過去の備忘記

2005(H17)年の備忘記

1997(H9)年〜
2004(H16)年

スキー


聴講&紀行

司馬遼太郎記念館


山行

前穂高岳3090m

鑑賞

探検家写真家 医師
関野吉晴


感動の映画


心に響

ClassicFM
LONDON.


本で知る

長年どうしても
分からないことがあった。
銃・病原菌・鉄
この本が
全てを解決してくれた。
本当に素晴らしい!








 

趣味は道しるべ
教えられたこと
一期一会
パソコン余談
天命を知る年に
書き残したきこと

11/21 旅行:ソウル
11/02 展覧:徳川美術館 国宝源氏物語絵巻
10/02 映画:蝉しぐれ
09/19 EXPO:Asia POP Festival
08/07 聴講:宇宙からの贈りもの 毛利衛
08/07 美術:東山魁夷展 メナード美術館
07/16 美術:ボストン美術館の巨匠たち 名古屋ボストン美術館
07/13 EXPO:アムール タカラヅカ 鳳蘭や麻路さき、星奈優里ら
07/02 聴講:キートン山田 声優
06/29 聴講:知られざる昭和 篠田正浩 
05/29 EXPO:青春のグラフィティコンサート2005
05/25 関心:名古屋市バス  大人としての人間社会をみる
05/19 読書:蝉しぐれ 藤沢周平
05/18 展覧:ルーブル美術館所蔵 古代エジプト展
05/14 爺爺:祖父になる
05/04 美術:自然をめぐる千年の旅 ー山水から風景へー 
04/21 EXPO:
04/05 美術:平成の洛中洛外 平山郁夫展 松坂屋美術館
03/26 公演:宝塚歌劇 花組 マラケッシュ・紅の墓標       紫門 ゆりや さんが第91期生で初舞台。
03/04 聴講:「可能性をつくる」   建築家 安藤忠雄
03/04 展覧:万国博覧会の美術 名古屋市博物館  万国博覧会とは?
02/28 旅行:上海(Tour Shanghai)    写真集
02/15 美術:ロートレックとモンマルトル
02/12 映画 :Ray
02/09 美術:第36回日展 愛知県美術館
01/03 団欒:鍋パーティ
01/01 初詣:

November 21,2005 ソウル
ハングルの言葉や文字の違いを除けば、周りには父や母、兄弟、子供たちがいるようだった、これが第一印象である。
漢江の河岸周辺にできたソウルはロンドンやパリ、ニューヨークのような形態で都市ができていた。
朝鮮戦争以降続いた混乱から、全斗煥政権による民主化によって、コンピュータ関連産業やオリンピックによる経済効果など、近年になって特に豊になったのではと思われる。
20〜30階建てマンションが広範囲に数多く林立していて、ソウル市民の豊かさを象徴させているように感じる。 しかしながら、新旧の共存が市内各地で見受けられ、その格差は大きいようだ。市内外の首都高速網は片側3車線で、市内の道路にはヒュンダイやKIAの乗用車が溢れ渋滞が甚だしく、こんなに沢山の自家用車が走っているとは思わなかった。
人々は日本と同じ服装で携帯電話を持ち歩き連絡しあっている。
まあ、何れにしても、生活や仕事の中での人々の仕草や態度、動きは、どうみてもアジア人であって近似値として日本人と同じである。
日本との色んな拘りがあるかも知れないが、この国は私たちと同じ血が流れている。


November 2,2005 徳川美術館 国宝源氏物語絵巻
今から1000年もの昔、紫式部が著した源氏物語、どうして平安時代から現在に至るまで、話題性が維持され、絵画化されてきたのか?  その理由を知りたくて行った。
冊子は勿論のこと蒔絵や屏風、かるたなどなど多種多様なかたちで描かれ続けた画題は他に類を見ない、その一部を眺めてきたわけだが。同時に蓬左文庫にもでかけ質問してみたが。
一体どうしてなのか単なる推測であるが、作品に漂う情緒さ人の心の動きなどが本質を突いていて、しかも文の流れが素直で心地よく、この辺りを理解できないようではと、当時の武家や貴族社会の人には知識人としてのStatus Symbolのようなところがあったのかもしれない?


October 2,2005 映画 蝉しぐれ
藤沢周平が物語る執筆(文字)だけでは、どうしても思い描くことのできない海坂藩の風景を黒土監督は余すことなく映画で表現し補完した。
庄内に広がる自然の美。山や川、人々が息づく里村の風景が四季折々の変化の中で美しく撮られ、牧文四郎とお福の心の美に添えるものがあった。
また、日本人の心の中に息づく侘び、寂びと共に、武家や庶民の社会の中で培われてきた審美による造形が民藝の美として、作法の美として、日本人の文化の崇高さ優雅さを惜しみなく撮り尽くした。


September 19,2005 EXPO Asia POP Festival
 谷村新司の総合プロッデュースによる韓国、中国、タイ、日本の若手POP歌手が、それぞれの母国語で熱唱し本当に感動しました。
1960年頃から、FM放送で流れる欧米を中心にしたPOPを聞いてきました。アジアのPOPは欧米とは違う言葉の響きやリズムがあり、それはアジアの人々が共通 している感覚ではないかと思って聴いていました。どこかの部分で血がつながっている証なのかもしれません。
また、アリスのデビューから作詞作曲の才能で多くのヒット曲を世に出してきた谷村新司。
谷村さんも好きな歌で世に出たかった気持ちが若い頃にあったのでしょう。そのことを忘れることなく、次の世代の若手歌手を世に出す手助けをし、アジアの才能ある若者を伸ばそうとしている。 彼の持っている心の広さと、大人としての自信を感じずには居れませんでした。
EXPOの中でいい思い出の一つになりました。


August 7,2005 宇宙からの贈りもの 毛利衛
  地上400kmの船内活動のビデオを見せてもらって、主に食事について語られた。レトルト食品の発達も寄与してることは分かる。しかし機内の中での食事は実に寂しい、 限られた期間だからできることであってこんな食事で何年も生きていくには辛過ぎる。排泄もしかり。水は飲めても洗う為の水は全く使うことができない。
ニコニコしながら語っておられる毛利さんには申し訳ないが、「我々人類はとてもではないが地球を離れて、宇宙や他の星で生きていけるものではない 」とつくづく感じた。
如何に、この地球を大事にし、さまざまな問題を解撤し長引かせるか、これしかない。
地球は人類にとってのまほろばである。


August 7,2005 東山魁夷展 メナード美術館
 東山画伯のことばに「自然の中に孤独な自己を置くことによって、開放され、純化され、活発になった精神で自然の変化の中にあらわれる生のあかしをみたい。生きるということは流転、無常こそ生のあかしである」と言っておられる。
上手に描こうとか、人が買ってくれるようにだとか・・・、を離れ。題材を描くことだけではなく題材の周りのことを題材以上に理解していないと表現できるものではない。
また、自然を題材にして、自然と正面から向き合ってそれを表現するには、その人の生き様そのものが自然と同化した精神を持たなければ表せるものではないと感じ入った。


July 16,2005 ボストン美術館の巨匠たち 名古屋ボストン美術館
 H6年の夏、アメリカを反時計回りに家族 5人で旅行をした。ロスアンゼルスからニューヨーク、ワシントン、ボストン、シアトルと。そのとき、ボストンのMUSEUM OF FINE ARTSにも行きました。友人であったハーバード大学のローレンス・E・サリバン教授の自宅に泊めてもらって中心地や近郊の観光地などを案内してもらったこともあって今でも私にとってBOSTONは忘れられない場所の一つです。そのときルノアールの「ブージヴァルのダンス」も観ました。
その頃は印象派のもつ「安らぎ」みたいなものを感じて、いろんな作品を観て楽しんでいましたが、最近は人類の有史が始まって以来、あらゆる場面で「美」を表現し、求め、それを評価してきたのは何故か、その原点を追求してい ます。
そんなことから言えば、今回のテーマになっていた「理想の美」、「内なる力」、「さまざまの愛」は人類の芸術表現の上で普遍的な原点でもあります。


July 13,2005 EXPO アムール タカラヅカ 鳳蘭や麻路さき、星奈優里ら
 22歳の時に宝塚歌劇団を観て以来、「彼女たちの歌や踊りに対する情熱に心打たれ、それが自分へのエネルギーとなってきた」と言っても決して過言ではありません。
10年ぶりに観た麻路さきさん。目の前で繰り広げられるダンスには10年をまったく感じさせない、変わらない姿と心がありました。
鳳蘭さんは宝塚OGを代表するEntertainerですね。顔中から汗がグッショリと噴出し垂れていながらも一度も拭うことなく連続5曲歌いきりました。「今は観客を楽しませること、それだけ」そんな情熱と力量の大きさを感じさせました。
好きで好きでしょうがなくて少しでも時間が有れば暑さ寒さも構わず寝食を忘れて夢中になって努力をしていると、いつの間にか人から必要とされるようになってしまって、そのことで更なるエネルギーが自分に沸き起こ り、人のために懸命に努力を重ねていくことがあります。 きっと、そんな人たちなのだろうとも感じました。


July 2,2005 講演 キートン山田 声優
  「続けてさえいれば何とかなるものである」と何度も何度も仰った。声優をしてきて良かったという気持ちと同時に落ち着いて待つことのできる穏やかさも伝わってきた。
決して順風満帆の人生ではなかったのであろうが、温厚で有るがままのような人柄であったことが支えとなっていたことは誰の目から見ても分かる。
声優としての職が確立していなかった時代を経て、「ちびマル子ちゃん」のナレーションで自信をつけてこられた。自分は決して一流ではないので「三流の中の一流」になって生きようと努力してきたとの言葉に、殆どの人は心の安らぎを与えられるのではないだろうか。
紆余曲折の体験の中から学んできた含蓄と頷ける言葉に同感を覚えた一人であった。


June 29,2005 知られざる昭和 篠田正浩
  満州事変が勃発した1931年にお生まれになった74歳。容姿や言葉からは誠実さ素直さが滲み出ていて、監督としての生き様に実直さがあることを改めて感じた。
幼少時代の日本がどのようなものであったかを考察する中で、226事件から真珠湾奇襲に至る時期の日本を冷静な目で凝視していたリヒアルトゾルゲと尾崎秀実のことを映画として残したかったのだろう。
映画「スパイゾルゲ」は観ようと思うまもなく終了してしまった。今の若者が興味を示すであろう話題性とは掛け離れた映画であるが、現在から忘れ去られようとしている昭和史を、どうしても映画として残したかった監督の思いを知ることができた。
興行成績は上がらなかったかもしれないが、損得を考えずに信念が中心にある人だと感銘を受けた。岩下さんもそんな男気に惚れられたに違いない。


May 29,2005 13:00〜20:30 EXPO 青春のグラフィティコンサート2005
  まさにグラフィティ。私と同時代のシンガーが大いに盛り上げた。大阪万博から35年を経て、それぞれが山あり谷ありの歌手生活であったようだ。
自分の持ち歌が1曲あったお蔭でここまで続けることができたという言葉が、それぞれから語られた。自分の個性と独創性がなくてはどの世界でも淘汰されてしまうということだろう。そして還暦をもうすぐ迎える年になったが 、愛知万博会場で元気に唄うことができたことを語る言葉に、紆余曲折の人生を乗り越えてきた喜びがでていた。私も同世代を共有する喜びを大いに感じた日になった。          
■杉田二郎: 戦争を知らない子どもたち、風、・・・。
■堀内孝雄: 愛しき日々、・・・。 
■イルカ: なごり雪、・・・。  
■南こうせつ: 神田川、・・・。
■谷村新司: いい日旅立ち、昴、・・・。
■ばんばひろふみ: SACHIKO、いちご白書、・・・。
■伊勢正三: 短い夏、・・・。
■海援隊: 贈る言葉、思えば遠くへ来たものだ、・・・。
■森山良子: この広い野原いっぱい、・・・。


May 25,2005 名古屋市バス  大人としての人間社会をみる
  栄18系統、妙見町を1時15分発の市バスで栄まで乗った。川名の辺りでマレーシアか、シンガポール人らしい婦人がベビーカーに子供を乗せて乗車してきた。イスラム教の信者らしく白いベールを頭から被っている。運転手の伊藤快樹さんがエンジンを止めて、用意してあったベルトでベビーカーを座席近くの鉄棒にしっかり固定 しバスは再び発車した。その間、車中の人たちは黙って見ながら、じっと待っていた。鶴舞近くの下車するバス停に着いた、運転手はエンジンを止めベルトを解き「ありがとうございました」と言った。 運転手の一連の行動や言葉には誠実さが感じられた。その婦人は「すみません」と言って我々にも頭を下げながら下車した。
 若い運転手、アジアの婦人、中年過ぎの乗客たち、そして名古屋市交通局の規律。それぞれが大人としての対応をしていた。国際化の進む日本、老齢化が進み成熟しつつある社会、人々の暮らしの中で大人が持つ心の余裕とでも言うようなできごとに今日一日を豊な気持ちで過すことができた。


May 19,2005 蝉しぐれ 藤沢周平
  久しぶりの感動、素晴らしい、グイグイと惹き込まれ深夜になっても冴えきって読んでいた。牧文四郎が少年から大人になっていく過程で、家庭や友人、組織など人間社会の中で起きるさまざまな状況の中で逞しく育っていく、人物としての魅力や生き様に感動を覚えた読者は大勢いらっしゃることだろう。
「たそがれ清平」が映画化され脚光を浴びたことで、一気に藤沢周平の作品にのめり込んだ。今回はNHKの「知るを楽しむ」の中で黒土三男 監督がこの作品の魅力を語っていた。



May 18,2005 ルーブル美術館所蔵 古代エジプト展
 何年も前に、ルーブル美術館を訪れ、Sullyの古代エジプト展も鑑賞したがあまり記憶にない。

  4000年も前のものとは思えない。もしそうであるなら人間の本質は変わっていなく進歩もしていないのではないだろうかとも思ってしまった。
人は弱いものだ。
いつも恐れおののき不安の中で何とか生きてきたのだろう。


May 14,2005 祖父になる
  人生は繰り返しだ。
子供だ子供だと思っていた娘がいつの間にか母親になっている。ヨチヨチと歩けるようになり、幼稚園に入園した日のことが、昨日のような気がする。
「早いものである」それが今の実感です。
両親が娘や息子の結婚をどう思い、孫のことをどう思っていたかが、少し分かったような気がする。人生は70才、80才になってみないと分からないことが、まだまだ沢山あるに違いない。
「体験してみないと分からないことばかりである」ということなのだろう。


May 4,2005 自然をめぐる千年の旅 ー山水から風景へー 
  平安、鎌倉時代に描かれた絵画からは、奥深い山には聖人が住んでいると信じてきた日本人の宗教心をうかがい知ることができる。その当時、海と比較すれば山は神秘的で、日々の暮らしの恵みを受け、神々しい所であると考えられていたのだろう 。
千年の時代の変遷を通して観ていると、人々と自然との関わりが深かったことを感じる。それは自然との共生でしか生きて行けないとの思いが、現在よりもはるかに強かったことを意味している。


April 21,2005 EXPO
  すべてを観たわけではないが、映像による自国のPresentation、それと古来からの民族文化 のPerformanceが中心になっているような気がした。スキー場のリフト、ゴルフ場のカート、ディズニーのEntertainment 、すべて電気というEnergyを利用したものが根幹を成している。
小中高の学生もたくさん入場している。次の次代を担う若者が多くの異国の人々と出会い、世界の中には言葉や衣装など異なった文化を持った国がたくさんあることを実感できることは大変良い事だと感じた。


April 05,2005 平成の洛中洛外 平山郁夫展 松坂屋美術館
  すばらしい!古都、京都の風情と風景がなんとも言いようのない緑の色彩と輪郭を潰した構成で描かれている。
私達にとって京都は身近にある。年少のころの修学旅行から始まり機会あるごとに訪れ四季折々の京都が脳裏に残っている。そんな京都は人それぞれの心の中で、それぞれの思いと共に生きている。それだけに、それを描き鑑賞者それぞれの審美に報いるには天才をもってしても気持ちが入ったのではないかと思われる。今日は収集家の気持ちが良く分かった。


March 26,2005  宝塚歌劇 花組 マラケッシュ・紅の墓標       紫門 ゆりや さんが第91期生で初舞台。
  中学生の頃から映画が好きで洋画を沢山見ていました。大阪で勤務が始まった昭和44年5月頃、初めて宝塚歌劇にいって雪組の真帆志ぶきさんと、大原ますみさんが出演していた「回転木馬」を見て、映画にはない舞台での歌劇に感動した記憶が今でも残っています。
6、70名で構成されている組のトップ スターはたった一人、主なる助演者が数名いても残りはその他大勢になってしまう。容姿やスター性が揃った女性たちの中で歌や踊りなどの演技をとおして熾烈な競争が繰り返されることでしょう。
しかし、私たち観客に対し微塵もそのような態度や様子を窺わせるようなところはまったくなく、「観客を楽しませるために、それぞれが自分の役を果たす」 そのことだけに専念している。所謂、「プロ集団だな」と感心させられながらいつも見ています。
若い娘たちをそのように育て上げる宝塚が凄いのか、各自にプロ意識が芽生えてくるのか。何れにしても、彼女たちが自分の役割を果たそうとしている一途な気持ちだけが伝わってきて、とても爽やかです。
形でもなく、色でもなく、音でもなく、素直な心の美がPassionとなって溢れ出ている。
美は人を惹き付けるfascination。

春野 寿美礼 さん

 

 

 


March 4,2005 講演 「可能性をつくる」   建築家 安藤忠雄
  しわがれ声からは、自らの生き方の選択は自らで考えて追求してきたと繰り返し発せられた。皆と共に一方向性な考え方で進むことで安心し、その考えに同調しなければ批判してしまいがちな国民性の中で、今からの日本人の有り方の指針が語られた。自分はどう生きるのかを自分で決め、その可能性に邁進してゆくことができたことが素晴らしい。どんな職業であっても自分の個性を出し自分が楽しく、お客の身になって懸命に対応しさえすれば、社会はそれを必要とし見逃すことはない、そのことを安藤さんは証明した。


March 4,2005 万国博覧会の美術 名古屋市博物館  万国博覧会とは?
  美術、スポーツ、社会制度・・・。その原点を考察すると殆どが西欧社会に行き着く。一体この民族は何者なのか?
審美眼は人類共通の意識として我々のDNAの中に組み込まれている。美に対する欲求は何故必要だったのだろうか?
もうずーと昔になるが、ロンドンのハイドパークを歩きながらロイヤルアルバータホールの前で考えていたことを思い出させてくれた。
いずれにしても、芸術や文化の高さを競う万国博覧会が富国強兵と同じように国家の優劣判断材料として開催されてきたことには間違いない。





February 28,2005 上海(Tour Shanghai)    写真集
21世紀に入り今からの中国の歩みを、この目で見ておきたくて上海を選んだ。中部国際空港セントレアから僅か2:15分で 浦東国際空港へ。長江(揚子江)の河口が大きく口を開け、ゆったりと彼方まで長く続いてい た。世界初の実用リニアーが430km/hで地下鉄2号線までを8分で運んでくれた。上海は地震がないこともあって超高層ビルや4,50階建てのマンションが 雨上がりの竹の子のように建っている。
イギリスやフランスの疎開地であった外灘を見ると、西欧人に思いどおりにされてきた中国の面影が景観に残っている。穏やかに暮らしていた漁村に、遥か遠い海洋を乗り越えてくるだけの知恵と技術、更に屈強な精神と勇気をもった西欧人がヨーロッパから黒船で乗り付け、大砲で脅しながら侵略していったのだろう。日本でもそうだが、アジア人は内輪の中で階層社会をつくり、ああだこうだと言い争っている傾向にある。
(数年前に香港へ行ったときも同じ思いがした)
高杉晋作が1862年に上海に行って、その有様を見て尊皇攘夷へと奔走していった気持ちが良く分かる。
アジア人同士で内紛しているようでは、イスラム諸国のように欧米に翻弄されれしまう。
これからの日本にとってアメリカとの同盟と同じような形で、中国との関係をつくることができるかに掛かっている。
いずれにしても難しい時代へとなってくるだろう。


February 15,2005 ロートレックとモンマルトル
パリの歓楽街モンマルトルの宣伝ポスターを描くことで生計を立てていたロートレック。
深夜遅くまで続くcancanダンス、金と酒の中で享楽を味わう男と女が描かれていて、当時の様子を容易に想像することができる。
ポスター作品なのか、ゴテゴテした色彩はない、遠近の構図の中でcancanの踊り子を中心に、その周りで食い入るように見つめる男たちがいる。何か腹をすかせたハゲタカ が群れていて獲物を狙っているようにも見えてくる。
私もそうであるが、このポスターを見た人はモンマルトルへ行ってみたいと思う欲求を覚えてくるだろう。そう言う意味では大変優れていて、その役割を充分に果たしている 。
以前パリに行ったときにモンマルトルへは時間がなくて行けなかった。


February 12,2005 映画 Ray
中学3年のころ、I can't stop loving you.「愛さずにはいられない」のドーナツ板レコードを買って聴いていた頃を思い出した。 英語の先生が訳としては変だと言っていたのを覚えている。
Ray Charlesはジャズ、R&Bなどの才能によって 名声や財に恵まれたが、この社会を見ることなく昨年亡くなった。
今年のアカデミー作品賞にノミネートされている「Ray」は単なるミュージシャンの映画ではない。アメリカが抱えている人種の問題、母と子の絆、家庭、ビジネス、自らの生き方・・・。
一人の盲目の黒人天才ミュージシャンの生き様を通して、アメリカらしい正義というか、正しいと思う自分の哲学を貫き通すアメリカの生き方がこの映画の中にも表れていて素晴らしい作品であった。


February 09,2005 第36回日展 愛知県美術館
最近の印象は絵具に凝り過ぎていて、肝心の構図とか全体の間が忘れられているような作品が多いような気がする。人の作品に対する良し悪しは様々であるのだろうが、気に入った作品が幾つかあった。
池畑秀 穂の「昼下りのオフィス街」は構図や色合いがユニークで良かった。
大山忠作の「光散華」は自然な動きが上手く表現されていた。
北野治男の「道」は田舎で過した幼いころの風景を彷彿とさせてくれた。
歳島洋一郎の「運河を行く」は構図と色彩に無理がなく有るがままの雰囲気がいい。


January 03, 2005 鍋パーティ
家族や友人たち と熱い寄鍋と話題で始まった。何と言っても、その中心は長女の結婚と5月予定の孫である。いよいよ、お祖父さんか・・・。

自分たちがしてきたことが、つい先日のように思い出される。と同時に、父や母もこのような気持ちでいたのだろうとヤット分かったところもある。
2005年新たな年の始まりの中で、1つの小さな家庭の中にも世代の変化がおきつつあるようだ。そして、人生の中で又一つの新たなる体験を加えようとしている。

年輪を重ねることで幹が太くなるように、いろんなものが肉付けされてきているが、同時に周りには新たな種や若木が育ち始めようとしている。老木から枯木になるまでには、まだまだ自分 には乗り越えて行かなくてはならないことがたくさんあるのだろう。


January 01, 2005 元旦 初詣
川原神社へ参拝。(2回拝礼、2拍手、1拝礼が作法)

元旦に参拝をするとは、どんな意味があるのだろうと考えながら、
「昨年は無事に・・・」、「今年は・・・」と手を合わせ頼みごとや、願いをお祈りしているようだ。
ただ誰も、それが叶わなかったとしても神様を恨んだり憎んだりはしない。

特に若い家族と高齢者が多かったような気がした。
無事にこの子が成長しますようにと思う親の気持ちや、
無事に生きて新しい年を迎えることができた喜びを。
そこには感謝をする気持ちと、心を安らかにしてくれる、拠り所があるのだろう。
宗教に対する考え方や和を以って尊しとなす国の原点が見えてくるようだった。

宗教を軸に人間同士が恨んだり憎んだりしているところには、
感謝や平和をBaseにした豊かさを作り得ることははできない。
日本は人間のあるべき姿、本質を一番分かっているにちがいない。