどうなるの?:湯浅景元 (中京大学体育学部・教師)
・だから戦争やテロが起きるのだ(バカの壁):養老孟司
伊達公子のいま=`驚き、感動、発見〜:伊達公子
でした。
その中でも、思い出される人は伊達公子さんです。世界のプロテニス界のランキング4位まで行った人だけに、一流の人間集団の中で学んだ多くのことを語ってくれた。当時シュテフィ・グラフは 世界の頂点に立ち記録と名声と富に恵まれた状態の中にいた。けれども、グラフは更に自らを鍛え妥協することもなく挑戦 していた。その心意気は何かを彼女なりに受け止め、我々に語ってくれた。スポーツを通して多くに人に影響を与えることの出来る人物だと感じた。
 
宇宙から見た水の惑星・地球 〜宇宙開発と地球環境〜  NASDA
講師:宇宙開発事業団 参事・スポークスマン 春山幸男
市民大学公開講演会 (2003.6/21)
1957年。山口県の山間の田舎に住んでいた。人類初のソ連の人工衛星スプートニクスが打ち上げられた事を聞いた。 どう言うことなのか余りピンとこなかった。10歳だった。教師をしていた父が「人工衛星の光が日本でも見られる」と言っていた。
今でもはっきり覚えていることがある、家族で食事をしていた時、何処からの情報か分からないが「人工衛星の光が見える」と言って妹を含めて家族で外へ飛び出た。 「それらしい光が見える」と父は興奮しながら夜空を見上げていた。私も夜空を見上げていたが「本当かな」と思っていた。父が箸を手に持ったまま裸足で飛び出 したので、母が笑いながら「箸ぐらい置いて来れば良いのに」言っていたのを覚えている。
1983年頃、会社から派遣されて大型コンピュータの勉強のためにPENNSYLVANIAへ行っていた。休日を利用してワシントンDCにあるSmithsonianへ見学に行ったときNational Air and Space Museumでガラスケースの中に置いてある小さな月の石を見た。余り感激はなかった。
宇宙を知ることはできても、地球を脱出し別な太陽系の惑星へ移り住むことは現時点では殆ど不可能である。いかに、この地球を大事にしていくかを宇宙探索と平行して真剣に考えねばならない時期に来ていると感じた。
 
第44回 中日クラウンズ 星野英正プロが初優勝
名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース (2003/5/3-4)
「好きなスポーツは何ですか」と問われれば、「ゴルフです」と即答する。2日間じっくりプロのスイングを見せてもらった。
趣味のCategoryの中にスポーツがあって、好きで仕方がなく時間が有れば少しでも楽しみたい、そんな種目を持っていると、人生を豊にしてくれると同時に、Sportsman Shipやルール 、マナーを学ぶことによって人間社会の倫理をも教えてくれるような気がします。 野球やサッカー、スキー、テニスなど、歴史の中で何百年にも亘って続けられているスポーツは幾つもありますが、一般の人たちが年老いてからも楽しめるスポーツとなると、そんなにあるものではありません。
そんなことを考えていると、ゴルフの良さは老若男女を問わず混合でプレーができること。また、世界中何処へ行っても、その国々の人たちと広い自然環境の中で季節を通して楽しめることが一番の魅力ではないでしょうか。
 

真清田神社 献茶祭 (2003/4/22)
お茶を飲むことの作法を確立した日本の文化には感心する。何かを飲むということは色んな国々で、方法や種類が違 っていても、飲むということを通して人々の心の結び付きや作法、礼儀、教養から侘び寂びの文化へと繋げて行ったことは、この国の人達の心の豊かさというか、人間としての質の向上、いわゆる品格人格を重視してきたからに他ならない。欧米の主義がグローバル・スタンダード化している社会の中で、物を持つ文明の時代から文化を持つ時代へとシフトしてみることで、また私達の先人達が培ってきた生き方をもう一度振り返ってみることで、人生とは何なのかが見えてくるような気がした日になった。

 

名古屋大学博物館 失われた文化財  講演会
(2003/4/16)「失われたバーミヤン美術」 宮治昭 名古屋大学教授
(2003/5/9)「玄奘三蔵の道を辿って」 安田暎胤 薬師寺副住職、 「アフガニスタンと私」 前田耕作 和光大学名誉教授
(2003/6/30)「アフガニスタンと名古屋大学」(仮題) 清水哲太 トヨタ自動車兜寰ミ長、 ナジブラ・モハバット セントラルスプリング社長
(2003/7/11)「文明の十字路 アフガニスタンの文化」 
 藤井知昭 元国立民族博物館館長
9/11以来、タリバンやアルカイダ、オサマ・ビン・ラディンなどのことで、中央アジアのインダス文明地帯がTVで報道されるようになった。緑が殆ど無い広漠たる砂と標高の高い禿山の中に住み着いている人々が、民族や宗教問題を抱えながら数千年の歴史の中で、殆ど変わらない生活を繰り返しながら生きている様子を見ていると、日本人の素晴らしさを感じてしまう。
バーミヤン石窟美術の保護が平山郁夫画伯などを中心に叫ばれていたが、結果的にタリバンが壊滅的な破壊行為をしてしまった。山の壁面に掘られた50mにも及ぶ大仏や洞窟内に描かれた仏教絵画がすべて失われてしまった。人類が持っている創造力の逞しさと同時に闘争力の酷さを感じざるを得ない。ユネスコが復興するかどうかで検討しているようであるが 、平山画伯が言われるように、人類の負の遺産として留めて置くことも意義がある。また文化財の保護から考えると、先進国が持ち出したことで被害を免れていることもあり皮肉なことでもある。シルクロードの歴史とともに栄枯盛衰を辿ったバーミヤンを観ると、新たなものへの挑戦が人類の宿命のような気がする。

 

ランの館
シンガポール ゴー・チョクトン首相 来館
(2003/3/29)

ランの新品種「デンドロビウム・シンガポール・ナゴヤ 」の贈呈式がありました。
ランの館での植物解説や業務案内などを行うボランティアとしてフレンドリースタッフをしている当社の副代表が館長の依頼をうけて施設に関する通訳をしました。
首相は背が高く、たいへん素敵な人でした。

中京大学公開講座 「日本人の忘れもの」
五木寛之 (2003/3/11)

相変わらずダンディーで、登場してきた時の礼の仕方までが洗練されている。
人間の心の中には暗愁(あんしゅう)が居座っていて、長い人生の何時の日か暗愁が頭を持ち上げてくるものである。そんな時の気持ちを表現する言葉が世界中の国々では心に沁みる言葉として使われている。しかし、日本社会からは永井荷風が最後に使って以来、戦後の高度成長と共に、その言葉がマイナス思考として忌み嫌われ廃語と化してしまった。
理由は別にして失業やリストラと言うようなものは古代の時代からあって、今に始まったことではない、日本人の英知と勤勉でいつかは克服できる。しかし、心のデフレによって年間3万3千人もの自殺者がでている日本 (世界一)、私たちは人として、一番大切なことを戦後と共に忘れてきたのではないだろうか。
長い人生の間には、明るく元気で前向きに進める時ばかりではなく、暗く寂しくやりきれない時がくるものである。そんな時ハァーとため息をつ き、暗愁の気持ちを有りのままに表し、苦しい時には苦しいとため息をつき、悲しい時には悲しいと泣けば良いじゃないか。それでこそ人は生きていけるものである。
さすがに当代切っての文士だけあって話の構成と話術の上手さで、ぐいぐいと惹きつけられた。
外は寒波の影響で冬のような冷たい強風が吹き荒れていたが、心は今日の天空のように晴れた。

 

司馬遼太郎記念館 2002.6/22

  
読書によって、教えてもらったことは沢山あるが、
日本の歴史の中で、
自分という枠組みを忘れて、
素直に未来を思い、
さわやかに、
そして、 たのもしく生きていった人物を物語ることで、
人間の生き方の基本を教えてくれた作家は、
司馬遼太郎さん以外にはいない。
来館者ノートに「来て良かった」と簡潔に記した。

もともと中学生のころから読書は好きで、
20才代後半の頃から歴史小説を読みだした。
司馬さんとの出会いは、
「燃えよ剣」 が最初であったような気がする。
今でも覚えていることは、
終盤の辺りを読んでいて、胸の底から熱いものが沸き起こり、
涙が落ちて仕方がなかったことである。
(涙を流しているところを見られると恥ずかしいので 一瞬現実に帰って辺りを確認した。
新妻は風呂に入っているらしく湯船の音が耳に聞こえたので
続けて読み出した記憶が今でもある。27歳の頃であった。)

五稜郭まで来て、
これから先のことを、如何しようかと考えても如何にもならない状況の中で、
土方歳三の男の生き方や、
一緒にいた女性との別れなど、
自分の思いとは裏腹に、
すべてから、去って逝かなければならない辛さを
感じたのだろう。

 

1999年から2001年まで

■渥美半島 伊良湖岬 伊良湖ビューホテル

 

2001.5/27
島根県の出雲大社 Tiffany美術館 島根県立美術館 を巡って来ました。
松江市が素晴らしかった。宍道湖の東岸を中心に名古屋には無い、新しい息吹を感じました。メトロを中心とした都市の発達から地方の特色を生かした街作りへと移行してきている。
もう一つ気づいたことだが、もともと日本は海に囲まれた小さな島、豊かな割にはヨットやモータボートが一般の娯楽として浸透していない。狭い国土に高速道路ばかり作るよりも港湾設備を充実させて海の娯楽を充実させていく時代に来ているような気がする。
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Farewell Party Mr.小牧 2001/03/10,11
朝日火災の保養センター泊で浜石岳&御殿場&箱根
いつも色々なことに拘り、こまめで律儀で誠実な人柄の親友が九州へ転居しました。


・槍ヶ岳に登ったときの雄姿の写真を掲載します。
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京都 2000.11/6

 

産業技術記念館 2000.8/26

 

広島県呉市 2000.8/10
江田島の旧海軍兵学校の感慨


 

名古屋城周辺の桜 2000.3/n

 

田縣神社 豊年祭 2000.3/15

 

カウントダウンやろまい名古屋イン鶴舞
1999 12/31 11:59

 

豊田の平戸橋近くにある、FM愛知の創設者で会長の本田静雄さんの自宅で行われた、「誕生日と春の園遊会」に招待され行ってきました。 1999.3/n

狂言や日本舞踊を観覧し、抹茶や煎茶を飲んでの半日でした。

年を増すと、冬の季節は体力的にも厳しく、命を落とす人も少なくありません。
冬を乗り越え、桜咲く新たな春を迎える事が出来た喜びは格別なはずです。

万葉の時代を生きた人々も同じような気持であったのだろうと考えていると、日本の文化と共に培われてきた桜の園遊会は、生きて春を迎えることができた人々が喜び合う、格別な会合だったのかもしれないと、52回目の春にして初めて気づいた半日でもありました。
人: 本多静雄さん春の園遊会
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