過去の備忘記

2007(H19)年の備忘記

2006(H18)年
2005(H17)年

Index
2006(H18)年

12/30 映画 フラガール
12/20 中野振一郎のバッハ
12/02 四大浮世絵師展
11/30 スクロヴァチェフスキ
11/29 エルミタージュオーケ
11/28 県立芸術大学 定期演
11/27 ゴルフ愛友会 京が野
11/13 ゴルフ 小原CC
11/03 MIHO Museum
10/11 県立芸術大学定期演奏
07/22 M氏 のHole in one
07/17 茂木健一郎脳と創造性
07/16 國弘正雄アメリカの品
07/15 中坊公平生きること
07/10 Golf 新陽
06/27 Niki de saint phalle
06/25 豊橋交響楽団定期演奏
06/07 ロシア交響楽団
05/25 ゴルフ 青芝会
05/22 映画Good night and
05/15 愛知県美術館木村定三
05/15 水野美術館所蔵の横山
05/12 ゴルフ 愛友会
05/01 ゴルフ シーズン到来
04/29 スキー
04/15 名古屋国際音楽祭
03/31 海 御前崎中田島砂丘
03/26 指揮者 西本智実
01/04
 映画Always 三丁目の
01/01 初詣


2005(H17)年
11/21 ソウル
11/02 徳川美術館
10/02 映画 蝉しぐれ
09/19 EXPO Asia POP
08/07 宇宙からの贈りもの
08/07 東山魁夷展 メナード
07/16 ボストン美術館の巨匠
07/13 EXPO アムール タカ
07/02 講演キートン山田
06/29 知られざる昭和篠田正
05/29 EXPO 青春のグラフ
05/25 名古屋市バス 大人と
05/19 蝉しぐれ 藤沢周平
05/18 ルーブル美術館所蔵 
05/14 祖父になる
05/04 自然をめぐる千年の旅 
04/21 EXPO
04/05 平成の洛中洛外 平山
03/26 宝塚歌劇マラケッシュ
03/04 講演可能性をつくる
03/04 万国博覧会の美術
02/28 上海  写真集
02/15 ロートレックとモンマ
02/12 映画 Ray
02/09 第36回日展
01/03 鍋パーティ
01/01 初詣


10/16 音楽:神尾真由子 チャイコフスキー国際コンクール優勝記念凱旋コンサート 愛知県芸術劇場コンサートホール
08/24 音楽:第5回トヨタ輸送 アンコールコンサート
07/25 音楽:小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト[ ビゼー:歌劇「カルメン」 スーパークラシックコンサート2007
07/22 音楽:ドルチェ弦楽合奏団 第29回定期演奏会」
07/11 聴講:グローバル化の向こう側 浜 矩子 -教科書が教科書でなくなる時
07/07 観戦:日本アマチュアゴルフ選手権 愛知CC
05/22 美術:ダリ展
04/10 美術:安野光雅の世界
03/22 美術:シャガール版画展
03/21 祝賀:上海老飯店
03/21 美術:両洋の眼展
03/21 音楽:名古屋国際音楽祭 ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
03/11 美術:NHK 新日曜美術館「あの名品とあの名場面に会える 日曜美術館30年展から」
03/08 映画:Dreamgirls
03/04 観覧:ランの館 MIDLAND SQUARE 名古屋市美術館 常設展 平成「梅花の宴」展 院展
03/02 聴講:人間力を育てる教育改革〜此の侭では日本は融けてなくなる」高橋宏
02/17 特記:耳順
02/09 美術:日展
01/30 美術:大エルミタージュ美術館展
01/14 参詣:熱田神宮
01/02 団欒:新年会
01/01 初詣:

2007/10/16 神尾真由子
 チャイコフスキー国際コンクール優勝記念 凱旋コンサート 
愛知県芸術劇場コンサートホール
  先日、NHKのハイビジョン特集の番組: 『「強く強く・バイオリニスト・神尾真由子21歳」チャイコフスキーコンクール優勝▽天才の秘密』を観ました。
2時間の番組の中で、いろんな質問を受け、それに対して一つ一つじっくり考え、ゆっくりと、落着いて答えていました。その答弁に、私も「なるほど、その通だな」と納得させられることが多く、21歳とは思えない達人の考え方に感心し、トッププロに共通する聡明さを感じました。

今日、彼女の凱旋コンサートを聴く機会がありました。
学生時代からLPレコードを始め、カセット、CD、iPODとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を何百回も聴いてきましたが、実は生演奏は初めてです。愛知県芸術劇場コンサートホールで演奏が始まると、楽器から発せられる音響が広い空間の中で交響し始めると、生の響きに全身が感動で身震いしてきました。矢張り生には敵わん。
神尾さんから10メートルぐらいの所で聴いていましたが、21歳の若いエネルギッシュな手先の動きに追随して、サントリーから貸与されている小さなストラディヴァリウスはホール全体に響きを発して見事に応えていました。
聴きながら、ソロのバイオリニストは凄いと思ったことがあります。6分間も続くソロ演奏でありながら目の前に楽譜がない。ピアノのように、所謂カンニングができない。(よくは分からないが)
それと人間て本当に凄い、才能あるものが成しえることなのだろうが、それにしても時を超えて、場所を超えて楽器と奏者と楽譜が織り成す音楽、人間の整合によって初めて叶う素晴らしさに今日も感心させられてしまいました。
近年は好きなクラッシック音楽の中でもチャイコフスキーの曲の美しさに惚れています。


2007/08/24 「第5回トヨタ輸送 アンコールコンサート」
 M氏の招待で、小林研一郎指揮、名古屋フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。今回のコンサートは「お客様を楽しませるクラッシック音楽」、そして「指揮者も楽しむ」とでも言う様な、謂わば、堅苦しさと言うか、重苦しさを払拭した、「コバケン」独自の演出に、観客一同が見事にハメられてしまったようだった。
しかし、それだけではなかった。世界で活躍する一流の独奏と独唱者が観客の脳波を高揚させ、高品位な所まで誘った。
小林亜矢乃は寸分の狂いもない指の動きをピアノに叩きつけ、ピアノは必死になってそれに追随し、研ぎ澄まされたグリーグのピアノ協奏曲イ短調を響かせた。娘の演奏にコバケンの顔には悦びと嬉しさが滲み出ていた。
崔岩光(サイ・イエングアン)のソプラノと、佐野成宏のテノールも、また素晴らしかった。二人の圧倒するような声量と堂々とした詠いっぷり、歌劇十八番の美味しい所を抽出しした(オー・ソレ・ミオ、ペールギュント、トスカ、魔笛、椿姫)お馴染みの曲に酔いしれ、多くの観客がアリアの迫力ある響きに聴き入った。
誰もが素晴らしいと心地好く感じる部分を知り尽くしていて、その部分を執拗に刺激してくるアリア、また味わいたいと望む人間の本能をも見透かしているようだった。お見事と言うしかない。

人の声を声域と声質で定義し、音階と音符によって音の高さと長さの数値による規律の中で歌詞を発声させる。ある種の才能ある者だけが成しえる声楽を、音響の一つとして器楽と調和させた歌劇。数百年も前にシステム化したヨーロッパ人の統制と感性の凄さに驚きを覚えるのは私一人ではないはずだ。
それと、映画「戦場のピアニスト」のように、芸術に携わる才能を慈しみ、人の生き様として美的で崇高な職種であると誰もが思う、そのような社会風土があったからこそ出来たのだろう。
芸術であれ、スポーツであれ、仕事であれ、何でも、人は五感に+アルファーした六つ目の感覚による悦びを幾つか持っていることで、生き様が大きく変わってくるような気がします。
心にいつまでも残る夕部(ゆうべ)になりました。


2007/07/25 「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト[ ビゼー:歌劇「カルメン」 スーパークラシックコンサート2007
 小澤征爾さんの生は初めてです。9月で72歳、いろんな部位の老化で体調を崩されたとのニュースを聞いていましたが、3時間にも及ぶ指揮をもろともせず、全体が活気に満ち溢れていました。聴き慣れた馴染みの曲が今日は一段と切れ味鋭く、引き締まって聴こえてきました。素晴らしかった。
人は自分を必要としている人達から活力を貰うようなところがありますが、きっと小澤さんのエネルギーは世界の多くのファンや演奏家たちから貰っていらしゃるのでしょう。

 若干24歳、自分の才能だけを信じて、クラシック音楽の伝統と歴史の重みを誇りにしているヨーロッパへ出て行った小澤さん。ブザンソンで、人種や国籍や年齢には全くこだわらず、才能ある極東のアジア人を、その最高の座に選んだクラシック界の人達の器量の大きさ、柔軟さ、懐の深さを・・・、更にヨーロッパ民族が持つ
Principle、優れた人がリーダーとなって組織を指導し発展させる理念から小澤さんを世に送り出してくれたカラヤンバーンスタインをはじめ多くの先人たちの主義を・・・、そして30年にも及ぶボストン交響楽団BSOの音楽監督を務めたこととタングルウッドTanglewoodでの若者の育成の思いを・・・、小澤さんは心の中に深く刻まれていらっしゃるのでしょう。
 今日もまた、若い頃の小澤さんと同じように多くの若者が自分を信じて挑戦していました。
そのような若者へ手を差し伸べ、世に送り出そうとしている小澤さん。
半世紀も前に、小澤さんの才能を認め受け入れてくれた欧米クラシック界へ恩返しをしようと、若者と一緒になって懸命に努力している姿が、本当に本当に素晴らしかった。

 劇中の欧州人達の体格、迫力、声量は凄まじいものがありました。歴史の中で洗練されてきた人達が持っている風貌や仕草が演技の中にも自然な形として染み出ていました。歌劇役者としての歌唱と演技の両面に個性と品格、そして選ばれた者が持つ自信が、姿態に漲っていました。
個人的にはミカエラ役のケイティ・ヴァン・クーテン(katie van kooten)のソプラノの独唱の響きが凄く印象的でした。しかも長身で美人・・・。いいー

欧米クラシック界は地球人だ! そして一流人は一流のことをする、
noblesse obligeの気概を大事にしているに違いない。


2007/07/22 「ドルチェ弦楽合奏団 第29回定期演奏会」
 弦楽器の響が何とも言えず心地よく大好きです。
ドヴォルザークの「弦楽セレナーデ ホ長調 作品22」を聴きたくて行きました。当然、指揮者の真後ろの最前列の席です。
CDでのステレオやスピーカーがどんなに良くても、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの合奏による演奏会での広がりと奥行きのある立体的な空間の中で、それぞれの楽器から溢れ出る生の響には敵いません。
ドヴォルザークが35歳1875年に作曲したそうです。(私が大好きなチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ ハ長調 作品48」が1880年、40歳のときに作曲しています)
明治維新から7年の頃。確かに西欧列強に肩を並べる国家を築きたいと思った、岩倉具視たちの気持ちが分かります。


2007/07/11 「グローバル化の向こう側」 浜 矩子 -教科書が教科書でなくなる時
 歯切れのいい口調で分かり易く、内容が理路整然としている。理工系の頭脳明晰な人が自分の理論を解説しているようなところがある。
話す内容のIndexを明確に述べ、筋道をしっかりと分かり易く展開させて興味を誘う。引き込んだところで比喩的な話、所謂、誰もが知っている内容や、歴史上の出来事をいくつか取り上げながら理論を展開させてゆく。具体性があるだけに聴衆の殆どは、「なるほどその通だ!」と納得させられてしまう。話の組立てがきちっとできていてLogicalで無駄がないから「口述の美学」を感じる。
その上、話の展開がChange upではなくStraightで直に脳裏に入ってくるため怖さがある。そのため構図の中の矛盾を見出すには同等レベル以上の理論家でなければ敵わないだろう。レーニンやスターリンを彷彿とさせる政治思想家でも通用するような女性であると思いました。
 限られた時間の中での講演であるから仕方ないが、過去完了形の歴史観のTraceから現在進行形上の現象論まできたのだから未来志向型推論でのGlobal経済の在り方へ発展すると、より面白くなりそうな気がした。
 今までこれ程の明晰な女性に出会ったことがない。それだけに、聴きながら、はしたないことを考えていた。脳の性差があるとすれば逆ではないか。きっと左脳が一般の女性よりも凄く発達しているに違いない。この様な女性を口説くには、どの様な論法が最適なのか? 彼女が不得意とする分野は何なのか? 論法に自信がない。う・・・む・・・最後の手段、男として彼女の大脳皮質を突き破り、いっきに内部をStraightに刺激する「行動の美学」でもって体当たりするしか・・・?
いずれにしても凄い女性です。


2007/07/07 日本アマチュアゴルフ選手権」 愛知CC
 久しぶりにHPに掲載したい感動がありました。
今日の決勝の場に自分を置くことできて良かった。そして一人の選手から忘れられない感動を受けた一日になりました。
スポーツマンシップの下で、自分の夢を実現させようと限りを尽くしている真摯な姿に私を含め多くのギャラリーが感銘を受けました。
イギリス紳士を彷彿とさせる43歳の田村尚之選手の体力技力気力には中高年のギャラリーの多くが異口同音に褒め称えていました。日頃から努力し鍛えあげているだろうと思える、スリムで無駄の無い体型からは想像を絶する強烈なショットが放たれていました。
既に朝7:30から36ホールを過ぎ41ホール目、10時間を超える頃、体力技力気力に於いて全く互角の状態が続く中に運力が加わりました。小林選手のチップインバーディーに田村選手のチップインが外れるや、帽子をとって20歳の小林選手のところへ進んで行って握手を求め勝利を称えました。
午後からの後半18ホールを観戦した私の万歩計は2万歩でした。選手は一日のプレーで多分4万数千歩は歩いているはずです。今日で5日目・・・。
クラブハウスへ歩いて戻りながら思いました、乗用カートに乗って80台が出たとか自慢していることが浅ましく身の程知らずなことだと・・・。
ゴルフに限らず、直面した状況を冷静に受け止め焦らず自分を信じ対処できることの重要性を人々はよく知っています。また人間の本質は順風満帆の時ではなく状況が悪化した時や負けそうになった時や負けた時に、その人の本質が出ます。反対に自分がそのようになった時に、相手がどういう態度になるかで相手の本質を知ることもできます。
ゴルフの魅力は体力技力気力の競い合いも然ることながら、自分がショットした結果に一喜一憂することなく自分のこととして真摯にプレーする人間性に魅せられるところがあるように思います。


2007/05/22 ダリ展
 今日も一切の解説文を読まず、絵画だけを観て回りました。そして感じたことは、ダリは人間が生まれながらに持っている本能的な深層心理の中にうごめく感情を絵画の中に描きだしたかったのだろうと思いました。
 人間は成長とともに社会のルールを押し付けられ、それを守るよう強いられるところがあります。所謂、ある種の枠の中で生きてゆく手段みたいなものを教わります。それを人間の出来具合として評価したり、道徳だとか教養だとか人格だとか言っていますが、いろんな状況の中で人間の内面がむき出しになるのも事実で、自分らしく生きることとは何かを考え、そのことと向き合って葛藤したり悩んだりします。誰しも一度ならず、ある(あった)のではないでしょうか。(その種の文学や映画はたくさんありますが)
 人は感情の抑制よりも、欲望が勝った時の自分を想像したり、そうしてみたいと思ったことが、きっとあるはずです。良くも悪くも世俗的な人間社会の中で、人々は本来持っている欲望や欲求に従ってきたからこそ、ここまで繁栄し生き長らえてくれたのだと思います。
 それが人間の宿命みたいなものだとすれば、それを負の領域のことだとか、影の部分のことだとして封印してしまうべきではないとダリは考え、見た目の美しさだけを追求する絵画に一石を投じたかったのではないかと・・・。


2007/04/10 安野光雅の世界
 国鉄のキャンペーン「いい日旅立ち」(山口百恵さんが歌っていた)で西の小京都として津和野が紹介されていたことがありました。また「花神」を読んでいて大村益次郎が石州口へ出陣したときに津和野を通ったことなどで興味があり、30年も前のことですが帰省した折に津和野を訪れたことがあります。
 町内の水路には飛騨古川と同じように鯉が泳いでいて、森鴎外や西周の古里でした。津和野は何も無い山間の谷底のようなところでしたが、日本を代表するような人物を多数輩出していました。「人は場所ではなく志なのだなぁ」と思った記憶があります。安野さんも津和野の出身です。安野光雅美術館
 いつものように、ひと通り鑑賞して思いました。安野さんの観察眼の鋭さと、表現に手抜きをしないエネルギーのすざましさ。そして色合いというか構図というのか、なんともいえない穏やかさ素直さのようなものが全ての絵に溢れていました。


2007/03/22 「シャガール版画展
 重なり合う男女、抱き合う男と女、女性(妻)を崇拝するような絵がいくつも描かれている。絵としての上手さや真似が出来そうもないような技巧があるとは思えない。どこかの小学生が描いたのではないかと思わせてしまうような感じさえする。しかしながら、このたくさんの同じような絵を観ていると、心の中にある気持ちを描こうと懸命になっている思いが伝わってくる。
技巧や絵具に拘っているような気がする現在の絵画にはない、簡素ながらも人が持っている本能のようなものを絵で表そうと自然に手が動いているようで、素直な気持ちで眺めることができました。
ただし、一つの作品を選ぶには、これだと決定づける何かが欠けているようにも感じました。


2007/03/21 「上海老飯店
 「島に春が来ると・・・、花が咲き鳥たちが空を舞い始めた・・・」 渋い声でゆっくりとナレーションをする宇野重吉は「ルビーの指輪」を歌った寺尾聡の父でした。小学校の講堂で文部省推薦の記録映画を見せられた時の記憶です。その時は「うちの軒先でもツバメが同じようにやっているよ」という程度の気で見ていました。
 今になって思い出すと、塾に行くこともなく田舎で育った山や川、田圃や道など・・・、その中でいろんなことを学んでいたような気がします。

 卵から雛になると親鳥は田圃の上空を飛び回りながら休むこともなく、せっせと虫を採ってきては食べさせています。 
親鳥が虫をくわえて巣に戻ると5,6匹いる雛たちが、われもわれもと口を頭と同じくらい大きく開き巣の中で騒ぎますが、親鳥は順番に虫を食べさせています。そんな日々が続くうちに、雛は徐々に毛が生えて、大きくなり、しきりに羽ばたきの練習を始めだします。
 そして、田植えが終わり稲が30cmにも伸びた頃、親鳥は全く餌を運ばなくなりました。雛鳥は空腹のために騒ぎ、暴れますが、親鳥は近くから様子を伺いながらピーピー鳴いて飛んで来いと促しているようで、二度と餌を運ぼうとはしませんでした。
 自然界の中で生きていく術(すべ)は、自分で空を飛び、自分で虫を採るしかない。
そのためには雛鳥が勇気を出して巣から跳び出して行くしかない。
親鳥は餌を与えず何時までも待っていました。そのうち育ちの良さそうな一匹が巣から飛び立ち、それに続き残っていた雛鳥が次々に大空へ飛び出していきました。

 年が明けて梅雨の頃になると、昨年巣立っていったツバメの子鳥が大きく逞しく育って帰ってきました。そして、今年も同じように田圃の柔らかい土と枯草を何度も何度も運んできては玄関の軒先に巣を作り始めていました。


2007/03/21 「両洋の眼展
 東洋の眼でもなければ西洋の眼でもない「両洋を貫く二つにして一つの総合的な人間の眼」というのが展覧会の趣旨らしい。
(画家)人は環境によってつくられるという、何処で育ったとか、どんな環境で成長してきたかとか、どんな目に遭ったかで人の考え方は変わってくる。所謂、自然の要因からである。更に、ダーウィンの進化論でいわれている二つの自然法則がある。変異によって偶然に稀に有益が生じることがあるということと、競争原理で勝者が生殖のチャンスを得ることで優れた遺伝子が繁殖する。
洋の東西を問わず、いい作品を生み出すには、自然の要因、異変、競争が不可欠なのだろう。
 (鑑賞者)人は同じものを見ても聴いても、その人によって受け止め方や影響がかなり違う。電波を受ける感度や震度の強弱だけではない。現在のように情報が洪水のように流れ氾濫している中で、物事の真実の姿を見抜くことができる心の感覚を磨くしかなさそうである。これにも自然の要因、異変、競争が影響を与えていることはいうまでもない。
「パリの朝」という作品が一番よかった。


2007/03/21 「名古屋国際音楽祭」  ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
 プログラムはリヒャルト・ストラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」とアントニン・ドヴォルザーク交響曲第9番ホ短調「新世界より」でした。2階席の右手正面からズービン・メータさんの右顔を見ながら聴きました。今年70歳、男として本懐の人生を歩んできた自信に満ち溢れた貫禄の指揮を感じました。
 映画「2001年宇宙の旅」の冒頭のソーンで流れた序曲はお馴染みです。20年ぐらい前ですが当時シカゴ大学の宗教学の教授であったロレンスEサリバンさんが我が家にいらしたときに、この曲がたまたま流れてニーチェのことやゾロアスター教のことを話されましたが、殆ど聞き取れずに分かったような振りをしていた記憶があります。その後サリバンさんはハーバード大学の教授になられました。14年ぐらい前になりますがボストンの自宅に家族5名で2泊させてもらい、ボストン市やハーバード大学を案内していただきました。そんなことを思い出しながら聴いていました。
 「新世界より」は大学生の頃にLPレコードを買って聴きました。クラッシックと言っても小学唱歌で聴いた親しみのあるリズムが流れ、新たな世界で生きていこうとする人々の気持ちが現れています。情景を想像すれば、夕日が西に傾き地平線へ沈もうとしている中を、人々は一日の労働で疲れてはいるものの、今日一日に満足し夕餉の待つ家路へ静かに向かっているような風景が眼に浮かんできました。穏やかな時の流れの中に優しさと幸福感がみなぎって来る様な雰囲気が好きで何度も何度も聴いた記憶があります。


2007/03/11 「NHK 新日曜美術館「あの名品とあの名場面に会える 日曜美術館30年展から」
 日曜日の朝9時、NHKの教育テレビを20年間ぐらい見ています。今日は表題のタイトルで放送されました。
 この番組を見るようになった切っ掛けは、39歳にもなってからですが、ホテルで昼食をしているとき美術の話題になりS氏がこの番組のことを話しました。そのことを聞き逃さず翌日曜からその番組を見始めました。
人との出会い、人との話し合い、この大切さを今でも思っています。もし、このことがなかったら、この番組を知ることがもっと遅くなったかもしれないし、見ることがなかったかもしれません。
 20年も見てきたわけ?簡単ですよ。好きだったから。それもありますが、本物を見たいと思わせる動機をTVが導いてくれることでしょうか。それと画家は何を考え何を思って何を訴えたくて制作したかなどを同じ視線になって眺め考える気持ちにさせてくれること。(人から、こうですよ、ああですよと押し付けられることが大嫌いだった)
同じ人間として絵画を創作する画家の意欲、執着、粘り、執拗さなどの凄さ(エネルギー)を貰えること。それと画家が歩んだ生き様や背景・・・、いろいろありますが何と言っても、画家が持っている素直さを感じるからでしょうかね。
 絵が好きになった理由は、小学校の頃に始まります。図工の時間にクレヨンで画用紙に絵を描いて教室や廊下に貼り出す授業でした。勿論、クラス全員の時もあれば、優れたものを貼るときもありました。そんな時、いつも選ばれて貼り出されていたことが挙げられます。それと通信簿で優がもらえる唯一の教科だったことです(そんな欲は全くありませんでしたが)。だた今から思い出だしても、描いているときだけは集中していたことと、そして気負わなく描いても先生がいつも褒めてくれたことが中学高校まで続いたことでしょうか。

 余談ですが、同じようなことが読書でもあります。
中学校の図書館で面白そうな本を探していたとき、皆から優秀だと言われていた一級上の先輩が「俺はこの中学校の図書館の蔵書のほとんどを読んだよ。自分の体験だけでは、たかが知れているだろう。それを補ってくれるのが読書だよ」と自慢げに、そんなことを言ったのが、読書の楽しさを知る切っ掛けになり漫画にさよならをしました。
その後、年頃が読む小説や文学書を読んでいましたが、歴史ものは全く読んでいませんでした。20才代後半の頃、客先で私より3歳くらい年上のT氏が歴史小説の良さを話してくれ、吉川英治の「新書太閤記」を薦めてくれたことが切っ掛けでした。それから、歴史小説の面白さが段々と分かってきて、司馬遼太郎の「燃えよ剣」で決定付けられました。


2007/03/8 映画 Dreamgirls
 凄くよかった。
アメリカのショービジネス界を舞台に、自分の才能を信じ、そこで伸し上ろうとする黒人たち。音楽にかける情熱で確執を生み、それぞれが自覚する才能とビジネスとの格差で栄光と挫折が生まれる。成功を求めれば求めるほどと失ってしまうものも増えてくる。
 アメリカ社会の中で黒人たちに付きまとう差別、やるせない気持ち居た堪れない気持ちを紛らわせ支えてくれる唯一のものが心(SOUL)の音楽。苛まれた人達でなければ分からない気持ちを音楽にぶっつけ、自分たちの心を表現しようとした音楽が広まれば広まるほど理解者やファンが増えれば増えるほど、本質とはかけ離れてしまう音楽に苦悩する。SOULをとるかビジネスをとるか。
 アメリカのショービジネス界に台頭する黒人音楽を背景に、夢を求めて懸命に生きる姿をミュージカルとして聴かせ、彼らの気持ちを余すところなく表現している。見事というか懸命に生きる姿には感動します。
 ほとんどが黒人ばかりのキャストで構成され、今回のアカデミー賞で助演女優賞を獲得したJennifer Hudsonの歌唱力は圧巻でした。全員凄い。本当によかった。

ふと、思い出した詩があります。
(早期退職し新たな事業を始め、藁をも掴む思いでいた頃、手を差し伸べてくれた社長の会社の社是でした)
本気ですれば、大抵のことは出来る。
本気ですれば、何でも面白い。
本気でしていると、誰かが助けてくれる。

ジェニファー・ハドソンに当てはまる詩のように感じました。


2007/03/4 「ランの館」
 日曜とはいっても、さすがに夕方の館は閑散としていて、それがかえってよかった。秋篠宮様が植え替えされたランが可憐に咲いていました。
 しかし、規模が小さすぎます。日本人は小さくまとめる才能を持った民族のような気がします。確かに資源の乏しい小さな島国だから材料を少なくして、こじんまりと仕上げる技は特技です。仕方がないのかもしれないが、考え方がそうなんでしょうね。東海の小島の磯野の白砂に我泣きぬれて蟹と戯る。段々とフォーカスしていく。

 

MIDLAND SQUARE 内覧会の招待券が来たので行きました。
先ずは、地下1階から4階までのショッピング&レストランへ、4階には「上海老飯店」が出店していました。余談ですが一昨年上海へ行ったとき、上海老飯店のウインドーにクリントン大統領夫妻がで食事をした写真やメニューが張ってありました。130年の歴史がある上海でも超有名な飯店なので思い出にしようと夕食のリザーブをして上海料理を食べた記憶があります。量が沢山あり、そんなに高くはなかった。

5階は全席革張りのシネマ館、すでに上映していました。


44〜46階のSky Promenadeへは超高速で、しかも静かで安定感のあるエレベーターで、42階まで一気に上がりました。700円の入場券が必要でしたが晴天にも恵まれ名古屋市内をはじめ三重県の鈴鹿山系から豊田の猿投方面までが展望できました。
    

 



一旦、地下1階まで降りて再度41,42階のスカイレストランへ、
名古屋へは初めての出店という「吉兆」。
うーむ、社用族か金持ちか恋人には楽しめそうだなぁー。

 

2007/03/4名古屋市美術館 常設展
 エルミタージュ展の半券として常設展のチケットが残っていたので入館しました。
川合玉堂の「秋嶺白雲」が観たかったからです。
冬はスキー、春や秋はゴルフ、夏は登山を楽しんでいますが、信州や岐阜の四季折々に変化する山々を見ていると、玉堂の描く山河は、美しい日本の自然と、そこに暮らす人々の姿を描いていて心が落着き、いつの日か描かれた山や里に行ってみたいと思わせてしまうところがあります。きっと玉堂は心底日本の自然の風景が好きで好きでしかたなかったのだろうと思います。

平成「梅花の宴」展 松坂屋」
 私の美術観覧方法を話しますと
「館内の展示の中で一番気に入った作品を一作だけ差し上げますよ」と言われたと、想定して観ていきます。
作品の解説など誰が描いただとかは一切読みません。先ずは入口の作品から順次眺めながら最後まで観ます。そして、もう一度入口まで戻って絞込みをします。もし貰えるなら、この作品だなぁ、と一作に絞り込むんですが難しいときがあります。「大観」、「郁夫」などいう字が目に入ると、心に迷いが出て、ひいきになってしまう。

 作品は勿論ですが観覧している人たちも、ついでによく観ます。どのような身なりをし、どのような歩き方をし、どのような風貌をしているか、大体人物が分かりますね。夫婦や友達と一緒に来て話している声の質や内容などが聞こえたりすると、どの程度かも分かりますね。
 そんな中で不思議な光景をよく目にします。今回は余りにも多勢だったので、こんな論評になってしまいました。展示会入口の趣旨説明文に始まり、各作品を鑑賞するよりも先に、其々の作品の解説文を時間を掛けて懸命に読んで、読み終わると作品を少し眺めて次に進む、そんな人が多いこと。自分がどう感じるかが全くない。頭で考えるよりも解説を読んで理解する方が楽で分かり易いかもしれませんが、それはあくまで解説者の考え方で、作者とは関係ない。本末転倒で本当に不思議・・・
 作品を観て自分の心で感じ、自分なりに評価し、鑑賞し楽しむ。そして補足として解説を読み自分が受けた印象と比較する。人を見る目も、審美眼も等価で、重大な決定をするときでも意外と「心眼」というものが重要なのだが・・・。
確かに世の中には左脳中心の人が多く、文字が好きで活字を全て信じる人って沢山います。まあ幸せかもしれないけど。
 横山大観の「暗香浮動」、上村松園の「娘」、速水御船の「紅梅」がいいなぁ! さあ、どれにしようかなぁ。

院展 (名古屋展) 」
 これだけの大作がありながら、名古屋三越7階の通路の如き展示場では余りにも狭く、作品がかわいそうである。
それはそれとして、私は田舎暮らしだったので、絵画鑑賞にもその影響がでてか、どうしても自然の里山の風景が好きです。
千村俊二の「待春」は白樺林と積もった雪の構図と色合いが凄くよかった。真冬に八ケ岳連峰の天狗岳に登山をしたことがあり、そのときの風景を彷彿とさせるようでした。
杉村眞吾の「冬の衣」は光と雪と古木の影が志賀高原で春スキーをしたときに見た景色のようで懐かしかった。
清水達三の「翠響」は緑に染まる山から燃え上がるような霧と川の流れが信州乗鞍岳のスーパー林道のどこかで見た山並みのようで和めました。
田渕俊夫の「夕想」は月に照らされた中国の墨絵のように幻想的な山がよかった。
そんな中で、
芝康弘の「雨間」は少年が雨宿りをしながら、まだかなぁと空を見上げている横顔の素直さが、私の友人で今は消防レスキュー隊で活躍の小牧君にそっくりで凄くよかった。

 


2007/03/02 「人間力を育てる教育改革〜此の侭では日本は融けてなくなる」高橋宏
 高橋さんの講演を聴きながら思いました。企業人としての生き様も、一人の男としての生き様も、誰もが納得してしまうようなものを持っている人だと。それは、学歴がいいとか、頭がいいとかではなく、明るく前向きで、どんなことにも逃げず冷静に対応する能力や勇気、それに対して正しい判断力ができる人物だと感じました。端的にいえば大脳と脳幹の両方が優れている。今回のテーマのように人間力がある。イコール、それは魅力を備えている人だと。
 教育改革について見事なお話をされました。
日本の教育のことは、誰もこうすべきだと言う考えを殆どの人は持っているし分かっていると思うが・・・、
人間社会には文字や数字の教育の場からだけでは学べないものがあるのだから
自分を守らず、恐れず一歩前に踏み出すことで、始まるものがあるのだから

 歴史をみると、人間が持っている覇気とか活気とか気力とかなどの気質は善であるとか悪であるとかに関係なく発揮されるため、弱肉強食の世界になったり、勝ち組や負け組に分かれるてしまうところがあります。一般的な社会の中でも、能力の優劣で格差や貧富の差が出てしまう。程度の差や違いはあれ、それらが共に存在しているのが人間世界の現実です。
 だが、問題は立派な教育を受けたリーダー達がフェアーでないことをする。(日本の中で起きているいろんな事件は全てこれですね)
所謂、大脳は鍛えられてきたが脳幹が鍛えられていない教育を受けてきた連中。(大脳は強いが脳幹が弱い)

 この前、NHKの衛星放送で映画「第三の男」を見ました。中学時代から何度も見てきましたが、映画史上いつまでも残る名作だと言えます。
希釈ペニシリンを闇市場で売りさばいて金儲けをするハリーライム(オーソンウエルズ)は過っての親友で、売れない三文作家ホリーマーチンと遊園地で再会する。観覧車の中でハリーライムは人間世界の現実を説くが、自分が書いた小説の中の主人公のように正義感の強いホリーマーチンは彼の説得には同調できず、観覧車は一回転して元の乗降口に戻ってしまうシーンがあります。
 二人が別れるとき、ハリーライムはホリーマーチンに、例え話をします。
「イタリア30年のブルジアの圧政はテロや虐殺などの結果、ミケランジェロやダヴィンチが生まれた。
愛の国スイス500年の民主主義が何を生んだ? ハト時計さ」
そう言って、ハリーライムはその場を去って行く。
「ブルジア」と「クック-クロック」の部分が耳に残り、凄く気になったので、その英文を調べてみました。
In Italy, for 30 years under the Borgias. they had warfare terror, murder, bloodshed.
But they produced Michelangelo Leonardo_da_Vinci and the Renaissance.
In Switzerland, they had brotherly love.
They had 500 years of democracy and peace and what did that produce?
the cuckoo clock.
so long, Holly.

人間の知性と倫理性は必ずしも等値で成り立ち連動しているものではない。これも現実ですね。
映画史上、名作中の名作と言われる「第三の男」、キャロル リード監督の眼は並ではない。
人間が持ち合わせているカルマというか、業(ごう)の部分を見逃してはいませんね。ハリーとホリーの正反対の人間性を登場させ、輪廻を観覧車を使ってスクリーンで表現し、西洋人であれば誰でも知っているボルジアBorgiasを例え話に出して補っている。

高橋さんの眼も確かで、自の足跡を辿りながら、人間の生き様を分かり易くお話された、稀にみる素晴らしい講演でした。


2007/02/17 「耳順」
 この日の朝、私は亡父の還暦に何かのお祝いをしたのかと遡って考えていました。しかし、全く記憶がなく、何故だろうと、当時の自分の状況や家庭のこと仕事のことを思い出していました。確かなことは、気持ちに余裕がなく、了見も狭く、考えが及ばなかったと理由をつけてはみたものの・・・、「情けなかったなぁ」とつい思ってしまいました。
 そんなことを考えていると、何かに付けて子供たちは子供なりにチャンと親を見ていて、「自分が親になったら、あんな真似はしたくない」と反面教師になっていたり(自分にもそんな記憶があります)、家庭の中や周囲で、いろんなトラブルがあっても子供たちは傍目八目の立場で、意外なほど適切な判断を下していたりします。
 皆それぞれが多忙であったにもかかわらず祝ってくれたことで、私よりは人を思いやる気持ちの余裕を持ち、反面教師となって健やかに育っている子供たち、そして同じように親思いの家族と親戚になれたことを嬉しく誇らしくも感じました。

 2500年もの昔、孔子は耳順を感じたんでしょうね。広辞苑によると「聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる意」と記載されている。確かに、前よりも分かるようになりました。しかし、そのぶん難聴が更に進んでもいます。
 まあ、「じいさんが知ったかぶりにしゃしゃり出て、ああだこうだと言って騒ぐのも見っともないから、次の世代を担う人に任せて赤ちゃんのような素直さを、もう一度取り戻して生きて行きなさい」と言うことなのかもしれません。
 藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」は清左衛門の隠居後の生き様を物語っていて、読むには最適です。


2007/02/9 「日展
 東海展で展示された日本画、洋画部門の中で、いいなぁーと思うような作品があった「秋の砂山」加藤佳子、「陽光」山下保子、「渓谷」成田禎介、「雪空」塗師祥一郎、「冬の朝」鵜飼幸雄、「残雪のころ」柴田祐司、「五月雨」菊池治子でした。
 彫刻部門は女性像が殆どで、何でこんなに女性像ばかりが対象となるのか不思議でした。制作者は何を訴えたいのか、何を表したいのか、何をイメージしているのか、何を求めているのか、観る人に何を感じてほしいのか、何を考えてほしいのか、何を与えたいのか、全く分からなかった。眺めていて自分のものにしたい、手に入れたい、眺めていたい、そんな欲求が全く起きなかった。
 私が気が付かなかったのかもしれないが、女性の出品者が増え、欲しくなる様な絵画を描くような女性画家が増えたような気がしました。


2007/01/30 「大エルミタージュ美術館展
 ポスターにはモネ、マティス、ヨンゲ、ピカソ、ルソー、ゴーギャン、クナウス、ユトリロ、ルノワールと活字が大きく占めているが、300万点も所蔵している大エルミタージュ美術館展にしては展示数が余りにも少な過ぎる。え!これで終わり、これが出口に来た時の印象でした。
 

 

 気になった油絵がありましたギョーム・ヴァン・デル・ヘキトの「ケニルワース城の廃墟」1851年と書いてあった。凄く神秘的でいいでしょう。

 芸術や文化は平和で安定し富や権力、才能などが共存していて初めて成り立つ産物だけに、端的に言えば、一部のある種の才能や権力を持った人々にとっては大変面白いが、そうでない人々には過酷な時代と言えるだろう。社会構造は貧富の格差が大きく、影の部分は広く困窮を極め冷え冷えとしていた時代であったことは言うまでもない。その反動として200年続いたロシア帝国がロシア革命によって滅亡し、社会主義国家へと突き進んでいったが、74年後の1991年にソビエト連邦も崩壊した。
 いつものように話は横道にそれるが、ロシア革命を背景に、時代に翻弄される人たちと、医師として自分の人生を誠実に生きたジバゴを描いた映画を思い出した。大学生であった1966年、博多の中洲にあった映画館でドクトル・ジバゴ(Doctor Zhivago)を観た。オリバーツイスト、旅情、戦場にかける橋、アラビアのロレンスなどスケールの大きな作品を監督してきたデヴィッド・リーンだけに今でも感動した記憶が残っている。モーリスジャールの挿入曲ラーラのテーマ音楽もよかった。


2007/01/14 「熱田神宮
 誘いがあったので「あつたさん」へ参詣することになった。神宮周辺は大渋滞、皆でやれば怖くないの心理で国道19号に路上駐車し参道へと進むと人人人で参道の砂利道からは砂埃が参拝者の移動に合わせて舞い上がり、鼻や口、眼がざらざらしてきた。
 昔、「大砂塵」と言う映画があって「ジャニーギター」と言う曲をペギーリーがゆったりとした声でPlay the guitar. play it again my Johnny. Maybe you're cold but you are so warm inside. I was always a fool for my Johnny ... と歌っていた。余り関係ないが思い出した。
 信長が桶狭間で勝利したお礼として奉納した塀が「信長塀」として参道から外れたところに現存している。27歳のころ、歴史に興味を持ちはじめて司馬遼太郎や吉川英治らの小説を読んでは、中部県下、京都、滋賀などの歴史の舞台を散策していた。当時この壁を15分ぐらい眺めながら、信長は今川の大軍と戦を交えて生きて戻ってこれる見込みが薄いと感じながらも願文を奉じ出陣したときの気持ちと、今川を倒し浮かれることもなく勝って兜の緒を締め奉納しようと思った信長26歳の気持ちを察しようとしていた。
 読書からの推測だが、信長は有事に於いても平時と変わらない冷静な判断ができ、当然に理詰めで事象を考えられる明晰な頭脳を持っていていたに違いない。更に多くの人民を束ねるだけの肝が据わっていて、対処に抜かりなく妄信してしまうような男ではなかったはずである。しかも奉納することの意味や影響も知っていたに違いない。1000年に一人ぐらいしか出ない日本人離れした男であったとしか思えない。
 大台ケ原を登山したとき2日間とも雨の中でした。奈良県と三重県の県境であるこの方面は年間を通じて雨量が多く、この辺りが晴れるときは尾張も三河方面も晴れる。愛知県の豊川市から西方にある三ヶ根山から三重県方面を眺めれば天気の予想がほぼ分かる。
 TV対談で「清洲から長篠に向かうのに1週間以上も掛けていたことを疑問に思うのだが」と司馬遼太郎が海音寺潮五郎に質問をした。「信長は火縄銃が使える梅雨の晴れ間を計って進軍していたのだろう」と答えた。これで海音寺潮五郎が好きになった。薩摩人らしいところも好きだ。

参道の脇には平成25年(2013)におとずれる創祀千九百年の慶節の案内があった。信長が勝利し帰還したときも歓喜が沸きあがり、この界隈も今日のようにごった返していたのだろうと思いながらも、ついこの前のことのように思えてきて不思議な気持ちにもなっていた。
 


2007/01/02 「新年会」
 故郷にいた両親の健康や状況を一目確認したくて帰省していましたが、他界してしまうと帰省することもなくなりました。また子供たちも次々に自立し始めると、いつの間にか夫婦2人だけの生活にもなっていました。そうなると、新年会に集まってくる子供や孫たちの成長が我々の楽しみにもなってきたようです。
そんなことを考えていると、昔から春夏秋冬に合わせたような行事や祭りが催されていて、そこに参加したり、集ったりすることで元気が出て、それが新たな励みにもなっていました。謂わば、行事やコミュニケーションは明日へのエネルギーの源でもあります。
 今では通信手段が多様化し、いつでも何処でも連絡が出来るようになってきましたが、年に一度の年賀状での遣り取りにも、一言のコメントが書いてあると状況が分かったり、新たな励みを貰ったりすることがあります。
今年は大学時代、下宿が一緒だった大谷さんから貰った年賀状の一言で、このホームページをもうすこし続けて行く気にさせられました。


2007/01/01 「初詣」
 故郷の家系が神道であったので、今でも神社へ参拝しています。今年も近くにある川原神社へ初詣をすることにしました。
 いつもの散歩コースである名古屋大学を通って神社まで歩きました。大学の豊田講堂の前には広い芝生があるのでワン君たちが散歩をするには最適です。ヨーキーは芝生が大好きなのでリードを解いてやると嬉しそうに走り回って植木の根元などにしっかりMarkingをしています。
 日本はずっと昔から既に「美しい国」であると思っていました。写真のように神社の石畳の参道には参拝者がキチンと並んで参拝の列がずーっと続いていました。列を乱す人もなく20分程度の間ですが、それぞれが何らかの話をしながらも、おもむろに静かに順番がくるのを待っていました。同じようなことが一昨年の愛知万博のときもありました。真夏の炎天下にもかかわらず、3時間から4時間待ちのパビリオンに、小さな子供から老人までがキチンと整列し、じーっと並んでいる姿を見ていて、従順な日本人の心の美しさを感じました。
 先人たちが培ってきた心の美が、身の周りにある風景や風土、風習として、ちょっとした所にも残っていているように思えた元旦でした。
素材の美味しさは野菜だからだせる、温室で育った室菜には出せないものです