過去の備忘記

2006(H18)年の備忘記

2005(H17)年

Index
2005(H17)年

11/21 ソウル
11/02 徳川美術館
10/02 映画 蝉しぐれ
09/19 EXPO Asia POP
08/07 宇宙からの贈りもの
08/07 東山魁夷展 メナード
07/16 ボストン美術館の巨匠
07/13 EXPO アムール タカ
07/02 講演キートン山田
06/29 知られざる昭和篠田正
05/29 EXPO 青春のグラフ
05/25 名古屋市バス 大人と
05/19 蝉しぐれ 藤沢周平
05/18 ルーブル美術館所蔵 
05/14 祖父になる
05/04 自然をめぐる千年の旅 
04/21 EXPO
04/05 平成の洛中洛外 平山
03/26 宝塚歌劇マラケッシュ
03/04 講演可能性をつくる
03/04 万国博覧会の美術
02/28 上海  写真集
02/15 ロートレックとモンマ
02/12 映画 Ray
02/09 第36回日展
01/03 鍋パーティ
01/01 初詣


12/30 映画:フラガール
12/20 音楽:中野振一郎の J.Sバッハ:ゴルドベルク変奏曲 BWV988
12/02 美術:四大浮世絵師展
11/30 音楽:スクロヴァチェフスキ入魂の「運命」
11/29 音楽:ザ・エルミタージュ美術館オーケストラ
11/28 音楽:愛知県立芸術大学第17回オーケストラ定期演奏会
11/27 Golf:愛友会 京が野CC
11/13 Golf:小原CC
11/03 美術:MIHO Museum 秋季特別展「青山次郎の眼」
10/11 音楽:愛知県立芸術大学第39回定期演奏会
07/22 Golf:M氏 のHole in one 記念コンペ
07/17 聴講:茂木健一郎 脳と創造性
07/16 聴講:國弘正雄 アメリカの品格を問う
07/15 聴講:中坊公平 生きること、学ぶこと 今日から三日間サマーセミナー
07/10 Golf:新陽
06/27 美術:ニキ・ド・サンファル Niki de saint phalle ニキ美術館
06/25 音楽:第95回 豊橋交響楽団定期演奏会
06/07 音楽:ロシア交響楽団 指揮 西本智実 静岡市民文化会館大ホール
05/25 Golf:青芝会
05/22 映画:Good night and Good luck アカデミー賞の作品賞にノミネート
05/15 美術:愛知県美術館 木村定三の江戸絵画コレクション
05/15 美術:松坂屋美術館 水野美術館所蔵の横山大観 菱田春草 下村観山 川合玉堂
05/12 Golf:愛友会
05/01 Golf:ゴルフ シーズン到来
04/29 Ski:スキー
04/15 音楽:名古屋国際音楽祭  西本智実 ロシア・ロマンの午後
03/31 旅行:海 静岡県: 御前崎ー浜岡原子力館ー中田島砂丘
03/26 音楽:指揮者 西本智実
01/04
 映画:Always 三丁目の夕日
01/01 初詣:

2006年12/30 映画 フラガール
フラガール 今年観た映画の中で、最も感動した映画でした。涙が止め処もなく出て、映画が終わって明るくなり、出入口にいる次の観覧者と目が合ってしまうのが恥ずかしかった。
 幼かった頃、ラジオやTVで何度も聞いたり見た覚えがある三井三池や夕張、常磐など炭鉱の坑内爆発や陥没、水没で死者や不明者が多数でたこと。坑内に閉じ込められている抗夫に空気を送って救出するなどのニュースが流れていたことを・・・思い出した。

 歴史の中で必要とされなくなった人の生き様は、自分が糧にしてきたものを捨て、新たな挑戦へと向かっていくしかないだけに、どの道に進むとしても一からの出直しは大変な苦労が強いられる。
 エネルギー資源が石炭から石油に変遷していく時代の流れの中で、炭鉱の斜陽化は抗夫の行く末に選択肢を投げかけ、並々ならざる事態であったことは言うまでもない。
 以前から思っていたことだが、変化に対する順応性は男性よりも女性の方が遥かに勝っている。異なる環境に嫁ぎ、子供を生み育てていくには生きていく術(すべ)をもって形振りかまわず真正面から生きて行くしかないだけに強さがでる。
 男も女も誰でも、現在の境遇がいつまでも続くことはないと心のどこかに留め、日頃から2足や3足の草鞋を履いて、いざと言う時に潰しが効くようにしておくしかない。

 MovieWalkerの「見てよかった」のNo1に長く留まり、「5段階評価分布」の最高点を入れた人が87%もいたので、是非見たいと思っていた。
 映写幕に映し出された映像は縦横が1.5m3m程度の小さなものであったが、福島県いわき市の常磐炭鉱で実際に起きたことなので真実味があった。上手く成功し今も続いているとのことなので映画にもなったのだろうが、現実には人の生き様が赤裸々に出て、もっと悲惨であったに違いない。
 唯、この映画を観た映画ファンの90%近い人が感動したことを思うと、日本人の心の根底には逞しく生きて行こうとする人たちと、そのような人たちを励まそうとする人たちが大勢であるような気がし、日本もまだまだ捨てたものではないと嬉しくもあり安心もした。


2006年12/20 中野振一郎の J.Sバッハ:ゴルドベルク変奏曲 BWV988
 チェンバロという楽器の演奏を最初に聞いたのが10年ぐらい前で、その時の演奏者が中野振一郎さんでした。
 オーケストラによる交響曲などは演奏者がそれぞれの楽器に複数いて演奏中にでも譜面をめくっている。謂わば、組織化されている、システム化されているということは個人の役割が単純化される。それが悪いという意味ではないが、個人の分担が軽減化されることで、ミスが起こりにくい、またリスクの回避やリカバリーが容易になる。しかし、その分、全体の流れは大河となるだけに、それをまとめることや、方向付けをすることが重要になるため、どうしても指揮者が必要となってくる。
 一方、独奏は全てが演奏者自身にある。所謂、能力に依存した演奏になってしまうため優劣がはっきりと現れてしまう。1時間半に及ぶ連続独奏をこなす中野さんの才能も凄いが、応えるだけのエネルギーが聴衆の方も要求された。


2006年12/2 四大浮世絵師展
 浮世絵を代表する絵師、東洲斎写楽、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重の作品が一堂に展示された。
 北斎の富嶽三十六景、広重の名所江戸百景と東海道五拾三次は自然現象を的確に捕らえ、それに対応する人の動きなどを風景の構図の中に誇張しながらも見事に納めている。
それだけではない、対象物同士や対象物と背景との対比した彩色、濃淡の段階的な推移の使い方。更に、対象物に対する視線のもって行き方や遠近法が巧妙で実に上手い。浮世絵によって日本の絵画の芸術力を海外へ知らしめた天才達と言うしかない。

 1700年前半、享保の改革を経て、田沼意次の農業依存から商業依存型への政策が始まる時代。そして、松平定信の寛政の改革、天保の大飢饉、天保の改革の時代を北斎は生きている。決して世の中が安泰で裕福な時代ではなかったことが想像できる。
 浮世絵と共に、白河の清きに魚もすみかねて、もとの濁りの田沼恋しき』などの狂歌のブームでもあった。
90年の生涯を天才北斎は時代に翻弄されず我が道を驀進している。
北斎が1849年没して4年後、1853年黒船来航、1868年明治維新へと時代は進み、
浮世絵の多くが海外へと流出して行く。アメリカのボストンにあるMuseum of Fine Artsは多くの浮絵を所蔵している、以前訪れたとき観た記憶がある。
 


2006年11/30 スクロヴァチェフスキ入魂の「運命」
 ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、第5番「運命」と言えばクラッシックの定番で、聴きなれているが演奏会場で聴いた記憶が思い出されなかった。友人からの招待でこの機会をもっことができ、「持つべきものは・・・」と感じたのも事実である。
 もう一つ、高校の英語の授業でベートーヴェンについての教材を訳したことを思い出した。内容はすっかり忘れたが、その試験でベートーヴェンの綴りを英語で書く問題がテストにでた。担当教師が「2名しか正解者が居なかった」と言って嘆いていた。私ともう一人だったので今でも覚えている。その記憶方法としてBeet、hovenと分けて覚えていた。ビートルズやBeatの利いた音楽などのというビートと方便を結び付けていたと記憶している。(茂木健一郎が言う様に脳の中はいろんな所で連鎖しているのだろう)
 何度も書いてきたが、ヨーロッパ(ドイツ辺り)という地域に住んでいた人達には敬服してしまう。1800年といえば徳川幕府の2/3が過ぎた時代、オーケストラの楽器が作られ、楽団によるシステム化、それの交響曲が確立していたとは・・・。更に、ドイツの田園の風景や人間の生き様の光と影を音楽で表現している。「みごと」と言う他にない!


2006年11/29 ザ・エルミタージュ美術館オーケストラ
 ロシアの文化芸術を語るときに忘れてはならないエルミタージュ。欧米の文化や芸術はポピュラーで話題も多い、欧米が北アルプスだとすればロシアは南アルプスの様なイメージに似ているのではないだろうか。
 今回はエルミタージュ美術館展が来年開催されるということで、その先発隊として専属オーケストラが来たというわけである。最前列指揮台の真後で聴いた。曲が終わり聴衆に頭を下げた指揮者を見るとプロゴルファーのジム・フューリックにそっくりだった。サンクトペテルブルグにも一度は訪れてみたいなぁー。

 数年前からいろんな理由が重なって結構Classicを聞くチャンスができた。
1.Internetの常時接続のお陰でロンドンからClassicFM放送を数年前から聴けるようになったこと。
2.女性指揮者西本智美を知ることでロシア人作曲家の音楽を多く聴くチャンスがあったこと。
3.若い時代から購入していたCDlなどがあり、それらをAppleが出したiPodにDownloadして700曲ぐらいの曲目を外出先でも聴くことができたこと。
4.そしてクラッシックを愛好する人にも恵まれたことなどが挙げられる。


2006年11/28 愛知県立芸術大学第17回オーケストラ定期演奏会
 モーツアルト ピアノ協奏曲第6番 変ロ長調 K238。最前列の右側で聞けた。やはりモーツアルトは感触がいい。心地よい。

人は音楽が必要だった。どうして、なぜ、なんのために・・・。
 以前、穂高の2500mの山中で一人キャンプをしたとき、日が山間に沈み、辺りが真っ暗闇になり、やがて静寂だけの世界になると、草木が息をしている様子が分かってきた。自分の心臓が規則正しく鼓動し血液が流れている様子も分かってきた。同時に脳が冴えてきて物凄く欲求してきたものがある。

 今から1000年以上も前のこの時期、『秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる』と詠った人がいる。紅葉ではない、風の音で秋を感じている。


2006年11/27 ゴルフ 愛友会 京が野CC
 昨日からの雨の影響でコースのいたるところがぬかるんでいた。後半は少し雨の中でのプレーになったが何とか晩秋のゴルフを楽しめた。
ダブルペリア方式でHDCPが6.0で計算され9位になったが、気分的には悪くなかった。
 各組み合わせの中でも、それぞれの人間模様があり、プレーヤー同士それぞれの自我や思惑がうごめいていた様だ。このような遊びでも遊べず軋轢がうまれるのだから・・・、世の中はもっと難しい。

 僕は運命と楽観的につきあうことが少しできる。仕事から学んだことだが、思い込みを切り替えれば可なり楽になることを知っている。それと自分の意思でどうにか成る部分とそうでない部分がある、そうでない部分は成るようにしかならない、そう思えば楽になる。


2006年11/13 ゴルフ 小原CC
 中部圏のゴルフ場の中でも、プレーヤー評価のランキングが良いので、一度は行ってみたいと思っていたゴルフ場でした。それと全員80台前半か 、あわよくば70台で回れることもある仲間だけに、暖かく穏やかな今日こそは、更なるスコアーを狙い虎視眈々とした思いがそれぞれ強く出ていた。

 四季桜と和紙の里で有名な小原村、季節感が狂って開花する四季桜がコース内に咲き乱れていた。四季桜に影響されてか我々も同じように季節感が狂って咲き乱れた。


2006年11/3 MIHO Museum 秋季特別展「青山次郎の眼」
 古里の田畑や山河を思い出させるような信楽を通って随分と分け入った。強い日差しと静寂の中で秋の紅葉が進み、辺りには赤や黄色の木の葉が見えて色彩豊かに輝いていたが、一年のいのちの旅が終わろうとしているフレディを思い出させてしまう光景でもあった。
 天才、青山次郎の審美眼に選定された作品を集めた特別展。次郎は多数の装幀をしたが、評論家の範疇であって、一つ前の時代感が拭いきれず、ある特定の集団が評価をした人であったのではと感じた。それよりも、天才 、I M ペイのArchitectureに感動した。
 CreatorやProducerの分野は種々様々だが、人々を包み込む建物を考えたとき、人々が生きていく環境や安全、集合としての空間を含め、建築はスケールが広大な総合芸術であり、芸術の頂点と位置づけても過言ではないだろう。天才と言われる二人を比較していて、李御寧が書いた『「縮み」志向の日本人』を思い出した。
 ペイは自然と建物の調和を考え、建物が自然と同化した様な日本古来の建物様式をイメージし、設計したに違いない。山々の眺望の広がる所を寺院の門前へと導くような道筋が続いている。日本人であれば一度は歩んだことのある風景で、日本人の心のどこかに今でも残っている。同時に、自然の恵みと共に生きてきた日本人が山河を敬うような気持ちを持っていることも心得ていて、奥の院へ詣でるとでも言うようなイメージとスケールも設計されていて感動がある。まさに本物の天才だ!
 四季折々の自然の変化に合わせ美術館を観に行くに相応しい美術館である。


2006年10/11 愛知県立芸術大学第39回定期演奏会
 最前列中央で演奏を聴くと、指揮者や演奏家の腕の動きで服擦れの音が聞こえてきた。シルクの様な生地であればそんなことはないのだろうが・・・。それはそれとして皇帝ヨゼフ二世になったような気分で目の前で演奏を聴け本当に良かった。真面目に真剣に取組む姿は未来への希望に膨らむ若さと比例していると感じた。
 以前から大好きであった「チャイコフスキーの弦楽セレナーデ ハ長調 OP.48」はチャイコフスキーが40歳の頃(1880年)に作曲した作品で今回のテーマの「四十而不惑」で選曲されたようだ。自分の意思とは裏腹に親の勧めで法律の道を進むが、23歳で自分の好きな道である音楽家へと変心したチャイコフスキー、40歳にしての迷いはなく、夜想曲としての美しい弦楽器の響きと旋律は心に響き、想いが結実するに相応しい名曲である。


2006年07/22 M氏 のHole in one 記念コンペ
 Hole in oneの確率論を考えた時、技術的な正確性と、コース回数に比例することは分かります。が、単にそれだけではない幸運のような要素が不可欠です。
 例えばPGAをTV観戦していても、優勝を予感させるPlayerには、他のPlayerにはない何かが味方していると感じます。
 緑の広がった自然界の中で、自分のPlayを無邪気になって楽しみ、この日Playができることの喜びを感じ、人生を積み重ねて今ある自分に幸せを感じながらPlayをする。人それぞれ意味や意義、目的は違うかもしれないが、熟年PlayerにみるGolfの楽しみ方を知った 日になりました。


2006年07/17 茂木健一郎 脳と創造性 (写真は茂木さんに演壇上で質問しているところ)
 21世紀、未知なる世界が段々と解明される中で、人間の脳の働きを知ることは人間そのものを解明することで、物凄く重要で且つ面白い分野であることは言うまでもない。その分野について現時点で分かっていることを短時間の間に、私達に分かり易く要点を説明してくれた。
 創造性=体験×意欲であると。 即ち、創造することは全く知らないものが突如してできるものではなく、自分が過去に体験したことに対して、意欲が重なって初めて創造されるものであるとのこと。確かにモーツアルトは天才と言われているかもしれないが、幼少の頃から物凄く沢山の音楽を聴いていて、その旋律が体に染み付いていたからこそ数多くの名曲を作曲できた。
 そうすると意欲は如何して出てくるのか。意欲は悦びを感じると脳の中にDopamineが出て、そういう悦びををもう一度味わいたいと記憶されるらしい。例えば良い成績を出し褒められたりするとDopamineがドッド出て次も頑張ろうとする意欲になる。所謂、悦びを感じることが意欲に結びつく。

 もう一つ、うつ病に成り易い人は美しいものを見ると良いらしい、美しいものをみるとセロトリンが出て脳の風邪が直るらしい。美は脳の風邪薬か。
 僕は昔から佳人が好きであった。勿論、植物の美しい形や色彩に感動もしてきた。また、絵画、デザイン、陶芸などの鑑賞も大好きである。
最近は何故、人は美を求めるのかを追求していた。いろんな本を読んで、その理由を探っていた(他のLogで何度も書いてきた)。その一つを茂木さんが今日教えてくれた。
 美は一種のアルコールみたいなものに違いない。


2006年07/16 國弘正雄 アメリカの品格を問う
 1930年生まれ76歳、この人の活力は、意志の強さは、自己主張の凄さは、一体何処から生まれてくるのか・・・。
これが國弘さんに対する第一印象である。
 芯の強さなくして、自分の考えなくして、自分がしてきた事の自信なくして、世界の中で自分の信念を前面に出して表現して生きて行くことはできないのだろう。
もちろん性格的な素材はあったのだろうが感受性強い青春時代からのアメリカ体験が拍車を掛けたにちがいないと思った。

 反対に「私はもう年だから」と言うような人は、意志薄弱で、自分は終わったのだと、自分から宣言しているようなものであるとも思ってしまった。
 ただ、どちらが生き様として良いのか、それは分からないが、権力者の言うままに、素直に従っていくような人ではないことは確かだ。それに反論するだけの知恵と信念と勇気がある。国際社会の中でGive and take の関係をつくるためにも、國弘さんのような人材が日本の中で育ってほしいと思うと同時に、自分は今後「もう年だから!」とは言わないことにした。
 
 全般的なことだが、社会の事象を良し悪しで考えると、ジャーナリストは悪しについての論評が中心になりがちである。その理由の一つとして権力者に対する一般大衆の欲求不満を代弁し、大人しく気の小さい大衆を煽り沸かしているところがあるような気がする(例えば水戸黄門様が悪人を懲らしめる)。
が、行動となるとジャーナリストは長けていない気がする。頭でっかちのようなところがあるだけに、物事を推進していくには論法だけではない要素がPlus Alpha として要求されるからである。
 幕末のころ、維新の必要性を当時の知識人の多くは感じ、論じていたらしい。しかし、行動となると、その一歩を踏み出すところの人物はいなかったようだが、竜馬がそれをやった。行動した。纏めあげる論法と行動と何かがあった。
 改革を実行する人物には、理論や論法だけではなく、人の心を動かすスケールの大きさと言うか、太さと言うか、信頼させてしまう顔立ち、余裕のある態度、静かで落着いた声の響き、どんな事態にも動揺しない精神のようなものが必要で、「この男となら一緒にやってもよい」とか、手を貸したくなるような気持ちにさせてしまう、そんな何かを備えているような気がする。(勤めていた頃、そういう男が居た)


2006年07/15 中坊公平 生きること、学ぶこと 今日から三日間サマーセミナー
 1929年生まれ77歳、大器晩成という言葉があるが、中坊さんのような人のことを言うのではないだろうかと感じた。
 目先のことを手早く要領よくこなし、利得のために旨く立ち回まるタイプではなく。相手の目線で一緒になって物事を眺めようとする現場主義があるために、相手の中に分け入り、相手の意見を、相手の考え方を、相手の思いを、五感で感じ、現場の事実を訴えていくタイプなのだろう。
 特に森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者の話になったとき、私を含め聴講生の多くが涙ぐんでしまった程の話力があった。言葉には現場の声としての真実と、Back dataという重みが充満しているため、聴衆の心を捕らえ動かす、弁護士としての迫力を感じた。

 「王の中の王」という言葉があるが、中坊さんは「人の中の人」を感じさせるところもあった。人それぞれの気持ちや考えは千差万別であるが、人は相手に強さや優しさ、忍耐や正直などを感じてこそ相手を信頼し、また共に戦い、共に苦労し、共に喜ぶことで連帯感じるところがある。
 講演を聴いていて、人としての本質の部分を大事にし、どんな状況でも、どんな権力にでも対峙して行くことができる人格を感じた。
森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者にとって、中坊さんは神様であったに違いない。

 強いところに付くことは誰にでもできるが、弱いところに付くことは誰にでもできるものではない。
イギリスかアメリカかは分からないが、よく似た言葉があります。
Prosperity makes friends.  Adversity tries them.(繁栄は友達を作る。逆境は友達を試す。)
日々の状況の中で、人の本質や真価は、自分が順風満帆でなくなったときに表れるものですね。


2006年07/10 Golf 新陽
 運良く梅雨の合間の曇に、昔の同僚たち4人とGOLFを楽しみました。Outdoorで楽しむスポーツはたくさんありますが、Golfはストローク数が最終的な決定権をもっているため、人それぞれの考え方がPlayに現れてきます。
 私の場合、性格的にか、Golfに限らずどんな事にでも自分を過信するところがあり、挑戦に失敗し赤恥をかくところがあります。しかし、それが余り深手にはならず、「駄目か、残念」で終わってしまう。

 話は変わるが、時々お会いするA氏が(65、6歳で、爽やかな表情で落着いた喋り方をされ、大人を感じさせる)脚を庇っている様だったので、どうされたのか、お聞きすると。膝に水が溜まり歩くのも辛いとのことでしたので「Golfを少し控えたら」と詰まらない事を言ってしまったら、「Golfができないなら生きていてもしょうがない」と答えられた。
 Single Playerなので、いろいろとGolfについて教えてもらったが、何よりも印象的だったのは「執りつかれることです」の言葉だった。「その位にならないと上手くならない。理屈だけではなく、体で覚え、場慣れするしかないんですよ」と。仕事も遊びも出来る男を感じさせ、生半可ではない頭脳と精神で人生を百戦錬磨やりこなした自信が言動に満ち溢れていた。
 若い頃一流な仕事をしてきた人には、遊びにおいても可能性を忘れずに努力を惜しまない活動と人物像があり、仕事に対する考え方や姿勢がGolfという遊びの中にも現れる。


2006年06/27 ニキ・ド・サンファル Niki de saint phalle ニキ美術館
 人は誕生と共に、母から家庭から学校から社会から教育を受け、いろんな知識や情報を覚えていく。しかしその殆どは、既に在ることを記憶したり、手順や手法の決まりを覚えることが中心で、現在社会は、それを得意とする人を優秀としている。
(まあ、殆どはRoutine Workができればいいので、それができる人を養成している・・・)
 しかし、未来志向、先進思考、創造的進化が要求されてくる企業経営者、研究者、芸術家・・・では、自分で考え、新たな理論を構築していかなければならないため、既成概念を破壊し先見的指針や創造的概念がなければならない。
 ニキは若い頃に既成と破壊の狭間で悩んだにちがいない。そして自分の頭で考え創造することの意義や人間の本質として、一人で自由に取り組める芸術の道を選択したのだろう。
 しかし芸術の世界も過酷である。芸術家に協力者は居ない、自らが創造し、こつこつと不安定な状況の中で制作を続けていくしかない。
 なかでも、絵画の場合は、3次元の対象物を2次元で表現しなければならないため、何らかの錯覚を生じさせるような技法の描写をするしかない。それは本来でないと、するならば、キュービズムのようになってしまう。
 また対象を風景ではなく、人間に求めた場合、美しさだけでは済まされないところが出てくる。時代の中で翻弄される人々、喜怒哀楽の情感、男女の関係、人間とは何なのか、などなど。表現内容が限りなく広範で深層化し、多次元化してくる。謂わば人間の心理や精神や思想など、意識の部分を探求するとシュールレアリスムになってしまう。
 蟻地獄のようなところがあって、こそに芸術家は落ち込んでしまい、もがき苦しむことになるのだろうが、ただ同時に、そこには自らの意思で活動できる自由、人間本来の創造と自我の表現というような姿もある。作品を観ながらニキもその一人だったのだろうと感じていた。(写真はできた作品をライフル銃で撃って破壊し、それを作品に仕上げているところ)

 多様な人間社会の中には、ニキのような芸術家の資質を高貴と考え、支援し、援助する人も多勢いる。
 既成(苦悩)と創造(自我)の狭間で葛藤しながらも、対象と真正面に向き合って制作するには素直さや純粋な気概が不可欠で、それなくして芸術家としての成就はありえない。
 同じように、既成(苦悩)と創造(自我)の社会の中で懸命に働いた人にも、ある種の素直さや誠実さがなくては、企業家としての成就はありえない。そこにこそ両者が共感し、共有するところがあるからにちがいない。
(下記のJun7 2006の下段にも書いた戦場のピアニストの部分を)

余談だが、下記のMay15ように、横山大観は『我の存在を否定する』意味で無我を27歳で描いている。我を鑑賞者にPresentationする西洋と、我を内面に秘め鑑賞者の力量に委ねる日本の違い、あなたはどちらがお好みですか?


2006年06/25 第95回 豊橋交響楽団定期演奏会
 西本智美さんが指揮をするということで。当然だが楽団所属の指揮者もいるわけで、一つの演奏会を2人の指揮者がモーツアルトの魔笛と,ブラームスの4番(西本)を指揮した。日本を代表するアマチュアオーケストラだけあって遜色はなく、ちゃんと二人の指揮のキャラクターを汲んで演奏したことが印象に残っている。
 西本さんも言っているように、同じ曲であっても指揮者によって違って聴こえる。これを追求しているうちに指揮者になる決心をしたらしい。

 ふと思ったのが、日産のゴーン社長とロッテのバレンタイン監督。どのような指揮をしたのか分からなかったが。最近になって、ご両人とも綿密に現状を収集し、組織の強みと弱みを把握し、状況に合わせた木目細かい対応と指揮をしていたことが分かってきた。孫子の兵法で言うところの情報力と指導力である。いくら頭が良くても人を指揮できるリーダーシップや魅力なくしては組織を動かすことはできない。
 話は変わるが、Global Standardということを聞くと、いつもヨーロッパ人の凄さを考えてしまう。現在の人間社会の言語、制度、技術、スポーツ、芸術・・・、私たちの生活全てがヨーロッパに行き着いてしまう。源流である。
 クラッシック音楽もルネッサンス以降、発展してきたのだろうが、楽器の豊富さ、音階や和音の確立、
合奏による交響曲、指揮者などなど・・・。この様な仕組みを創り上げていった能力は如何して生まれたのか、単音の響きに叙情を感じる邦楽もいいが、交響楽の響きはGlobal Systemを感じる。
 ホモサピエンスの源流は同じであるが、農耕的な職人気質と狩猟民の集団組織の違いがでてきたのかもしれない。環境の違いなのだろう。Neither worse nor better but just different.


2006年06/07 ロシア交響楽団 指揮 西本智実 静岡市民文化会館大ホール
チャイコフスキー未完成交響曲「ジーズニ(人生)」チャイコフスキー交響曲 第6番「悲愴」
 20代の頃から機会があれば演奏会へ行っていました。しかし、今日のような光景は未だ過って見たことがありません。35歳の日本女性がジーズニの初披露の役を担い、赤ら顔の初老の大男達を中心にしたロシア人演奏家たちを指揮している。(余談だがコンサートマスターはジョージ・ルーカスにそっくりだった)
少し前の時代からは考えられないような光景を目の前にして、戦後の日本とペレストロイカのロシアの国状を、また時代の変遷に翻弄される人生(ジーズニ)について19世紀末のチャイコフスキー自身がどのように感じていたかをも、同時に思いながら聴いていました。
 西本さんは、いつもの黒の燕尾姿に、長髪の上半分を茶髪で強調し、色白で鼻筋の通った美貌からは知性と品格が溢れていました。普段となんら変わらない落着きと平静さで、サンクトペテルブルクの冬の空から静かに時に激しく舞い降る雪のように動くタクトの手は、10名くらいの白系ロシア人女性の演奏家たちの誰よりも白く輝いていました。

 数年前ですが、指揮者の小沢征爾さんがウィーン国立歌劇場音楽監督に就任されたことを思い出しました。CNNの質問に、I trust the orchestra. and The orchestra trust me. だと答えていらっしゃいました。(簡単な英語だったので聞き取れました) 人をまとめ、その気にさせ、行動させることで、大きなことができるわけですが、それには、まず相手を信頼することですね。
 しかし、まだ、すごい人々がいる。芸術に対する伝統と歴史の重みを誇りにしているヨーロッパのドイツ語圏オーストリアの人々。同じように、西本さんを受け入れたロシア音楽界の人々。(いろいろ意見はあるにせよ)人種や国籍を超え、極東のアジア人を、その最高の座に就かせる、器量の大きさ、柔軟さ、懐の深さ、・・・もう表現のしようがありません。

 映画「戦場のピアニスト」の中でナチス将校がユダヤ人のシュピルマンを放免した実話を・・・。また西本さんがロシア留学中、電車を下車しようとした時、(財布を忘れてか)車掌が無賃乗車だと思って警察に突き出そうとしたそうですが、サンクトペテルブルク音楽院の身分証明証を見せたら、そのまま放免してくれたとか。芸術の世界で生きている人の人間性を、信頼する気質があるんですね。
ジーズニの第二楽章はチャイコフスキー自身の作曲ではないが、僕の旋律に合っていてよかった。


2006年05/25 ゴルフ 青芝会
 久しぶりに会社時代の先輩や仲間たちとプレーをしました。何と言っても屈託なくプレーできるのが何よりです。
 年令を重ねてくると、年輪と一緒で年の功のようなものがでてきて、無理をせず理にかなったスイングをする人も居ます。70歳にもなる高齢者が、はるか彼方まで飛ばしたりすると、自分はまだ若いのだから、それ以上にと考えて無残な結果になってしまうことは、誰もが経験しているはずです。
 最高齢者は77歳、その年までプレーができると言うことは幸せなことですね。自分だけではなく周りを含めて、何もかもが揃っていないと、叶うものではないからです。
 今日は諸先輩とプレーをして、いろいろと自分への励みにもなりました。


2006年05/22 映画 Good night and Good luck アカデミー賞の作品賞にノミネート
 映画「ダ・ヴィンチ・コード」が日本でも、たいへん話題になっている今日、この「Good night and Good luck」がひっそりと上映されていた。この映画のことを知ったのは、昨年の暮れVOA Special EnglishThe Best of 2005 in Music, Books and Movies
で紹介された3作のうちの1作だったからだ。
 
 「赤狩り」に真っ向から立ち向かったCBSの人気キャスターだったエド・マローの放送番組を映画化したものである。今から僅か50年前、民主主義を豪語するアメリカ社会の中でさえ、この様なことが実際に起こってしまう、不安定な感情が漂っていたといえる。
 移民の国アメリカは人種のルツボで、お互いアメリカ国民だとは言っても、互いに何を信じて生きて行けばいいのか分からない社会構造があり、自己主張や自己責任を前面にだして生きていかなければならないところに起因しているのだろう。
 今年のアカデミー賞の作品賞は「
クラッシュ」だが、この映画も今までの作品賞とは異質で、アメリカ社会の背骨をなす個人主義、すなわち個人の人格、主義、主張を重視しながらも、自己の良心と自由思想の中で義務と責任を果たして生きること、その難しさを取り上げ、その中で民族や宗教の壁を超越した人と人の信頼関係の重要性を示した作品だと言っても過言ではない。
 人は自分の不安を解消するために敵を作ることで結束するところがある。お互いが仲間意識を持つことで安心したり、大義名分をかざして突き進むところに意志の疎通を感じたりする。人種が持って生まれた生き方の1つの方法でもある。アメリカが豊かさと力を持った時期から、いつも敵を作って、その標的のために多くの努力を払い続けてきた。今はテロが敵である。
 この映画は実際にアメリカで起こった事件として、良いところ悪いところ、光の部分と影の部分を赤裸々に捉えて、アメリカの生き様の1つを、21世紀になった今、アメリカに問い直しているのではないかと観ていて感じた。観客は10名ぐらいでまばらだった。

 余談だが、アメリカには「自由主義に対する正義があるから・・・」と主張することで、世界の中でリーダーシップを発揮し、強要する部分もある。善悪は別にして、もしアメリカが今のアメリカでなかったら世界はもっと不安定で無秩序な状態になってしまうだろうと、誰もが感じているのも事実だろう。
 


2006年05/15 愛知県美術館 木村定三の江戸絵画コレクション
 殆どが掛軸の本紙に描かれた墨絵であった。与謝蕪村が俳人としてだけでなく絵師としての辣腕ぶりを示していたこと。また、徳川4代将軍家綱、5代徳川綱吉の自筆の絵画を観ることができたのはよかった。
 木村定三さんは愛知県で財を成し、絵画のコレクションをした、3年前に15億円の作品を愛知県へ遺贈した人である。


2006年05/15AM 松坂屋美術館 水野美術館所蔵の横山大観 菱田春草 下村観山 川合玉堂
 明治維新後、西欧文明が押し寄せてくるなか、新しい西洋絵画に人の目が向き、このままでは日本美術そのものが跡形もなく消え去ってしまうのではないかと危惧したフェノロサと岡倉天心が、東京美術学校を明治22年に創設した。
 そこで、古典の日本画の素晴らしさを見せ付けようと、情熱を捧げた美術家たちの作品だけあって、日本の情景が、天才でなくては表せないような形や色使いで繊細に描き出されていて、子供の頃、田舎で見てきた四季折々の風景を思い出し、心落ち着く作品が多かった。
 横山大観は29歳の時「無我」を三作描き、大観を不動のものにした。「我の存在を否定する」意味を込めて描いた作品だが、描くことの本質を既に会得しているところがあり、いつまで観ていて飽きない。
 春の温もりのなか、童心の足元で咲く、紫の花をつけた”すみれ”、背景の川面に生える”ねこやなぎ”。無理がなく、何もかもあるがまま、身構えたところが何一つ感じられない。無我だけが存在している様子が伝わってくる。


2006年05/12 ゴルフ 愛友会
 練習と本番の違いは、俳句と連句のようなもので、よく似ているが、そこには大きな違いがある。一人で俳句を作っている心境と、四人で連句を作るときの心境は全く異なり負担がでてくる。一人でいるときや、気の会う仲間だけの集まりと違って、色んな相手とのCommunicationが、いつものような気持ちで出来るか、などなど・・・。
仕事でも遊びでも一流といわれる人は、自分の技量を状況の中で十二分に発揮できる「平静の心」を持っている。特に問題や非常事態に直面したときに、はっきり現れる。
 ゴルフでも同じであるが、一般の私達は更に、「誰とでも楽しむことができる大らかさ」が必要である。プレーの中で、自分が犯したミスに対するリカバー方法を覚え、自分をコントロールする精神を養い、自分の意識に喜びを感じるのがゴルフである。
 そんなゴルフ仲間が、春と秋にコンペを開催し半年間の練習の成果を披露することで親睦を深めている。今回は三重県の京ガ野GCを舞台に20名が競った。
一喜一憂しながらも同じ趣味を持った、いい仲間がいると言うことは幸せなことである。


2006年05/1 ゴルフ シーズン到来
 いよいよGOLFのシーズンが来ました。GOLFと言うスポーツは、その人の個性が出ますね。人格と言うか人柄と言うか。スコアにこだわる人、飛距離にこだわる人。まあ、いろいろいますが、頭の中で展開できる世界が広いと言うか、楽しむことを知っている人とは、何度でも一緒にプレーをしたいですね。今回の同伴者は自分が打った一打が、どの様な結果になろうとも自分のこととして淡々とプレーをすることができる、大人のプレーヤーでした。
 
 最近のニュースで、何百年か前のクラブを持ち出して、GOLFは我が国が発祥だなどと主張する国がありました。イギリスでは昔からルールやSportsmanshipが重視されていました。そのような考え方があったので、スポーツに限らず多くの制度が生まれ世界へ広まったのではないでしょうか。纏めて、それを広めていくことは、そんなに簡単なことではありません。ST Andrews golf links Trust

 また以前、誰かが大英博物館のことを戦利品の倉庫だといったのを覚えています。確かに略奪などをやってきたはずです。しかし、もし現地に遺品を残していたら、塵散りバラバラになって、後世の人の目に触れることはなかったかもしれません。収集された遺品を保管し一堂に展示し世界中の多くの人に文明の事実を伝えていくということも、そんなに簡単なことではありません。
 イギリスの良さはルールを作り、それを広めていくシステムを、いろんな多くの分野で作ってきたこと。そして、それを民族や国家を超えて受け入れさせてしまうような優位性を持っていたのだと思います。


2006年04/29 スキー
 ゴンドラやリフトに乗って私と同世代の白髪まじりの爺さんが滑っているのではないかと思って、眼下のゲレンデを見渡したがスキーやボードの若者ばかりだった。当たり前かもしれない。
 しかし、73歳になる友人の高橋さんは、シーズン中に4,50回スキーに行く、夏季でもローラースケートとストックで公園の坂道を利用してトレーニングをしている。昨年の夏は、コブをスムースに滑り降りる練習をするために、板を組み合わせて幅1m長さ2m高さ30cmの三日月橋のようなジャンプ台を自分で作って、ローラスケートでジャンプの練習をしていた。車道で危険なこともあったので、公園の管理人からクレームをつけられたが、本人はニコニコしながら、今年はバッジテストを受けると言っていた。

 サムエル・ウルマンが「青春という名の詩」の中に書いている。『青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。年を重ねただけで人は老いない。理想を失ったとき初めて老いる』 と。
 今になって思えば、若い頃、夢中になってスキーをしていて良かったと、つくづく思っている。楽しみの一つとして、健康であって滑りたいと思う気持ちがある限り、幾つになっても続けたいと思っている。


2006年04/15 名古屋国際音楽祭  西本智実 ロシア・ロマンの午後
 開演までの時間、席に座って、指揮者のことを考えていた。
 譜面で残された古典の規律をすべて理解したとしても、自分に自信があったとしても、楽団や観客を魅了するものがなくては全体を纏め上げることはできない。先ず思い出すのはベルリンフィルの指揮者としてクラッシック音楽界に君臨していたヘルベルト・フォン・カラヤンである。あの、凄しいまでの眼光や高尚な顔つきから、風格と言うか、Auraを感じたものである。

 学生時代から聴いてきたクラッシック音楽、最近では主にインターネットでロンドンから送られてくる
CLASSIC FMなどを聞流ししていた。今年になって、染み入る気持ちに変化させてくれたのが西本さんである。
 人に影響を与え、その気にさせてしまう人が今、女性に多い。日本中を興奮させた荒川静香さんの魅力も、形として持って生まれた姿や、スケートの中での流れに花を添えたツーランドットも。
今回、ムソルグスキー(ラベル編曲)組曲「展覧会の絵」がよかった。


2006年03/31 海         静岡県: 御前崎ー浜岡原子力館ー中田島砂丘
 冬のような冷たい気温のなかを強風が吹き荒れていた。海が見たくなり東名高速で焼津インターまで行って、海岸沿いの国道150と1号線で太平洋を見ながら帰ってきた。
 御前崎灯台の上から太平洋の荒波を静かな気持ちで眺めていると、思い出すことがある。

 18世紀ごろ日本は何故、外洋へと出て行かなかったのか? 何故、イギリスは出たのか? それについて、色々時代背景は有るのだろうがハッキリとは分からなかった。何年か前に、世界中を仕事で走り回っている友人の片岡氏に質問したところ、あっさりと明快に納得できるような話をしてくれた。
 海の時代、更に思い出す事がある。
 ネルソン提督です。ロンドンに行くとトラファルガー広場に記念柱が立っていて観光客は必ず訪れます。トラファルガー海戦のとき兵士を鼓舞させる English expects that everyman will do his duty. の名言を伝えフランス・スペインの連合軍に勝利した。この勝利を切っ掛けに、世界一の海軍国へと、そして植民地政策によって繁栄の道を突き進んでいった。
 同じようなこととして日本海海戦がある。この海戦で、もし日本がバルチック艦隊に敗れていたら、日本はロシア共和国の1つになっていただろう。山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之たちが日本を救ったと言っても過言ではない。このことは司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」や江藤淳の「海は蘇る」で物語れている。
 何故、日本はトラファルガー広場のようなものを作って、後世の人に伝えていくことをしないのか。靖国もいいが若い人には伝わらない。国の為に働いて功績を残した人たちを後世に伝える事は大切である。(大戦へと進んでもらっては困るが)

 また、同じような植民地政策で日本は失敗している。何故か?何がイギリスと違うのか? このことが日本民族の島国根性として、21世紀になった今も残っているのかもしれない。
 それはそうとして、広島県呉市江田島の教育参考館には、多くの若者が訪れてほしい。旧海軍の遺品、東郷平八郎やネルソン提督、山本五十六の遺髪、そして特攻隊で死んでいった若者が両親へ宛てた最後の手紙などが展示されている。


2006年03/26 指揮者 西本智実
 昨年のいつ頃だったか忘れましたが、TVのチャンネルを切替えていると、この美人が出ていて目に留まりました。それが最初でした。
話を聞いているうちに、話し方に無駄がなくLogicalで明確に答弁していて、品格と頭脳の明晰さが直感的に分かりました。
美貌で才能と魅力を備えている、こんな素晴らしい日本人が居たのかと思って見ていました。その後、西本さんについて色々と調べてみて、然もありなんなと思いつつ、一気にファンの一人になってしまいました。

 この日、指揮台に立ってタクトを振る西本さんを最前列の右手3mぐらいの席(コンサートマスターの辺り)から見上げ眺めていました。ストラヴィンスキーの「火の鳥」や、チャイコフスキーの「交響曲第4番」など、どうでも良かったと言うか。本来なら演奏会ですから聴くべきでしょうが、観に行ったような気がします。

 来月は彼女の指揮で名古屋フィルハーモニーが演奏するムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」を聴きに行きます。ロシア音楽界が絶賛する西村さんを、今度はしっかり聴きたいと思っています。


2006年01/4 映画 Always 三丁目の夕日
 団塊の世代です。勉強をして、就職をして、働くことが当たり前であった。働くことで、それなりの収入が得られ、それで欲しい物を買い、好きなことをし、喜びや、豊さを感じてきた。
 しかし人々はお金を得ることに、本気になり過ぎ、時間を使い過ぎ、自分や家族や人を犠牲にしてきた。朝6時から出かけ夜9時頃の帰宅が何十年も続いた。それぞれが、懸命に働いて生きているのだからしかたないと、思っていたが、どこかで寂しい思いをしていた人が、両親や家族の中にいたのも事実です。
 そして日本は経済大国になったが、お金がなければ何もできないし、生きることさえできない国になってしまったことも、事実です。金銭至上主義によって、形振り構わないことをする人が増え、格差が広がってきた。
 蟻さんも蜂さんも懸命に働いているが、自然の摂理に合わせた働き方をしている。
 この映画は人間が働き、生きていくことの本質を、意義を物語っていて本当に良かった。


2006年01/01  初詣
 例年になく12月から寒い日が続いていたが、今日だけは11℃と暖かく、初詣の神社巡りにはちょうどよい日になった。
四谷通2の”桃厳寺”から末盛通の”城山八幡宮”、”日泰寺”、”川原神社”、”興正寺”をワン君と一緒に4時間かけて歩いた。
 無神論の私は、ご利益も期待しないし、神頼みもしないが、森羅万象というか万物へ、無事に過すことができたことへの感謝の意味をこめて、初詣をすることにしている。

 戦後の成長期には余りなかったような、いろんな問題や事件が起きている。しかし、世界を見渡せば日本よりも、もっと大変な国がいっぱいある。大都会と言われるロスアンゼルスでも、ロンドンでも、マカオでも、上海でも、ソウルでも、表通りから少し裏に入った通りを歩いてみると、懸命に生きている人たちがたくさんいて、大都会に住んでいるとはいっても、決して平和で楽しく、豊に安定し安心して暮らしている人ばかりではなかった。
 しかし、そこで見かけた人たちに共通していることは、生きていることを享受しながら、未来への不安に怯えたり、過去を振り返ったりせずに、今を精一杯、充実して生きているエネルギーがあった。
 今年は戌年でもあるワン君と歩きながら「どうせ順風満帆ばかりではないのだから、どんな時でも明るく前向きに、そして何とかなる」と考えることだと自分に言い聞かせた元旦であった。