12/21音楽:コンサートサロン「ブーレ」
12/20音楽:インカからの贈り物
12/18講義:「知識・正義・メディア」
12/06講演:名古屋大学レクチャー
12/02美術:再興第99回 院展
11/24美術:デュフィ展
11/20見学:徳川美術館 蓬左文庫 徳川園
11/13見学:菊花大会
11/08音楽:名古屋大学交響楽団メンバーによるアンサンブルコンサート
10/25講演:文化遺産の表象、19世紀における生成と変容
10/18見学:第10回名古屋大学ホームカミングディ
10/16講演:中京大学公開講座 この時代の工学教育を展望する 放送大学学園理事長 白井克彦
10/14講義:中京大学英米文学・文化特別講義 What's Mine. アメリカスのアフリカ系音楽と文学 明治大学教授 中村和恵
10/04講演:人間学部 公開講座「ビッグデータ時代のカラクリ」|イベント一覧|地域・一般の皆さまへ|名城大学
10/02美術:草間 彌生 永遠の永遠の永遠(2014年9月13日(土)→2014年10月13日(月・祝))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
09/27講義:イタリア・ルネサンスの宗教空間と図像プログラムを読み解く
09/17音楽:名古屋大学博物館 -The Nagoya University Museum- / イベント情報

09/15美術:芸術寸法−床の間芸術から会場芸術への展開 | 古川美術館
09/15美術:イベント・展示 スケジュール|ヤマザキマザック美術館
09/09美術:宙(そら)の月光浴 石川賢治 月光写真展 space of spirit 【松坂屋名古屋店】   石川賢治HP
07/20講演:なかにし礼「この国のゆくえ 一志は千里にあり」
07/13音楽:合唱団ノースエコー
07/12音楽:TOYOTA MUSEUM JAZZ NIGHT はたけやま裕
07/08講習:イギリス文化と英詩 ールネッサンス恋愛詩と資本主義ー 岩崎宗治 名古屋大学名誉教授
06/30美術:光風会100回展記念 洋画家たちの青春 ー白馬会から光風会へ
06/21講義:一部:「平家物語と史実」〜源平の戦いを中心に〜 京都大学教授 元木泰雄
      二部:「のっぺらぼう」考〜日中比較妖怪学の立場から〜 茨城大学教授 増子和男
06/16講義:人間らしさの起源 ー比較認知科学のアプローチー 慶應義塾大学名誉教授 渡辺茂
06/08美術:Marc Chagall シャガール展
06/07美術:第36回 日本新工芸展(2014年6月4日(水)→2014年6月10日(火))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
06/04講義:宇宙の中のサッカーボール お茶の水女子大学名誉教授 細矢治夫 - Google 検索
06/01美術:第49回 日春展(2014年5月24日(土)→2014年6月1日(日))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
05/31学習:5/24・31医療工学/生体工学に関わる名工大のとりくみ|国立大学法人名古屋工業大学
05/28講演:日本「再創造」〜行動する人材を育てる 小宮山宏 
05/24学習:5/24・31医療工学/生体工学に関わる名工大のとりくみ|国立大学法人名古屋工業大学
04/24講演:デジタル社会の落とし穴―日常生活から外交まで― | 中京大学
04/18美術:第69回 春の院展(2014年4月12日(土)→2014年4月20日(日))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
04/12美術:第12回 キルト日本展 | ジェイアール名古屋タカシマヤ
03/25私事:Sさんの結婚披露宴
03/13美術:ボストン美術館浮世絵名品展 北斎
03/08音楽:名古屋大学博物館 -The Nagoya University Museum- / イベント情報  フルリン打のつぶやき
02/15音楽:名古屋大学博物館 -The Nagoya University Museum- / イベント情報  博物館がJAZZYになる
01/15美術:SNOOPY JAPANESQUE スヌーピー×日本の匠展 松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
01/11音楽:西本智実&イルミナートフィルハーモニーオーケストラ NEW YEAR CONCERT 2014 愛知芸術文化センター
01/01私事:初詣 興正寺 - Google この世に客として招かれたと思えば・・・
1996年からの備忘録 Index

2014.12/21日
音楽 コンサートサロン「ブーレ」
近所で付き合いのある方が発表会をされるということで
才能と云うものは本当に見かけだけでは分からないものです
舞台に立つと別人ですから(イタリア語もペラペラ)
私が大好きな
プッチーニのオペラ、ジャンニ・スキッキの中で歌われる
私のお父さん O MIO BABBINO CARO」は
よく聴いているだけに、凄いなと思いながら聴き入りました。良かった

オランダの9歳の女子の「O MIO BABBINO CARO
私が観た映画の主題歌、挿入歌、バックグラウンドとして使われている
ぼくの美しい人だから」「眺めのいい部屋」「永遠のマリア・カラス」「幸せのレシピ」「ロッキーザファイナル」などで
 
2014.12/20土
音楽 フォルクローレ クリスマスコンサート インカからの贈り物
高校生の頃、イージーリスニングのFM放送をよく聴いていた
ラテン音楽のフォルクローレが時々流れて
その中でも好きな曲が「コンドルは飛んでいく」と「花祭り」だった

今日も、その曲が流れた
若い頃、聴いて好きだった曲は、一生ものだなと思いながらも
人の好みというものは、変わらないものだとも思った
だが
同じ曲だから勿論リズムは変わらないが
受ける印象が変わっていた
50数年前に聴いた頃はリズムの美しさが中心だったが
今日は少し違っていた
ペルーのインカ帝国、標高の高い山々が続く上空を雄大に、ゆったりと飛翔しているコンドルの姿に、人々は憧れたのかもしてない
アルゼンチンなど諸国の歴史を知ってくると
(グレートジャーニーの関野吉晴さんの講演や書籍、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」、映画「アポカリプト」などで)
そこで生きた人々の気持ちや思いが、この音楽に託されているようにも感じた
年を取ると
色んな情報が増え想像力が豊かになるが、センチメンタルにもなるような気がした

使われている楽器
ラテンアメリカの古来のケーナやサンポーニャのようなものから
スペインの侵略によって持ち込まれたギターやチャランゴがあり
音楽の世界にも民族の融合があったとのだと思いながら聴いていると
メロディーが哀愁をおびて聴こえてきた
 
2014.12/18木
講義 「知識・正義・メディア」 静岡県立大学准教授 飯野勝己
私が思っていたことと、ほぼ同じだった
結論から書けば
メディアの裏を知って、情報を受け取る私達が賢くなる必要がある
盲信するでもなく不信するでもなく、バランス感覚をもって接するということ

ネタと記者の関係
情報源となる国会や警察や役所や大企業などなど、権力者のいる所には、常駐の記者クラブがあって
何かニュースになるネタがないかと、朝から晩まで、蜘蛛の如く、網を広げて待っている
当然、情報をもらうためには、情報源と一体化せざるを得ないところがある
そうなると
情報を流す者との「しがらみ」や「なれあい」「持ちつ持たれつ」の関係ができてしまう
更に、「接待」や「手渡し」「ばらまかれる」と・・・
誰でもそうだが
批判しなければならないような相手にも、親しくなったり弱みをもつと、悪く書けなくなる
これが
ニュースの現実!  (大本営発表・・・。負けている戦を勝っているかのように報道する)

同じ様に、経済記事だって、所詮は宣伝!
新しい商品発表から企業業績など、切りがないが
世の中はすべて、営利目的の仕組みができ、成り立っているのだから

TVのニュースだって
NHKだって(盲信している人が多いので、それを利用するのがいる)
特にTVの場合、物語にします
・彼は懸命に努力した
・その結果、栄光を勝ち取った
・が、そこには苦難や苦境があった(父を亡くしたとか、怪我をしたとか、災害にあったとか)
ストーリーに仕上げ、ニュースに誘い込む
感情的な人は、頑張ったんだね、よかったねと はまる
しかし、最近TV離れが進んでいるとか
内容にシリアスSeriousな内容のものがなく浅いものが殆どで、繰返しで、マンネリばかり
だから離れる
結局はメディアが自分の首を絞めているか、自業自得の生活習慣病になっている

最近本が売れないとか
見え透いていて、シリアスSeriousな内容のものがなくなったからだと思う
書店と作家の関係も、記者と情報源のの関係のようなもの
書店は新刊物を宣伝用に、公共機関や評論家などへ、デリバリーサービスしている
販売店はランキングを表示して、売上を上げる
作家も売りたいために書く
最近では作家に喋らせ、それを会話本にして売る
人気や知名度を上げたくて書く
切りがないが・・・
そんな本なんか立ち読みで十分(腰掛けが用意されている書店も多くなった)

やはり日本にも
ピューリッツァー賞のような利害を超えた公正でインデペンデントIndependentな機関があるといいのだが

私は情報に対して
左甚五郎作の日光東照宮の猿のような、真似はできないので
1.メディアの実態(裏、思惑)を知り
その意図は何だろうと探りながら見聞している(ホームズやポワロになる)
2.読書、映画、美術、音楽、聴講が好きなので
評論家になって、卓越Distinguishedを感じたり、違いを感じて楽しんでいる
 
2014.12/06土
講演 名古屋大学レクチャー2014 人類生存のための科学と精神
1.病原体としてのウイルス、先端医療の道具としてのウイルス、感染症研究の国際連携 永井美之
2.近代人の自立ー基本的人権のために 水田洋
3.ピアノ演奏会 渡邊健ニ
1と2は、おふたかたの研究の業績と足跡に名古屋大学レクチャー楯の贈呈と講演です

ウイルス
最近では、エイズや新型インフルエンザ、エボラ出血熱、デング熱などで騒がれています
難しい話を聞いていると、怖い病原菌です
他の生物の細胞の中に入り込んで、そこに仮住まいし縦横無尽に振る舞う
何だかエイリアンみたいで、人類絶滅の危機に直結しているようで、WHOが躍起になっている理由が分かった
Newton 2015年1月号 拡大止まらぬエボラ出血熱の所を読んで見て欲しい)
敗戦まで
日本社会には貧困と差別があふれていて、それを批判し乗り越えようとすることは危険思想として治安維持法の監視下に置かれていた
国体(天皇制)と、私有財産制度があって破壊を企てる者は死刑とされた
こんなことが、たった70年前の日本にあったことすら知らない人が、今は、ほとんだと思う
権力者による思想の怖さは日本に限らずスターリン、ヒットラー、ポルポト、隣国の独裁体制など
60年安保闘争から学生運動を最後に日本での思想体制への運動は終わったが
最近では、政府による機密保護法のことを耳にする
今の日本だって、いつ何時このような思想が作られるか分からないが
何しろ今はTVのお笑い番組を見て喜んでいる脳天気で子供ぽく浮かれた人間が多すぎ
(民主主義とは云え、ある種の支配者層の保身と政策は今も続いている)
昔は小作人農民で田圃や畑で米や野菜づくりだけで無能無知でそれしかなかった(特権階級の人間が牛耳っていた)

思想

私見の前置きが長くなったが
人類の思想史から近代の基本的人権のための思想の研究に携わって来られた
トマス・ホップスの言葉が心に響いた
「国王は国民を保護するために権力を与えられたのだから、保護がなければ臣従義務もないという臣従契約の双務性を主張した
要するに、ホップスにとって、国家とは自然権としての生存権を持った諸個人が、平和に共存するための手段あるいは装置なのである」
(まあ、今は国家のために死ねというような国家は、滅びてもよいと考える人は多いと思うが・・・)
また
「市民社会の中での私有財産を持った諸個人の行動基準は、道徳哲学の問題であるとした」
(道徳は、日本では秩序を守るためだが、Moralは秩序を作るための行動様式を意味する)

人間とは全く異なる病原体の脅威と、人間誰しもが持つ人権の確立を目指した良い意味での思想は
何れも、ちょっとした行き違いで負の連鎖反応を起こす要素を含んでいる
何気なしに毎日、ああだこうだと言い合いながら生活している一般庶民からすれば
次元の違う話かもしれないが、こう云うことに一生を捧げている人を賞賛する意義を改めて感じた

高倉健に国民栄誉賞を政府が検討しているニュースを聞いた
亡くなった後になって、何が賞だと思う
そういう意味でもノーベル賞やアカデミー賞などのように、名古屋大学のレクチャー楯の贈呈は意義がある

3のピアノ演奏会
何処にでも居る極普通のサラリーマンのような服装で舞台に上がって話をされている時は
東京芸術大学理事教授でピアニストであると誰も想像できないだろう

ピアノの前に座って、指が動き出した数秒後、「素晴らしい!」と感動した
聴いていると
秋晴れの暖かい日ざしの青空の中を、秋風に吹かれて無数のブナの紅葉が光の中を乱舞しているような旋律である
魔法、魔術師のような手さばきで
本当に指を動かしているの、と思わせ、動きを感じさせないが、ピアノが鳴り響いている
シューベルト:即興曲作品90より第3番第4番
ショパン:夜想曲第2番別れのワルツ革命のエチュード
ベートーベン:ピアノソナタ第8番「悲愴」
リスト:グノーの「ファウスト」によるワルツ
ドビュッシー:月の光

医学、思想、ピアノ、分野は違っていても、一芸に秀でるものを持っていることは、人類の生存に寄与することだと思った
 
2014.12/02火
美術 再興第99回 院展
いつものように、読まず聞かずで全てを観て廻る
豪華で絢爛、緻密で優美な作品が多いな、と思った

いつものように、貰えるとしたらと仮定して選ぼうとしたが
欲しい! と思うような作品が見つからない

・想い出させてくれた作品があった
自転車で山口から九州を一周したことがある
国道3号線の山間から、煙を吐く桜島が見えた時は、本当に嬉しかったことを、今でも覚えている
この絵のように恐恐しくはなく、穏やかに「よくここまで来たね」と言ってくれているような桜島だった
桜島 後藤純男
・印象的な作品が2つあった
一つが、左の「光螺旋」である
深い井戸の底から見上げると、小さな空と白樺のような木が一本だけ見える
どのような方法で地上へ戻ろうかと思案してしまう
映画「アポカリプト」の一場面を思い出した。また芥川の「蜘蛛の糸」カンダタの気持ちをも察した
生と死の思いが巡ってくる。観る人によって絶望的な恐ろしさなど、様々な感慨が出てくるような気がした
光螺旋 並木秀俊
もう一つが、左の「散華」である
花火の火玉が、頭上に降り掛かってくるような感じが良く出ていて迫力があった
あたかも
流星群が地球に降り注いでくるようでもあり
何か宇宙からエイリアンが地球に攻撃をしてくるようでもある
火玉の落下に見とれ立ち尽くす人々、動と静の対比が実に上手く表現されている
花火を宇宙空間のように広大に描き、大地や見る人々が花火の中心点に向かって湾曲に位置づけられて
空間の広がりを実に上手く表現している
花火に見入る親子や恋人、夫婦らしき人たちの心情までが伝わってくる良い作品だと思った

散華 瀬永能雅
 
2014.11/24月
美術 デュフィ展
いつものように、入口から出口まで全ての絵画を先ずは鑑賞する(解説は読まず、音声ガイドは使わない)

気が付いたことがある
途中から大きく画風が変わった
マチスやシャガールにも似たような描き方である
作品名で言うと、「イエールの広場」(1927年)、「ニースの浜辺」(1928年)である
年譜があったので何歳の作品なのか確かめた
1877年生まれだから、50歳である

男、50歳、画家として生きてきて、やっと自分の画風というか作風を見つけたのではないかと思った
この後の作品には、個性と面白さ、自分が描きたいように描ける創造力が加わった
それと
認められたことでの、自信が察しられる
中国の史記で言う、「士は己を知るもののために死す」である
自分を必要とする人がいて、自分のことを知っていてくれる人がいる
これほど嬉しい事はないし、自信になるし、活力になる

いつものように、一品どれでもいいから貰えるとして、選んだ
上図の「パリ」(1937年)である。60歳の作品
私自身、観光したことがあるので懐かしさがあること
デュフィも他の画家と同じ様にパリへ出て来て
この地の名所を見て、それを描くことができた
そんな喜びが溢れているように感じられたからだ
デュフィは1953年76歳で亡くなっている。いい晩年であったに違いない

特別枠として
1937年のパリ万博のパビリオン、電力館の壁画に「電気の精」を描く、60歳の時である
それが今もパリ国立近代美術館に残されている
Agence Sisso - La Fée Électricité conçue par Raoul Dufy au Musée d'Art moderne de la ville de Paris
(中央奥のタービンの左隣りに黒の蝶ネクタイに赤茶色のチョッキと礼服を着て描かれているのがファラデー)
理由は
私が電気科出身であること
高校生の頃だと思うが、物理に凄く関心がでてきた、特にニュートンやエジソン、オーム、ワットなどの理論に
それより更に前
中学の国語の教科書に山本有三の「路傍の石」の一部があって、凄く気に入った
それで
中学の図書館で山本有三の「心に太陽を持て」を読んだ、その中にファラデーの実話があって、感動した
電気理論が好きであったことも勿論あるが、ファラデーの生い立ちや業績が記憶に残っていて、日頃になく勉強にも気合が入った

今日は、自分の人生を想いださせてくれるような日にもなった
「電気の精のリトグラフ グアッシュ」を観て、若い頃の、ちょっとした感動を想い出させてもらったこと
デュフィが、男50にして得た「自分らしさ」を、感じ取れる年頃になったこと

いつの日か再びパリに行く機会があったら
オペラ座のシャガールの天井画とパリ国立近代美術館へ行ってみたいな
 
2014.11/20木
見学 徳川美術館 蓬左文庫 徳川園
武力、戦力、軍備、戦術、戦略などは、勝つために不可欠なものだが
それだけではないと、今回感じた
「勝って兜の緒を締めよ」という言葉を小中学生の頃、母から幾度も聞かされた記憶があるが
それである
勝った後の緩みを戒める
政治と一緒で、与党になっても政策と遂行が国民に納得できるものでなければ

武士社会の中で権力や権威を保持するには色々の方法があるだろうが
1600年の関が原の戦以来、300年近くも維持できた理由が
この敷地の中に集約せれていると思った

徳川の遺品から伺えることだが
中国と日本の古典の文芸品を蒐集して学習したと思った
すなわち、大国の歴史を学んで、それを真似て、幕府を組織として機能するよう仕組を作った気がする
(推測だが、大国ではない日本国の規模や環境から起因していることだが
同一性、類似的思考、民族性などと、相まって農地さえ支配すれば食っていける考え方があったのだろう)
更に、安定期に入り
工芸品などの物づくりの品質の高さを求めたと思った
謂わば、真似し超えたかった
だから当然、江戸に技術力の高い職人たちが相当数いて切磋琢磨していただろう

近年、よく江戸文化という言葉を耳にするが
「衣食足りて礼節を知る」の言葉のように
一般庶民に対しても
衣食足りて文化が育つ環境と、文化的な価値観を広め
紆余曲折はあったとしても工芸や文芸に寛容であっただろうと思った

そうなると
どうしても工と商を中心の資金の流れとなる、ならざるを得ない
(人口の増加とともに石高の農業だけでは食えなくなり、商工を中心に貿易をして外へ出るべき時期であった)
田沼意次の政策は間違ってはいなかったが
既得権益層が反対し、士農と工商の貧富の格差も大きくなったことで
それで寛政の改革へ、保守的な清貧へと
狂歌「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」である

80年周期の余談
1707年の宝永地震(東海から九州までM8.4の大地震と津波)、富士山大噴火
松平定信による幕府の財政破綻対策、寛政の改革1787年
それから、80年後の1867年が明治維新
それから、80年後の1945年が敗戦
それから、80年後の2025年は・・・
今や国の借金1100兆円、2020年東京オリンピック後、2027年リニアー新幹線開業を待たず11年後はdefaultかな?
(周期的には色々あったけど何とか成り立っているし
最終的には国民総預金残高の1400兆円まで増えて、一人1000万円ずつ国が徴収して一件落着かな?)

この徳川の敷地内が、10年位前と比べて総合的に組織化されたことは、間違いない
それと
小規模とはいえ、士農工商があって、幕府が、いや日本が成り立っていたことを教えてくれる所でもある
 
2014.11/13木
見学 第67回菊花大会 名古屋城
知人が展示しているので観覧に来た
(今日は快晴であったが冷たい強風が吹いていた)

丹精を込めて、入念に育て、開花させた
それまでには日々の並々ならぬ愛情があったことを感じさせた
きっと
我が菊花を最優秀にと思う心が、毎日、朝起きてから寝るまで
寝食を忘れるくらい、あったに違いない

出品された色々な菊花を観ながら思ったことがある
年々歳々花相似
歳々年々人不同
と言う漢詩である
毎年花は似ているが
人は変わってしまうと言う心に、浮世を感じさせる
趣旨は違うかもしれないが
菊花も毎年似てはいても、同じではないと思った

男の子が誕生し、揃い組で小学校へ入学し成長し
やがて有名大学に入学したり、大企業に就職したり、美人で聡明な女性と結婚をしたりした時
一番、誇らしく嬉しそうな顔をしているのは母親である
それは
菊花を育て、最優秀賞に輝いた職人と同じで、よく似ている・・・
また、それは
輪廻転生でもあり、歳々年々人不同にも似ていると思った
 
2014.11/08土
音楽 名古屋大学交響楽団メンバーによるアンサンブルコンサート
弦楽器、木管楽器、金管楽器の順に楽員が出て来て
それらの楽器のために作曲されたような曲が演奏された

私は管より弦が好きです
理由はハッキリしないが、響きが心地よく馴染む
ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1による弦楽四重奏で
最初の演奏曲が、Eine Kleine Nachtmusik (ドイツ語は2年間勉強した)
何とも言えない美しいリズムと響きが伝わってきた
矢張り、モーツアルトは天才であると改めて感じる

大好きな曲なので何百回と耳にしているが
弦楽四重奏を間近で聴いていると
作曲の良し悪しだけでなく、楽器の持つ音質や音響、演奏者の技量や力量が、如実に分かる
そういう意味では、弦楽四重奏のセレナーデは交響曲のように誤魔化せないと思う

小柴昌俊さんの本「ニュートリノと私」に書かれていたことだが
発明や発見は
大自然の法則や、ある種の体系の中に存在しているものを理論ずけ証明することなので
遅かれ早かれ発見される
例えば、アインシュタインが相対性理論を発見しなくても、やがて誰かが発見をする
だが、芸術は違うと!

確かにと、納得した
芸術は法則や体系ではなく、創造の世界である
もし、モーツアルトが、A little night musicを作曲していなかったら
永遠に聴くことはなかっただろう
やがて誰かが小夜想曲を作曲することは永遠にない(現に今も、モーツアルトのような天才作曲家は出て来ていないし)
そういう意味では、想像や創造こそが天才のなせる技なのだろう
 
2014.10/25土
講演 文化遺産の表象、19世紀における生成と変容 パリ、ノートルーダム大聖堂の保存・修復を中心に
第31回渋沢・クローデル賞本賞受賞記念公開講演のお知らせ|名古屋大学 文学研究科 文学部
講師 泉美知子

中学生の頃、読んだ「ノートルダムのせむし男」と
昔、パリに行った時、ノートルダム大聖堂を見た記憶があって
もっと深く知りたいという単純な動機で出席した

フランス革命による破壊と、パリの都市改造に伴う
ノートルダム大聖堂の保存と修復に関する、当時の生成と変容に関する、保存論、計画概要、審議報告など
膨大な資料を読み解き、纏められた著書「文化遺産としての中世ー近代フランスの知・制度・感性に見る過去の保存
渋沢・クローデル賞の本賞を受賞され、その記念講演である

革命などによって政権が変わると、強奪や破壊が起きる
TVなどで見た記憶があるが、ソ連の崩壊や東西ドイツの壁崩壊、バーミヤン渓谷の古代遺跡の破壊、フセイン政権崩壊など
権力者たちの資産や美術品が強奪され破壊される映像を見たことがある
実際はもっともっと凄まじいものだろう
ノートルダムも同様であった(歴代権力者たちの石像の破壊など)

著書のタイトルにあるように、「知・制度・感性」が、フランス人の心の中にあって
自分たちの国の歴史、遺産として残すべきである、とする気持ちが民主主義指導者の中にあったからに違いない

先生は東大大学院の博士修了、30歳代ぐらいの小柄で清楚な身形、真面目そうで、慎ましそうで、野菊のような感じ
研究に取り組むことが好きなのかもしれないが、少し人生を楽しみながら・・・、と思った
古代の美術や遺産を修復する緻密で地味な作業をした人や
それについて淡々と地道に研究をした人が
日の目を見ることこそ、文化遺産の表象(表彰)であるとも思った

聴講生は40名くらい、ほとんどが中高年
数名がQ&Aで質疑されていたが、私には全く理解できない難しい内容だった
フランスの美術、文化、歴史などに関わっている人達だろう
世の中には外見からでは分からない凄い人がいる(つい、出しゃばって恥をかいたことが何度もあるので)
 
2014.10/18土
見学 第10回名古屋大学ホームカミングディ
青色LED(Light Emitting Diode)でノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇教授の赤崎記念研究館を見学した
今、話題の人だけに行列である

入口から順路に研究過程の解説がされていて、現在使用されている青色発光ダイオードに辿り着く
思いました
結果や解答を直に求めるような人では無理
試行錯誤しながも自分がやっていることを信ずる強さなどが必要です
先生の言葉がありました(吾が道、一以て之を貫く)

受賞が決まった後のTV中継を見て
一番の印象は、85歳とは思えない、いい顔をしている、と感じた
素直に、一途に、真面目に、真理の探求を真摯にしてきた心が、そのまま顔に出ている

光の三原色が、社会の中で広く利用され、多くの人のために役立ち、省エネルギーに貢献している
世のために、人のために、正道で働いてきた
そのご褒美が、健康な長寿と、尊敬Respectされる人柄と、ノーベル賞受賞である、と思った

いつもヨークシャテリアと一緒に学内を散歩しているが
こんな身近な所で、エジソンの白熱電球を置き換える白光色の研究がされ
ノーベル賞を受賞するような人がいたとは

見学を終えて外に出ると、秋の穏やかな日差しの中に紅葉が光り輝いていた
紅葉の色や形の違いに、人の世の因果応報を感じた
 
2014.10/16木
講演 中京大学公開講座 この時代の工学教育を展望する 放送大学学園理事長 白井克彦
学生と爺さんが半々で300人くらいの出席

敗戦後からの現在までの物づくりの変遷、将来への展望をPowerpointで表示しながら語られた
が、多分ここに出席された方は、関心があり状況を理解されている方だと思うので
その通り、分かっているよ、と心の中では思っているだろう

家電を中心にする大企業の敗北した原因
少子化、高齢化の状況
本題の工学系学生数の減少などなど
諸外国と比較しながら、色んな事について、細かなBackdataをグラフ化され、問題点を挙げられた
およそ誰もが思っている
日本の現状は、問題があり過ぎて、しかも負の連鎖状態にあって、抜本的な解決策はないと

聴いていて思った ー私見ー
1つ目は
若者達に解決策を求め過ぎている
若い頃から、留学などをし、いろんな経験をし、世界観を持った学生の育成が必要である、と言う
(今の若者に、それができる環境があるのか?、一人っ子で高齢の親を田舎に残し、自分一人が食っていくのに精一杯・・・)
企業は、ビジョンやスローガンを掲げているが、社員が、やる気を起こす環境を作っているのか
(最悪は、何時迄も爺さんたちがのさばり、席を開けず居座り、過去から抜け切れず牛耳って退かない)

2つ目は
敗戦後の物づくりをもう一度と、起死回生に終始している
(経済学者など、TVや多くのメディアを通しても、感じることだが・・・)
謂わば、過去の物づくりの栄光を振り返って、もう一度という理論展開である
(第二次大戦の戦略構想と全く一緒、空母と航空機の時代が来たにもかかわらず、戦艦大和である)
経済の比重が、物から幸福感へ移行しているように思う、儲けている企業を眺めてよ
(iPhone持っていると幸せだよね。金は掛かるけど・・・)

3つ目は
人口減少を食い止めようとするのではなく、人口に比例した経済構想に転換しようとしない
(半数程度のヨーロッパ諸国に学ぶべき、ドイツ8千万、フランス、共和国イギリス、イタリアは6千万)国別の人口
日本人は真面目に懸命に生涯働くのが当たり前だと思い過ぎている 人生は楽しんだ者が勝ちだ
(G7に入らなくても、8でいいよ。政治家を喜ばすために働いているんじゃないんだから)
 
2014.10/14火
講義 中京大学英米文学・文化特別講義 What's mine. アメリカスのアフリカ系音楽と文学 明治大学教授 中村和恵
英文12頁と地図2枚(詳細なカリブ諸島とカリブを中心にしたアフリカ、アメリカ、西欧)
を資料として頂いた
英文を少し読んでみると、以前読んだ「砂糖の世界史」の本を想い出した

奴隷航路でカリブ海地域(西インド諸島)へ拉致された1000万人にも及ぶアフリカ人達が
口承で学んだ独自の英語と、彼ら元来の文化とを融合させ、音楽や文学を作り上げた
それが、アメリカ南北大陸に広がるアフリカ系文化の原点である(USA南部ではない)、という話である

「砂糖の世界史」を読んだり、映画「アメイジング・グレイス」を観たりして(備忘録:2011.04/22 Amazing Grace)
カリブ諸島の歴史が、いかに酷いものであったを知っていただけに
彼らの心の癒やしが、音楽であったことには頷けた
それが歴史とともに、USAでの商業主義にのって、JazzやReggaeなどへ発展し
今ではHIP-HOPヒップホップとして世界中に影響を与えている(アフリカを出たホモ・サピエンスと一緒である)
謂わば
USAのアフリカ系アメリカ人の音楽の原点は、カリブ海にある!

一方、アフリカ系の人の文学は一般的に馴染みがない
文章を書くには、どうしても英語の単語や文法が理解できていて、Storyを物語る要素が不可欠だから
となると、奴隷と言う境遇では限られてくる
しかしまあ、その辺りが大学教授で
底に埋もれたものを穿り出すように調べあげている

人間社会の中で
1.文芸の役割とは何かを再確認できた
2.民族間の支配と侵略によってHybridハイブリッドしながらも、文化の意義や真髄をも感じた
3.何れにしても、異文化交流によって、人は進歩する
The Story of English - Program 5 : Black on White(BBC制作:黒人独特の英語を作りアフリカ系文化として発展する映像)
 
2014.10/04土
講演 人間学部 公開講座「ビッグデータ時代のカラクリ」|イベント一覧|地域・一般の皆さまへ|名城大学
ビッグデータが如何に活用されているかの話である
その例として、映画「マネー・ボール」の話がでた
実話をノンフィクション本にし、それを映画化したものである
情報を分析し活用した実例である

情報=Data、Information、Intelligence
日本語で「情報」と言う言葉は、1つしかないが
英語だと、Data、Information、Intelligence、に分かれている
Internet上で氾濫しているDataをIntelligenceして、活用している実例を多数紹介された
例えば
Amazonはもう15年以上も前から、誰が何を買ったかのDataを蓄積していて、それをInformationし、Intelligenceしていると
事実、私が以前購入した書籍を選択すると
「お客様は、2005/12/12にこの商品を注文しました。」と表示される
更に
「よく一緒に購入される商品」とか
「この商品を買った人はこんな商品を買っています」も表示される
まさに、ビッグデータのInformationであり、Intelligenceである

Internet と English
勿論、東大の教授だから当たり前だろうが、プレゼンテーションの殆どの事例が外国のネット上の情報である
今からの時代、Internet と Homepage上のEnglishを読めることが、必須であると同感した
実際
福島原発事故の時、海外のNewsや気象情報は、事実をInternet上で報道していた
私は、Internetで、BBCとCNNを読んだ
既にメルトダウンMeltdownが始まっていると書かれていたが
日本のTV局、Internet上の新聞社は、全く報道していなかった
この時、思いました
まさに、ジョージ・オーウェルの「1984」にでるBig brotherのように統制したか
大本営発表のように事実を隠すことをしたかと
更に
ドイツの気象庁は日本上空の放射能汚染の状況を、地図上で図式に報道していた
名古屋市博物館にドイツ製のプラネタリウム館がオープンしたが、その時いたドイツ人は即刻帰国したのを知っている

Internet接続のPCも携帯も全てが、第三者にDataとしてLogされている
私はコンピュータのシステムを勉強したことがあり理解できる
システムはコンピュータが処理した全てのことをLogというファイルで蓄積しています
5W1H(Who,What,When,Where,Why,How)で収集している
だから
PCのインターネット上の全てのInput & Output Data
携帯電話の、話、メール、取引から検索などまで
全てが、第三者にDataとしてLogされていると思うべきです
(布団の中に潜って携帯で・・・していても駄目)

アメリカが世界のDigital Dataを掌握
世界のInternet Digital Dataは全てアメリカを通過するよう網羅されている
事実
CIAの局員が漏洩したニュースやイギリスやドイツの首相の携帯が傍聴されていたニュースも耳新しい
アメリカがInternetを構築し世界に広めたのだから、当たり前かもしれない

貢献はCPUの処理速度の向上とHDの蓄積量の飛躍です
世界最強の兵器は何か? と質問された
いろいろ考えた、原爆だとかサリンのような毒薬だとかが頭に浮かんだ
が、違っていた
自動車だそうです
既に自動車事故で1300万人が死亡している
この事実を受けて、今やっ気になっているのが自動運転など
コンピュータのミスと、人間のミスとの割合、率で比較すると圧倒的にロボット化だと
利便性の中にリスクがあるのは諸刃の剣ですが
事故死を削減するにはと言う観点から進めるべきでしょう
また
介護を受けている人の8割の人が、ロボットの方がいいと言う調査結果が出たとのこと

日本の発展には実用性のあるロボットの開発だと思いました
 
2014.10/02木
美術 草間 彌生 永遠の永遠の永遠(2014年9月13日(土)→2014年10月13日(月・祝))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
制作中のビデオを見ると
頭で考えながら、どのように上手く描こうかなどの思考はなく
映画「スターウォーズ」に出てくる「フォース」のような力で描いている
まさに、架空のエネルギーが勝手に手を動かしている感じである
作品を観ても、
他者がどう思うかなど意に介さず、人の目なども全く気にせず
自分のフォースのままなので次元が違う
矢張り
伝統やTheoryなどを要求する世界で生きるタイプではない
しかし、1作、1億円ですよ

そうですね。1億円もらえるとしたら・・・
これです
「神をみつめているわたし」
自画像となると、途端に思考が働いているような描き方です
矢張り、女性です
「彌生も、かくありたい」と言うような願望が現れてます
 
2014.09/27土
講義 イタリア・ルネサンスの宗教空間と図像プログラムを読み解く
演題に興味があって出席した2014年の備忘録 Index

内容は、祭壇画と祭壇彫刻はどっちらが良いのだと、当時の論争文献を読み解き、考察した話
レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画が優れていると
絵画芸術は、その中に目に見えるあらゆる事物を包含する
すなわち、あらゆる物の色彩を示し、遠方の事物を小さく表現することによって距離感を現出できる
画家は100マイルもの距離を作品の中に現出させることができる
などと主張している

一方、彫刻派で面白かったことは
ギリシャ文明、ローマ帝国時代を観ても、彫刻が全てで
長い歴史の中で現存できるのは彫刻しかないと主張している

絵画と彫刻の間で、こんな論争があったとは知らなかった

勝手な言分
宗教を中心とする人間社会に神様が存在することで、
何かが上手く行かなかった、叶わなかったとしても、
神の思し召しがなかったから、信仰心が足りなかった、ということで片付けられたり
戒律に反したからとして罰することも容易になる
一方、別な観点から言えば、
天皇を神に仕立て上げ、「天皇陛下万歳」と云って利用することも・・・

分り易く言えば、
聖職者は、神という逃げ道を持っている
権力者は、神を利用する
しかし、
民主化が進み、神の存在が薄れてくると、個人の責任は大きくなる
そうなると
人間は、自分の立場を正しいと肯定し、そうでないものを否定する

ルネサンス14世紀〜以降、
才能や能力、意欲のある人にとっては面白い時代になった、と思った
 
2014.09/17水
音楽 名古屋大学博物館 -The Nagoya University Museum- / イベント情報 夜を想う〜暁までの星たちの旅
3b位離れた所で、”生”のフルートとハープの音を聞かせてもらいました。
この2つの楽器は若い女性が演奏するために作られたようだと、演奏を聴きながら思いました。
手や指、腰の辺りの動きが、実に色ぽく、
フルートは更に、唇の辺りが、実に艶(なまめ)かしい。
これ以上は書きません。(そう思って見てるからだろうと言われ、品位が下がるので・・・)

大好きな曲が演奏されました。
モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲より第2楽章
矢張り、
モーツアルトは違います。
メロディーが綺麗で心地いい。
この曲は、映画「アマデウス」の中でも流れています。

演奏が終わって、
私が「写真を撮らせてください」と言って、
2人に並んでもらったら、
10人以上の爺さんたちが、急に集まってきたパチパチと撮り始めました。(婆さんは一人も居ませんでした)
「気持ちは一緒だな」と思いながら、撮ったのが上の写真です。

日頃にもなく、耳と眼が、若返っていたのを感じながら、会場を後にしました。
 
2014.09/15月F
美術 芸術寸法−床の間芸術から会場芸術への展開 | 古川美術館
西洋画が入ってくる前から、日本画はあったが、
昔は、どこで観賞をしていたのだろうかと、今まで考えたことがなかった。
成る程と、今日になって頷いた。

日本家屋には客間と言う部屋があって、その奥まった一角に、床の間が作られている。
そこに、掛け軸や生花などを飾ったり、見たり、見せびらかすのだ。
同様に、
屏風も日本画が描かれていて、部屋の空間を仕切ったり、玄関口に置いてたりして、絵画を楽しみながら使う。
日本の文化には、家の中で、絵画など民芸品も鑑賞する習慣が昔からあって、
美意識が生活の場の中にあった。
このような文化は、いつまでも続いて欲しいと思いながら、
記念館の床の間の写真を撮ったら、叱られた。(上の写真)

3LDKのような生活空間の中では、難しい時代になった。
その分、美術館に行って絵画を鑑賞する時ぐらいは、
ダンディーに装い、絵画と向き合っても負けないくらいの美意識を持って鑑賞したいものである。
 
2014.09/15月Y
美術 イベント・展示 スケジュール|ヤマザキマザック美術館 ポール・デルヴォー
同じような顔つきの女性が立っていたり、
裸体で寝そべっていたりして、
オッパイや陰毛を剥き出しにしている。

裸の女性が嫌いなわけじゃないが、さっぱり分からない。
幻想的な所で好きな女性を裸にさせて、眺めているのが好きな画家なのかもしれない。
有名な画家たちに共通していることは、
何らかの苦悩を背負っているケースが多い。

時代が違い、社会情勢が違う中で、自分がどのように育ち、どのように学んできたかで、
また、
どのような立場で生き、どのような体験をしたのかで、人は考え方が違ってくる。
そのような自分独自の出来上がった考え方や目線で判断しようとすると、
全く理解できないような事に出くわしたり、
全く間違った結論を出してしまうことがある。(人は自分の器でしか測れないし判断できない)

西欧社会の中で高く評価されている以上、良さがあるのだろう。
「井の中の蛙、大海を知らず」と言うが、「されど、井戸の深さを知る」と言う、
日本をもっと知ろうかな、余り時間もないので・・・。
 
2014.09/09火
美術 宙(そら)の月光浴 石川賢治 月光写真展 space of spirit 【松坂屋名古屋店】   石川賢治HP
月に一度の満月、月光に照らされた夜の風景を写真に撮り続けた人。
昼の風景とは一変して、神秘的なブルーの世界が全ての写真に写っている。
天空の月と星、地上の自然美を観ていると、
何億年も前の夜も、きっとこんな風景だったのどろうと、想像を膨らませてしまう。

ふと気がついたことがある。
夏、登山などで常念岳や笠ヶ岳から北アルプス連峰を臨むと、山の土色や岩の地肌が荒々しく見え、そこには神秘的なものはない。
一方、
冬、スキーで志賀高原の東館山の山頂や戸隠の山頂あたりから、北アルプス連峰を臨むと、実に美しく見える。
山の土色や岩の地肌が、白い純白の雪で覆われ、隠れてしまうからである。(June Brideの花嫁だな、すぐ夏が来るが・・・)
それと似たような現象を、月光がつくってくれるからだろう。 

唐突に閃くのが私の良さで・・・
八代亜紀が歌う、舟唄にもあったな
「お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶったイカでいい 女は無口なひとがいい 灯りはぼんやり灯りゃいい ・・・」
いいね〜。作詞は阿久悠、月光を知り尽くしていると思う。

読書でも、
藤沢周平の隠し剣は凄腕であっても必要不可欠な時に一瞬使われるだけで、実に清々しい。
また、
今年読んだ宮城谷昌光の花の歳月は久しぶりに感動し目頭が熱くなった。
人の気持ちを察する心の優しさ、控えた心を見ぬく思いやり。

矢張り、美しいと感じる意識には、世阿弥が風姿花伝の中で「秘すれば花なり・・・」と言うように、
隠されたところがある、控えめなところがあることを、
日本の美意識は根底のところで大事にしているのかもしれない。

能ある鷹は爪隠すと言うし、この辺りで書くのを止めとこ。
 
2014.07/20
講演会 なかにし礼 「この国のゆくえ 一志は千里にあり」
 演壇から3mくらい離れた正面の席に座る。

入場されて、感じた第一印象は、
小柄だがBMI22の体型、男前で、実にかっこいい! (黒のスーツに黒のワイシャツ、黒地に淡赤のネクタイ)
とても75歳には見えない。(生き甲斐がある顔つき 肌が綺麗でOutdoorはしない感じ)
爽やかな瞳をしている。素直な目線で物事を捉え、人が感じるであろう心情を察する優しもある。
顔立ちの良さから、得をしている所もあるが、
知的で真面目に生きる気質や心意気を感じさせ、道義的に正しい道を歩むような性質をも感じさせる。
 
手は子供のように小さく、
手足、体を駆使して生きて来た血筋ではなく学者肌の人間に属している。
右手の薬指には、金に黒のオニキスらしき帯が入った指輪、左手の小指には、厚みと幅のある金に細工を施した指輪が光っている。

話が始まって感じたことは、
若き頃から今まで、そうそうたる経歴がありながら、過去の話が全くなく、
今直面している問題への意識と将来のことについてである。
それと、
組織に属さず自身の技量だけを頼りに独立独歩で歩んできただけに、
大勢に流されない心の強さを持っている人だと感じた。
逆に、心の強さがあったからこそ、作詞家作家になれたのだろう。

集団的自衛権に反対する話から、
平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう の詩が朗読された。
いろいろと、
情報メディアやニュースを通して、読んだり聴いたりして、ああだこうだと知ったかぶりに、ものを言う人はいるが、
文章や詩として書くには、事実と実態を、どの様に捉えたかの自身の目線と感性が、ものを言う。
きっと、
なかにしさんは子供の頃、戦争を肌で感じたからだろう。今の平和を維持することが如何に大事かを切々と訴えるように話された。
(私の両親も満州からの引揚者である。父は派遣教師、母は伊賀良村出身の開拓団の娘)

私も政治家のゴリ押しや、我が物顔のやり方が大嫌いなので、その通りだと思いながら聴いていた。
しかし、
75歳にして、名古屋まで来て講演をする、気力は凄い。
本人も仰っていました。
「何もしなくても困るわけじゃあない(作家として名声あり、財産あり)、
さんざんもてたし(女性が放っとかない)、
だが、黙っている訳にはいかない」と・・・
ここが、並の人間じゃあない、流されずに正義を守る勇気のある人です。

私にはできないことなので、情けないけど。
名声を得ても流される人はたくさんいるし、
影で、つぶやくだけの人はもっとたくさんいるし、
まあ、殆どは自分の利権の天秤で重い方を選んで尤もらしく、うそぶく人が殆どだが・・・
唯一、私ができることは、
選挙の時には、
子々孫々のためにも、誰をどの党を選ぶかくらいは、自分の意志で決めなきゃ人間として生まれてきた甲斐がない」と言うくらいです。
組織や団体、他人から言われた推薦者を投票しないこと、集団的自衛権に反対なら違う党に投票することです。

話の中で引用された書物も多く、映画も、歴史も、世相など多種多様で、
その中での些細な事も見逃さない鋭い感性は、作詞家や作家としての生き様を感じさせた。(私も読んだり観たりしていたので頷けた)

今日は、なかにし礼さんから、間近で生の話を聴くことができ、
考え方や見解の一致を感じ、格好いい兄貴が一人増えたような気分です
気骨稜稜 眉目秀麗 頭脳明晰 人品骨柄 があふれてる 映し出す 顔は心の 鏡なり  
(第一級の人物!)

追記:岸信介の話が出たので書きます (ボロクソに言われました)Amazon.co.jp: 絢爛たる悪運 岸信介伝: 工藤 美代子: 本
高校1年の時、学校へ岸信介が来ました。(私の出身地、生き証人として書き残しておく)
東大法学部主席卒だと先生が言った。
今でも、はっきり覚えていることは、
顔や目鼻耳口の大きさが普通の人(先生達を含め)の1.5倍くらいあり、端整で立派な顔をした男でした。
それと、
人を圧倒する面構えの凄さ、知性が溢れ出て隙がない目、オーラを発し人を惹きつける指導者としての魅力、
このような人間がいるのかと思った。
人間としての格の違いも感じた。(父は教師でしたが、この時をもって教職に進む気は失せた)
岸信介に出会ったことで、その後の人生において、大いに役立ったことは言うまでもない。

当たり前かもしれないが、生死を賭ける時代をくぐってきた男だけに凄みもある。(戦犯でもある)
近頃のみっともない政治家や指導者とは・・・
その日以来、今まで生きて来て、岸信介のような男に会ったことはないが、
そういう人物が必要とされる時代であり又、出てくる時代でもあったのだろう。
敗戦後、
人権が尊重される民主主義にはなったが、
昭和の戦中の指導者(二世)が、今も中枢の分野で関わりを持ち、日本を動かし続けていることに変わりはないが
政治家ではなく口先だけの書生程度だ
 
 
2014.07/13日
音楽 合唱団ノース・エコー
 知人の関係で観賞することに。
80人近い男女混声のコーラスだった。

昔、外国の100人ぐらいの合唱団の歌を聴いたことがある。
その響きに驚嘆した記憶が今も残っている。
具体的に言えば、
100人しかいなくても、聞こえてくる声楽の響きが、
1000人もいるのかと思わせるような響きが聴こえてきたことである。

また昔だが、
歴史本に書かれていたことを思い出した。
敵味方が対峙していて、
自分達の兵のほうが圧倒的に少数で、このまま戦をすれば負けてしまうと分かったので、
ある戦略を考えた。
所謂、
声を増幅し、大軍だと思わせた。
敵方は恐れをなして退散してしまったとの話だ。

辛口な評価になるが、
残念ながら80人位の響きしかなかった。
関係者やOBや身内の人達が大半の聴衆で、
仕事を持ちながらの趣味的なコーラスは分かるが、
長々と解説するオバサンには、参った。
コーラスは声楽で勝負し、聴く人を魅惑して欲しいものだ。
やはり、聴衆は少額ではあっても、時間を割いて、コーラスを聴きに来ているのだから。
 
 
2014.07/12土
音楽 TOYOTA MUSEUM JAZZ NIGHT はたけやま裕
 御園さんがコーディネートされたということで行くことに。
今回で7,8回目の開催らしい。
私と同世代でありながら、才能ある若者の文化振興事業役を務めようとする意欲に感心しました、と話すと、
「道楽です」と、おっしゃっていたが、心穏やかではないこともあるに違いない。
ちょうど今週は台風が直撃するかもしれない予報だったので、
御園さんは、きっと心痛されてるだろうと思ったが、やはりそうだったらしい。
私なんかは、煩わしいことから離れ、自分のしたいことに専念し、楽しみたいと思っているだけに、
自分にはない、自分にはできないことをしている人だなと思った。

音楽芸術に限ったことではないが、
熱心に努力している人を応援したくなるような感情や
志のある者の後ろ盾になって支援する気持ちになるには、
支援者自身が、安定した状態であり、心に余裕があり、煩わしさを受け入れる気持ちがなくてはできるものだはない。
しかし、これだけではなく、
自分という枠組を忘れ去っているような、超越したものが不可欠だろう。
それは、
例えれば、自分の人生を振り返ってみて良い人生であった、何かお返しをしたいと思えるような人だけが知る、感性である。
若かりし頃の自分を彷彿とさせるような、情熱を持っている若者に出合うと、支援したくなるような感情にも通じる。

はたけやま裕さんのパーカッションの手さばきにはSurpriseです。
あれだけ叩いて手は大丈夫なのか・・・。
目の前で、連打される動きと響きを聴きながら、
ハワイのフラダンス、日本の盆踊り、アフリカ奥地の民族的な火祭などを思い浮かべた。
叩いている人は、興奮し、陶酔の世界に入り込んでいるに違いないと、
それがあるからArtistsを止めれなくなる、中毒的世界でもある。(そのことは少し分かる)
 
 
2014.07/08火
講座 イギリス文化と英詩 ールネッサンス恋愛詩と資本主義ー 岩崎宗治 名古屋大学名誉教授
 時間が来たので教室に入ったが、社会人らしき人は居なくて、
学生たち(女学生が殆ど)から異星人でも入ってきたかのように、ジロジロ視られた。

更にレジメを貰って、ちらっと見ると、
英文がビッシリと書かれていて、ちょっと場違いなところに来たのかなと、心配になった。

空いている席があったので席に座って、スクリーンを見ると、
英米文化文学会春季大会が読み取れた。
興味ある演題だったの来たが、英語が飛び交い指名されたりしたら嫌だなと思ったが、
まあ、いいやと腹をくくって座っていた。

レジメの英文を読むと、英国の詩が書かれていた。

日本語で始まったので、真面目な顔をして聴いていたが、
聞きなれない言葉とマイクが遠くて聞き取れない・・・?
イタリアの詩人ペトラルカの影響がヨーロッパで広まり、英国ルネッサンス期の詩人たちも影響された。

で私の推論
レジメの恋愛詩を読んで要約すると、
若いころの美しい姿は、直ぐに衰えるから、 (ゴンドラの唄 小林旭:ロレンツォ・メディチの詩、バッカスの歌とも)
報いられる時に、大いに美の宝を利用し、高い利子でも支払う者をよろこばせ・・・。
要するに、
若さを利用し、金持ちから貢がせ、子供をつくれば、幸せになれる。

現実には、
必ずしも詩的で、美しい関係だけではなさそうで、
男女の関係には、金銭が伴い、(イギリス映画などでも、落ちぶれた貴族が娘を利用して富豪と・・・)
姦通、妾、売春にもつながっている。(現代社会でも、確実に儲かる商売は、兵器と売春であると言われている)

男から見れば、
金に少しでも余裕ができれば、女に手を出すケースは何時の世も変わりない。(秀吉が浅井の、信玄が諏訪の・・・)
要するに、
男に金を稼がせ、クレジットカードを持つ仕組をつくっているのは女で、(生き物の社会にも、そういうケースは幾例もある)
それは、
言うなれば資本主義の生みの親であると。【恋愛(詩)=資本主義】

余談
シェイクスピアのハムレットの中に、
「弱き者、汝の名は女なり」という有名な言葉がある。
ノブレス・オブリージュの道義を優先する男(貴族)から見た、女の弱さを言い表しているが
反対に、物語からは、生きて子孫を残すことを最優先に考える、女の強さも言い表している。
そんなことを考えていると、
シェイクスピアは、人間(男、女)とは何かを物語った最高の作家だと、今でも評されている理由がわかる。

更なる余談
僕は、生きる上での考え方で、イギリスが大好きです。
若い頃に読んだ「自由と規律」は衝撃的で、自分の生き方に凄い影響を与えてくれました。今も座右の書です。
また昔、ロンドンへ行った時に感じたことや、
イギリスの本を読んで。(多分200冊ぐらいは読んでいる)

人間が生きて行く中で、自由の中にも規律があり、規律の中にも自由がある、生き方が、
一番人間らしい行き方だと思うようになりました。
簡単に言えば、型にはまらない柔軟性と言うか臨機応変とでも言うような考え方です。

きっと、「太陽の沈まない国」になるには、
支配者と非支配者の関係で、不可欠な要素だったような気がします。
日本が満州国でしたことと、イギリスが植民地でしたことの、一番の違いだったと色んな本を読んで感じました。
(分り易く言えば、職人と商人の違いのようなものです)
何れにしても、ヨーロッパの中で大航海時代を確立し資本主義や産業革命を起こした実績からくる、
自信と余裕から出てくるものなのでしょうが・・・。
(何度も観ましたが、デビッド・リーン監督の英映画インドへの道は、支配者のイギリス女性が決断した義と勇の正義感にも感動します)

そんなイギリスへの思いがあって講義に出席したわけですが、
生きて行くことが難しい時代では、ありえることが、(レ・ミゼラブル、水上勉の飢餓海峡、映画「高慢と偏見」などの物語がある)
恋愛詩の中にもあったのだと、学びました。
周りを見ると、まさに春爛漫、
若い美の宝がムンムンと溢れかえっていました。
(金持ち爺さんだったら若い美の宝とアバンジュールが・・・と思いながら後ろを振り返って教室を後にした)
 
 
2014.06/30月
美術 光風会100回展記念 洋画家たちの青春 ー白馬会から光風会へ
 青春という年頃には、自分が今から何をすればいいのか、
また、本当に、この道でいいのか、迷いながらも、答えを見い出せないところがあります。
しかし、恐れることもなく無邪気に前に進むようなところも、伴っています。
画家で生きるということは、もっと凄まじい葛藤があったことでしょう。
が、自分の好きなことでもあり、自分を信じる気持ちも強かったに違いないと、思いながら鑑賞しました。

在り来りの風景画や人物画や静物画を観てきて、出口の最後の所に、この絵があった。
清原敬一さんの「内と外」です。
暗い鶏舎から首だけ外に出して餌を食べているような小柄な2羽、
明るい外で逞しく胸を張っている1羽は、小屋を後にし更に未来へと向かっているように見えます。
会社の中も、鶏小屋だなと思っていた時期があり、
この絵は、まさに画家の青春を表現している。と思って一番気に入った絵になりました。

最近、思っていることを書きます。 葉っぱのフレディ
人の一生を四季に例えれば、青春はまさに春です。
何も彼もが芽を出し、一様に青い葉っぱを広げ、色彩豊かな花を咲かせ、交配し実をつける20〜30代の時期です。
誰でもが、若々しくエネルギーに溢れ、美しく、必ず通る季節です。
今、私は秋です。
ただ秋は、生きてきた環境の違いで人それぞれが様々です。
春の葉っぱは小学校の入学式みたいに皆同じですが、
秋の葉っぱは一枚も同じ葉っぱはなく、色彩も様々で、千切れた葉や虫に食われた葉っぱもあります。
ですが、
秋の紅葉の季節は美しいですよ。
寧ろ、秋の紅葉は
一枚一枚の葉っぱの美しさというより、木全体を彩る美しさ、山全体を覆い尽くす美しさが特徴です。
知性と教養と体験に裏付けられた人生後半の秋は、
大人でしか発することができない、
総合的なオーラを発散できる年齢でもありますが、
「一葉落ちて天下の秋を知る」時期にも来ています。
 
 
2014.06/21土
公開講演会 一部:「平家物語と史実」〜源平の戦いを中心に〜 京都大学教授 元木泰雄
      二部:「のっぺらぼう」考〜日中比較妖怪学の立場から〜 茨城大学教授 増子和男
 聴いていて思い出しました。
イタリアのシチリア島の人が、「歴史は勝者がつくる」と言っていた言葉です。
地中海には日本の比ではない熾烈を極めた全滅戦があり、栄枯盛衰が繰り返された歴史がある。
要するに、勝った人間しか生きていないし、勝つと手前味噌になるのは人の世の常です。
「平家物語」は、そんな物語のfiction小説。
その内容に、物語と史実の違いを考察した話しである。
やっぱり、大学教授はEccentricだ。
だって創造的ではないし、世の中が良くなるわけでもないし、それがどうしたですよ。
6/16日の人間らしさの授業の時に聞いた、どうでもいいようなことでも追求し研鑽をするのが人間らしさ、という言葉を思い出した。
そういう意味では、大学教授が一番人間らしい人間なのだろう。

お化けの話に出てくるくらいしか知らなかったが、これも奥が深い。
いろんな資料から、その成り立ちや類語、変遷を考察する。
何れにしても、小泉八雲が残した昔話が中心となる。

聴いていて思いました。
お師匠さんが中国から西欧に変わったとき、「ラフカディオ・ハーンもフェノロサと同じような考え方を持っていた」と思った

江戸時代まで日本の師匠は中国でした。
が、明治維新後、
文明開化で西欧かぶれになって180°転換した。
それだけならまだ良かったのだが、今まで培った物への価値を切って捨てようとした。
廃仏毀釈のように、日本古来の美術も捨てられだした。
フェノロサは岡倉天心と共に日本古来の美術を存続させる為に奔走したことはよく知られている。
それと同じように、
西欧の童話や寓話などが押し寄せることで、日本の田舎などにあった昔話などは、語り継ぐ人もなく廃れ物になるところだった。
ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲は、昔話を高く評価し、日本古来の昔話を蒐集し、英文にして残してくれた。
昔からの文化を、切り捨てようとした日本人、それを救った外国人。
余談だが、
日本は、いつの時代でも目標とする国が必要で、それを模倣する文化でもあった気がする。
そういう意味では、誰かに依存して生きる民族性なのかもしれない。
強いて言えば、今も日本はアメリカの属国のようにして生きていると言っても過言ではない。

聴いていて思ったことは。
窓がない人は怖いお化け

「のっぺらぼう」は、お化けの話に出てきて、怖いものとして登場します。
眉毛も目も鼻も口もないと、顔の表情が分からない。
謂わば、
心の状態が分からない、Identityが掴めない、何を考えているのか分からない、得体のしれない人物などの例えとして、恐ろしい。
そんなことから登場してきたのではないかと思った?
顔は心の窓だと昔から思っている。浄瑠璃を一度でも観たことがあれば気付くはず)
目は口ほどにものを言うし、心や体の状態が顔の部位を変え、日々の積み重ねの結果が、顔相や表情になる。
だから、顔は自分がしたことのResult Descriptorでもある。

先生が最後に言っていた言葉がよかった
子が父に聞いた「本当に、お化けはいるの?」
父が「いる訳ねえだろう、バカ!」
この様に、
子供のロマンを打ち消し、切って捨てるような、親にはなって欲しくない、と言われました。(今から親になる学生たちへの言葉だろう)
日本人の心の本質を大事にしたいと、思っていらっしゃる先生の気持ちが、私にも伝わってきました。
 
 
2014.06/16月
学術講演 人間らしさの起源 ー比較認知科学のアプローチー 慶應義塾大学名誉教授 渡辺茂
 演題に興味があったので中京大学の教室へ向かう。
社会人らしい人は一人もいないので、ちょっと戸惑った。結局、学生250人位の中に、社会人は私一人だった。

動物が対象物に対して、どの様に識別Discriminationするかを数値と数式、英文で記述し、
その分析した結果を説明する。
ちょっと、付いて行けないくらい難しい(本当に学生たちは解っているのかな?)
が、
Art Instinctの話になってから、俄然面白くなってきた。
美はヒト固有の本能か?
例えば、
・風景の好みはーーー>1.食べ物がありそう。 2.天敵から隠れやすい
・メスは美的センスを持っている(クジャク)、だから綺麗なオスが好きーーー>健康であるから
・ただ一律ではなく、動物によって美のセンスが異なる
 ー私見ー
 カラスや猿などで研究されたようだが、証明するのは難しいそう。
 同種の犬どうしでも相性や好みの違いはあるし、人間の男女だって諺の通り「割れ鍋に綴じ蓋」「蓼食う虫も好き好き」がある。
・美はバイアスBiasかもしれない
 ー私見ー
 思春期の男女には、「あばたもえくぼ」に見える時期がある。きっとバイアスのせいだろう。
 もし、バイアスがなかっら絶滅するかも、種の維持や存続に大いに関係しているような気がする
 美意識とは関係ないが、
  思考にもバイアスがあるのだろう。
  もしないと、「ハーメルンの笛吹き男」の童話の話のように、群れをなし集団行動したネズミ達は全滅した。
  細胞にもバイアスがある
  1.ハンティングの楽しみのため、イギリス人がオーストラリアにウサギを持ち込んで繁殖させたが、
    放置している間に増殖し過ぎたので、毒物をまいて死滅させようとしたが、毒物を食べても死なないウサギがいた。
  2.昨年読んだ本で「不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生」もそうだ。
 謂わば、バイアスがあるからカオスがあり個性がある。バイアスは全てに関わっているような気がする。

芸術の3要素
1.運動技能
2.自律性(自己強化)
3.他人が認めてくれる
そして
人間らしさとは、
・無駄なことにでも研鑽をする
・価値を認める

ー私見ー
確かに、芸術と人間らしさは近似値にあると思う。(スポーツにも相通じるところがある)
私は、今飼っているヨークシャテリアを14年以上観察してきたが、要素やらしさはない。
更に、仁義礼智信もない。
ただ、人間も多種多様で、五徳がある者もいれば、欠けている者もいる。
小心者やセコイ奴がいれば、個性と品格を備えたセンスのいい者もいる。

人間らしさには=体力+気力+知力、その源は食と健康
判断を下す知力、
それを推進していく気力も、
体力の支えがあってこそ、人間らしさが発揮できる。
三拍子が揃わないと人間性は成り立たないと思う。
要するに、体力の有無、謂わば、生命維持が最優先する。
何らかの疾病があって明日の命も分からない状況や、明日以降も食べていけるかどうか分からない状況では、
高邁な理想や無駄に等しいことや、文芸などに研鑽を重ねることなどをして、価値を認めてもらうために励むことなどは、
二の次になってしまうのが自然である。

衣食足りて礼節を知る
18000年前に描かれたアルタミラ洞窟壁画のことを思うと、
食うことが叶い、天敵からも守れる状況だったから壁画が描けたのだろう。
これこそが、人間らしさの行為ではないかと思う。
謂わば、
食べることができ、健康で安心して生活できる環境になった時、
その人が何をするかで、人間らしさ、人間性が決まる、と言っても過言ではないだろう。

英雄色を好む、我色を好む、故に我英雄なり(間違った三段論法だが)
そういう意味で、アルタミラの壁画は、
「芸術は人間らしさのの原点」だと考える人は多いと思う。
その中に、高位な美意識がInstinctとして備わっていたのも人間だけの特徴である。(ヨークシャテリアには意識として全くない)
ただ、
46億年の時間の中で、綺麗な色や形を作り上げた動植物もたくさんいる。
美は生殖と直結していて種の持続に不可欠なものなのだろう。色を好むから?

いろいろ書いたが、
私としては、文芸を創造する事が一番の人間らしいさ、だと思っている。(文芸は多くの人に幸福感や感動を与える)
人間はあらゆるものをつくってきたが、それは変化でもあった。
「あらゆる変化は、誰かをより幸福にし、その分他の誰かを不幸にする」ーー経済史家ジョエル・モキル
上の文は、数カ月前に読んだ「コンテナ物語」の中にあった引用文。(ビルゲイツが読んだというので読んだ。必読書です)
 
 
2014.06/08日
美術 Marc Chagall シャガール展
 いや、参った。
いつものように、もし一品を貰えるなどと考えながら選考している自分の頭にガッンと一撃をくらった感じです
シャガールはそんな画家じゃあないと観賞途中で気付きました。

今まで色んな所で、色んな絵画を観てきましたが、こんなに衝撃を受けたことはなかった
彼は画家ではない
西欧絵画を代表するような、モネやゴッホ、ピカソ、ゴーギャン、ルノアール・・・とは、格が違う
第一級の芸術家だと思いました
絵画の美学という概念をビッグバンさせたような衝撃でした
考えていることの次元が他の画家とは全く違う、異次元の世界観を持っていると感じました。本当に衝撃でした

絵の上手い下手、絵画表現の良し悪しなど、そのようなことを超越してますよ、この人は
人間人類が持つ普遍的な営みがあって、それが持つ意味の深さ広さを表現するのに
子供の純粋な心がいだくような、素直な色と形で無理なく描き、これが人間なんだよと、言い表しているようでした

鑑賞しながら、こんなことが頭をかすめました
子供のころ住んでいた田舎では
性、SEXなど知らないくせに、その隠語を「おめこ」と言っていました
「お+め=こ」は 「男+女=子」なんだと思います
今になって思い出しても、小さな子供の心の中にも、生命を未来へ繋ぐ意識が芽生え始めていたのだと思いました

人間の全てを表現することができるオペラという芸術も凄いですが Verdi.Nabucco.Va Pensiero.MET.2002 - YouTube
その殿堂とも言えるパリ、オペラ座の天井画に、シャガールを選び描かせた人も凄い

言葉では表現できないので、これ以上グタグタ書くのは止めます
北斎の目線が私にとって第一級でしたが、シャガールが加わりました
偶然の出合が、時空を超えて同気一体を感じさせてくれた、衝撃の日になりました
 
 
2014.06/07土
術 第36回 日本新工芸展(2014年6月4日(水)→2014年6月10日(火))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
 凄い力作ばかりでした
絵画のように絵の具を塗るだけと違って
陶芸、金属工芸、漆芸、染織工芸、木竹、皮革、硝子、七宝、人形、紙工芸など多岐にわたり
手に力を入れないと制作できないものばかりです

一番気に入ったのは
左の染色作品で、丹下雄介さんの「富貴」です
大柄で、せせこましくなく、大胆な感じがして好きです
それと、構図と色合いに無理がなく品格を感じます

いつも鑑賞し、ああだこうだと言っているだけの自分に、肩身の狭い思いを感じています
なぜかって?
創作するには偶然はなく、必然しかないことを知っているからです
必然があるということは、しっかりした理論があるということです
(理論がないと、口では、ああだこうだと尤もらしいことを言っても、何かやらせみると実際には何もできませんから)
更に
どんな作品であれ、作者は
理論の上に手間隙かけてコツコツと、ああではないこうではないと試行錯誤を繰り返しながらも追求を重ねて
できた作品に違いないと、思い察して鑑賞していることを、ここに書き記しておきます
 
 
2014.06/04土
演 宇宙の中のサッカーボール お茶の水女子大学名誉教授 細矢治夫 - Google 検索
 大概のことは解るので、出席したが・・・
複雑な数式と化学記号、図形、英語
正三角形から正二十面体へ、その多面体が角切り(Truncated)二十面体へと、それがサッカーボールの原型に
多面体には頂点(Vertex)V、辺(Edge)E、面(Face)Fがあって、その数の関係を表すと
V-E+F=2が成り立ち、多面体のオイラーの公式の説明へと
それを、分り易く覚える話があって
「線は帳面に引け」などと、覚えることで優秀な成績に繋がった教育の話もあった
例えれば、E=V+F-2にもなり,辺90=頂点60+面32-2、(線)=(頂)+(面)に(2)引け、と

ダイヤモンドのような結晶も多面体で
その炭素化学種の呼称であるCarbyneの化学記号の説明になると、離されてしまった



大学の先生は、世の中の色んなものを、一生を掛けて、理論的に記号化したり、関連性を追求したりして、説明できるようにすることが
謂わば、解き明かすということが、好きというか、楽しいに違いないと思いました

 
 
2014.06/01土
美術 第49回 日春展(2014年5月24日(土)→2014年6月1日(日))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
 いつものように全作品を最後まで一覧する
好きな絵を一つ貰えると仮定して、もう一度、入口から選別しながら鑑賞をする

美術は
制作技法や手間を掛かけているなどということで競うものではないと思っている
観る人が、どう思うか?、どう感じるか?などが、絵の中にあることだと思っている

<ー橋田真季さんの「装」を観た時
ん何?
靴を履こうとしているの
足はどこにあるのと考えた
手が下がっているようだけど???
上の方を見て、頭とか顔はどうなっているの、どこにあるのと、探す有り様

いや、実に面白い
人の既成概念を上手く利用し、目がふくらはぎ辺りを見てしまう
人は幼い頃から、どうなっているのか懸命に理解しようとしたり、謎解きに心踊らせるような習性がある
まさに、アガサ・クリスティーの巧みな推理小説にハマるようなもので
どうなっているか、知りたい
それを、この絵に感じた
 
 
2014.05/31土
生涯学習 5/24・31医療工学/生体工学に関わる名工大のとりくみ|国立大学法人名古屋工業大学
・幼児・高齢者の熱中症 〜物理で考えてみよう〜 
平田 晃正(工学研究科情報 工学専攻・准教授
熱中症のメ力ニズムについて概説するとともに、講演者が開発した熱中症シミュレータを用いて、物理的見地から熱中症を考察します。計算機上で真夏の条件を再現、子供および高齢者の体内温度上昇および発汗を概算した結果を紹介し、熱中症予防に関する留意点を物理的に説明します。
・「骨を再生しやすくする新素材の開発」 春日 敏宏(工学研究科 未来材料創成工学専攻・教授)
超高齢社会のQOL(Quality of Life)維持のため骨再生治療は極めて重要である。生体のしくみに学び、細胞を積極的に活用して性能向上をはかろうとする試みが進められている。本講演では、この考え方に基づいて進めている、骨再生を助ける新しい治療用材料を中心に、筆者らの研究のいくつかを紹介する。
 ・幼児・高齢者の熱中症 〜物理で考えてみよう〜
確かに
高齢者は鈍くなっているんですね。暑くても暑さを感じない、だから汗をかかない。早め早めの対応を・・・
一方、子供はたくさん汗をかくから水分補給をしっかり取れば大丈夫

???疑問が出たので質問をした
・アフリカや東南アジアの人は熱中症はないのかーーー>ない! 四季がなく、いつも暑い、湿度が低い
・しかし、S30年頃は熱中症なんて聞いたことがないがーーー>高齢化社会になった。もっと早く死んでいた

・「骨を再生しやすくする新素材の開発」
難しい
世の中の医療が進歩していることだけは良く分かった
骨は臓器である
骨髄で血液を作っているので血が流れている。軟骨には血が流れていない
29歳の骨の強度を100とすると、70歳は60%に低下している

???質問をした
・軟骨に再生を助けることができるのかーーー>硬い骨でないとできない、だめ!

感覚にしろ、骨にしろ、何も彼もが、若いころの60%程度になっていると思って

やはり、健康寿命でポックリが一番ですが、そうは行かないのも現実
長寿社会になればなったで社会的な問題も多数でてきている(歩留まりを良くしようと思えば思うほど手間がかかる)
今後10数年以内に、もっと難しい時代が来るな、と思いながら大学を後にした
  
 
2014.05/28水
講演会 日本「再創造」〜行動する人材を育てる 小宮山宏 
「地球の有限性を考慮しない環境やエネルギーの利用が、成長の限界を招く」
かってローマクラブが、「成長の限界」(1972年)で警鐘を鳴らしたことが現実味を帯びてきています。また、モノの普及が加速する中、普及型需要が牽引する成長にも限界が訪れています。
本書は、成長の限界を招いている課題の解決にこそ、次の成長の地平があることを示すものです。そしてその鍵は、生活や人生の質(Quality of Life(QOL))を追求する創造型需要が導く社会づくりにあり、そうした社会をプラチナ社会と定義しています。課題先進国「日本」こそが、プラチナ社会をいち早く実現し、「成長の限界」を超える持続可能な社会モデルを世界に発信できるのです。
Beyond the Limits to Growth - a SpringerOpen book
Amazon.co.jp: Beyond the Limits to Growth: New Ideas for Sustainability from Japan (Science for Sustainable Societies): Hiroshi Komiyama: 洋書
 錚々たる履歴の持ち主だけに、物事の捉え所が工学者らしく、理論的にPowerPointで教示する

日本は、敗戦後の繁栄の中で、公害問題、石油ショックなど多くの問題を克服し
世界一の長寿国になった経緯があると

だから、今、日本が抱えている問題も克服できる、と言う話である

・産業革命後、西欧の先進国が繁栄したように、現在は後進国がそれを担い享受し、先進と後進の格差がなくなってきた
・欧米や日本は、人工物、例えば自動車や家電にしても、もう飽和状態になっている、後進国も後10年ぐらいで飽和になる
 (例えば、先進は自動車の保有率が0.5、2人に1台。更新は0.08以下、だけど後追いの成長率は早いので10年位で同じになる)
・更に、飢えがなくなったことで、世界の平均寿命が伸びている
言いかえれば、
世界的に「衣食住、移動、情報、長寿」が飽和状態になってきた
謂わば、欲しい物は手に入れ、量的には満たされた状態になった

量から質の欲求に
量を求めた欲求で、社会が繁栄したと同じように
生活や人生の質を高める欲求が、今後の21世紀の原動力になる、「プラチナ社会」を目指すべきだと言う
>一個人から思えば、この話は社会的な重厚長な産業の指針である

印象的だったこと
・長寿の内訳は90才以上が12%位
・平均寿命が70%位
・以下が18%位で、医療や介護などなどで、国など色んな分野での負担になっている
健康長寿を目指すには(健康寿命を長くしてポックリ死になるには)
1.栄養 ○
2.運動 ○
3.人との交流 ◎
4.新概念への柔軟性 ◎
5.前向き思考 ◎
>この話は、一個人の「生活や人生の質」に直結した話なので、心掛けれる。現時点一応及第点かな○◎

何れにしても人それぞれの、価値観(考え方や生き様)、環境、資産など
人の質の欲求は多種多様だから、そう簡単には、と思いながら聴き終えた
(例えば、自動車だってピンを望む人がいれば、キリで良い人もいる)

私見
1.アメリカによる原爆を受け、核廃絶を訴える国が、アメリカの言いなりの政治で、原爆原発導入を決めた時から
日本は、マグマ溜まりを利用した地熱発電をするべきだと思っている
地球誕生以来、今も活動している永遠の電気エネルギー源ですよ

2.どんなに目指しても、いつかの時点で衣食住、移動、情報の経済成長は飽和し止まる
寧ろ、ソフトの更新(自動車は12年)と同じようにリサイクル経済と、システム管理の農林水産業を目指すべき
限定された土地や山、河川海洋の中で、永遠の電気エネルギーを使い、電光とロボットと自動制御を利用した生産をする

3.最終的には、食の安定供給に尽きる
腹が減っては戦はできぬ、と昔から言うでしょう
今からやれば、ソニ、パナも食料の生産技術や管理技術でマイクロソフト、アップルになれる
(狭い国土のオランダはアメリカに次ぐ食料生産国ですよ)
 
 
2014.05/24土
生涯学習 5/24・31医療工学/生体工学に関わる名工大のとりくみ|国立大学法人名古屋工業大学
名市大・名工大・名学院連携事業「地域で育む"未来医療人"」では、住み慣れた土地で、豊かに老いを迎え、その人らしく暮らすことのできる地域社会づくり(Aging-in-Place、AIP)を支える医療人材を育成する。 本講座では本事業の概要とAlPにおける地域包括ケア・在宅医療介護を支える多職種連携にICT情報共有システムについて解説する。
地域で育む未来医療人事業と多職種連携ICT 情報共有システム
 岩田 彰(工学研究科創成シミュレーション工学専攻・教授)

 在宅医療、在宅介護におけるチームワーク、一人で生きれなくなった老人をどうしようか、と言う講義だっただけに
自分もいつの日か、このような年が来るのかと思うと、ちょっと辛かった
しかし、避けて通れない話だっただけに、健康寿命を長くしてポックリがいいな〜、と思いながら聴いていました

何故このような仕組みをつくろうとしているのか?
・現在65才以上の人が3100万人26%、これが2040年にピークになって3863万人となる
 >栄枯盛衰の原則だよね
・2035年までに増加する約1000万人の高齢者の54%は東京、神奈川、大阪、埼玉、愛知、千葉の6件に集中する
 >田舎はどうなるの? 中央公論6月号:消滅する市町村523ー壊死する地方都市
・今後、医療のウエイトは入院から在宅にシフト、2040年には44%の人が病院以外の場所で最期を迎える
 >誰が世話するの?

印象的だったことは
知識創造は暗黙知と形式知の相互変換運動である 中野郁次郎
         (中野さん共著:失敗の本質―日本軍の組織論的研究は絶対読むべき本です、書棚にある座右の書)
分り易く言えば
暗黙知は、スポーツなどのコツ、自転車に乗るにはなどは、言葉では表現し難く、体で覚えるもの
一方、形式知は文章や図表、数式などを使って表現できることを、学習して取得するもの
この2つは
共同化、表出化、内面化、連結化によって理解が深まる(昔から言う文武両道)
医療のあり方としてだけではなく、国家や企業組織などもだが
知識創造なくしては成り立たないということだろう(いま、一流と言われた企業が、自治体経営の施設が、まさに)

生きて行くことはも大変だが、死んで行く時も大変だなと思ったのが、この講義の印象だった
 
いつもの余談。いろいろと思い考えてもだがーーー
以前HPで読んだ
Food Wars Could Rage by 2050 : Discovery News Agency for International Developmentは予測をする
 >2、30年以内に、ひどい食料不足が起き、世界規模の対立が起きるかも
 >現在70億人が2050年に90億人になると、支えるための十分な土地、水、エネルギーがないかもしれない
シリーズ 90億人の食 世界の食の未来 | ナショナル ジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC) 日本版公式サイト
こんなことを考えていると
確かに少子化が進むことも当然かな、と思ってしまうし、老後のことだってどうなることやらとも・・・

生老病死だけは、自分の意志でどうすることもできないとブッダの世界は言うが
Time Place Occasionという時、場所、機会は、それへの影響が余りにも大きいが、食うことが全てを決める

昨年読んだ 辺見庸の「もの食う人びと」は現実味があった
寧ろ、インドのような国や田舎での生活様式が、人間本来の生き様なのかもしれないとも思うし、生き残っていくようにも思う

いろいろ考えても、最後はGOLFかな
昼食に、かつ丼を食いIn Startした
今日最後の18番グリーにtwo onツーオンし、Three yardsのバーディーチャンスに付けた、入ればAge Shoot
一打目のパットの、最後の一転びが入って、その音が耳に入った
One puttは一入(ひとしお)だと思った時、心臓が止り、意識が薄れ、やがて逝ってしまう
それがGood byeする一番のTime Place Occasionのような気がしてきた

過去は幕が下りた舞台、どうしようもない
未来は夢幻の舞台、どうなるものでもない
今日の舞台に最善を尽くし楽しむしかない
 
2014.04/24木
公開講座 デジタル社会の落とし穴―日常生活から外交まで― | 中京大学
 今までに企業トップの講演を色々聴いてきたが、
今回のように面白く、色んな事例を引き合いに出しながらの講演は今までなかったような気がする。

このような社長がいるのなら、中日新聞を購読しようかなと思ってしまう。

頭の良さもなることながら、話の話題が多岐に渡り、確かにその通りだと納得する。
日々毎日、人間社会の中で起きる出来事を鋭い感性で眺め捉えてきたからに違いない。

いつもの私見になりますが、日本のジャーナリストに最も必要なことは
あらゆる権力に同調することなく
一つの事柄に対しても、色んな切り口で、多面的に論評し、容赦なく文字や言葉にして社会に提供することが
ジャーナリストの使命で役割で仕事であると、以前から思っている。

だから、政権の下っ端になっているような報道機関のニュースは、見たくも読みたくもない。

勿論、どこの国だって、権力に寄り添い、巻かれ、流れてしまうところがあったし、今でもある。
それを、減らし正すために
アメリカではピュリッツァー賞として、義を見て為したものは勇ありきとして、評している。
下記はその趣旨で
「社会的不正義と当局の汚職の摘発こそ、審査を貫く基準である」と語り
その基準によって「公益」部門を最上の賞として金メダルを設定した。とある。

やはり、正義が通用しない国家は負けてしまうし
専制的な政治国家は衰退を辿るしかないことを、歴史から学んだからに違いない。

私は、デジタルの情報会社の中で生きてきたが
パソコンにしても、スマホにしても、道具として利用するものであって
それが全てになって、虜(とりこ)になっしまうと
それ以上に向上することはできないし
それ以上に幅のある人物にはなれない
一つの枠の中での専門馬鹿か片輪になってしまう。

バスに乗っても、地下鉄に乗っても、片手にスマホを握りながら
日々の情報Informationを黙々と眺め見ている人が実に多い
あれがどうなった、こうなったと情報を読んでいるだけじゃあ、どうしようもない。
例えれば
スクールで講師の言っていることを必死にメモしているようなもので、それでは講師を超えることは絶対にできない。
同様に
メディアの記事やニュースや言葉を真に受けているようでは、多角的な考えや、自分の考えは育たない。
(どっちかと言うと疑ってかかる方が良い)

本質は事実Realityであり、それが真偽や良し悪しを選別する能力を養う。
それこそが重要情報Interagenceであり
ジャーナリストの本質であり、視聴者や読者である大衆にとっての知能となり、理解力、思考力にもなる。

本物とは

人類の歴史の中で文芸などとして、何十年、何百年、何千年も、この世の中に残り続いているものが本物で
それを消化し自分の血や肉にするから、Intelligenceになる。

The 100 most influential  books ever written
 
2014.04/18金
美術 第69回 春の院展(2014年4月12日(土)→2014年4月20日(日))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
 いつものように、文字は一切読まないで、出口までの作品を全て観る。
今回は、「面白い」と思った作品が多かった。

・岩水てるみさんの「雨模様」は、雨と水を、上手く表現し、水に映る姿が面白い。
・並木秀俊さんの「燈台」は、燈台の螺旋階段を下から捉え、視線を変えた見かたで面白い。
・貝塚茜さんの「かわいそうなわたし」は、若い女の子の、ちょっとした仕草が面白い、こんな姿は初めて。
他にも、普通とは違った目線で描いたもの、戯れているもの、一瞬の出来事を捉えたものなど、
在り来りではない事象を表現した作品が多く、面白かった。
第69回春の院展 入選作品/受賞作品 −院展 公式ホームページ−

もう一度、入口まで戻って、
もし一枚、ただで貰えるとしたら、どれにしようかと、思案しながら、欲しい作品を探す。
<<< 左の作品、
平林貴宏さんの「表象と消費」に決めた。
若い乙女が、着物をずり落としながら、戯れているようでもあるし、誘っているようでもある。
乳房の辺りがなんとも言えないくらい、処女らしさを感じさせ吸ってみたくもなる。
欲しいな、この絵。
いや、このような乙女・・・、欲情の目線に変わっていたのかもしれない。
あまりにもジロジロ舐め回すように観ていたのか、
監視のオバサンが、「エロじじいの眼つきで嫌だね、触ってはダメだよ」と、言わんばかりに、睨みを効かせていた。
そして、
1m位離れた所からボールペンでメモっていたら、インクが飛んで汚してはいけないのでと、鉛筆を持ってきた。
きっと額入り娘なのだろう。
 
2014.04/12土
美術 第12回 キルト日本展 | ジェイアール名古屋タカシマヤ
 想像していた物とは程遠いものだった。
キルトKiltとはパッチワークPatchworkから発展したものだと思っていた。
それは、
布が希少価値だった時代、破れた所を継ぎ接ぎしながら、
羽織として服として長く着れるように工夫をした物だと思っていたからだ。
しかし、
今の時代、パッチPatchは工芸美術、絵画芸術のように変化していた。
矢張り、平和と豊かさは、芸術の発展に不可欠な要素なのだと改めて思った。

余談だが、
コンピュータComputerのソフトSoftにもパッチPatchという表現がある。
謂わば、バグBugの習性。不備な箇所、欠陥や誤りなどを修正し、正しく動作するようにする。

上記のことが正しいか、確認したくてスタッフらしい人に聞いたところ、
専門の人を連れてきて説明を受けた。(その人のHomepage
1620年、イギリスからアメリカのプリマスPlymouthへ入植してきた人々が、冬の寒さに耐えかねて、
重ね着をしたのが始まりだとのこと。
だから、貴方の仰っしゃっている、その通りですと言われた。

日本で言う、綿入れ半纏のようなもので、
破れた所を繕いながら、重ね着をして寒さに耐えていたのだろう。
それが、いつの間にか、芸術作品を制作するまでに発展し、その技量を競うまでになっていた。
謂わば、布を使った芸術品である。

観覧者の99%は中高年の女性で、キルトKiltは女性に征服された、かかあ天下芸術、そのものでもあった。
 
2014.03/25火
Sさんの結婚披露宴
18年くらい前のことだったと思うが、
Sちゃんを、最初に見た時の印象を、今でもはっきり覚えている。
一つは
バレリーナのマイヤ・プリセツカヤのような顔立ちをしていて、
屈託のない笑い顔を見せる少女だったこと。(そのことをご両親へ話した記憶もある)
もう一つは
たとえ何があっても、柳に風のごとく振る舞いながら、
いつの間にか自分の意志を貫いているような、生活力のある少女だとも感じた。

今日あらためて、さもありなんと確信した。
一人パリへ旅立つには、
聡明で意志が強いだけでなく、
結果を恐れない勇気や、何事にも動じない図太さなくして、踏み出せるものではない。
ましてや、
現地で何ぞしながら生活し、旦那を見つけるなんて、
平静な心と、人から愛される愛嬌なくして叶うものではない。

パリへ戻っても、
人との出逢いによっては、森英恵さんのような運も秘めているなと、今回感じた。
また、
10年ぐらい経って、是非会ってみたいと思う女性の一人になった。

いろいろと披露宴は見てきたが、
格式張ったり帰属中心的なところはなく、
今まで体験したことのない国際的なものだった。
フランス語、イタリア語、英語、日本語が飛び交い。
而も、個性的で何かを持っている人たちだった。
イタリヤ料理が美味しく、ワインが旨かったので、ちょっと過ぎてしまったが、色んな話もでき何も彼もが楽しかった。

引きこもりや人口減少が話題になっている日本ではあるが、
Global社会の中で生きていける日本人がいて、
日本がGlobal社会になれば、何とかなる。
そんな気持ちを感じさせてくれた時間でもあった。
 
2014.03/13
美術 ボストン美術館浮世絵名品展 北斎
北斎は、世界一の絵師
今までに、西欧や日本の主だった絵画を観てきた。
それらと比較して、
北斎が描いた浮世絵には、隔絶した面白さがある。

面白い、という言葉が適切かどうか分からないが、
構図や色彩、遠近に於いて、普通ではあり得ないような、自然界の事象を面白く捉え、
具象や具体に対し、リアリティrealityと動きを併合した巧みな表現方法に面白さがある。

観ていて、こう言う情景、確かにあり得るね、と思わせたり、
成る程、こう言うふうに捉えたのかと、納得させられるようなところもある。
それは単に、被写体を美しく、技巧を凝らし描こうとしたものではなく、
一味違う、面白さ、ユニークUniqueさを備えた。
謂わば、デフォルメDeforumeされた表現方法で、言葉で例えれば、ユーモアHumorがある。
(ユーモアは、機知で、ウイットWitである。
前以て用意したメモを読み上げたり、暗唱したりするものではなく、
その状況に適応した、とっさの言葉に機転の効いた才知を感じるから、一味違う面白さになる)

上図の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」は
空に不思議な面白い形をした雲のようなものが見えるが、時代考証がないため、わからないが何かありそうだ。
日本一高く大きな富士山が、数倍も高く巨大な荒波に呑み込まれようとしている。
呑み込まれる前に、富士山を救うかのように、匙のような小船で掬い上げようとしている。
巨大な荒波に揉まれながらも、立向かい、前進する3隻の小舟に象徴されるように、人々の営みの逞しさが殆どの絵に描かれている。
在り得そうにもない情景に、上手いと思わせる絵師の賢さを感じさせ、観る者を爽快にさせる。(タイガー・ウッズだな)

水と風
いつ観ても、凄いなと思うのは、水と風の表現。
海、川、滝、雨、雪、
水の流れや動きを、形として、光として表現する上手さ。
空を見上げても風が吹いているか分からないが、二次的な派生現象で風の動きを捉え、風速まで表現する上手さ。
動いているものを、動いているように描ける絵師こそ、スーパースターSuperstarだ。

あり得なさそうでも、あり得るだろうとして描く
滅多に起きない現象や、面白いアングルAngleで描かれている風景は、北斎が持つ感性の鋭さとウイットWitさを感じる。
こういう絵師こそ、スーパースターSuperstarだ。
だから絵を欲しくなる、横目で値段を見ると7万円位でした。(明日はグリーンジャンボの抽選日)

レイヤーLayer
以前にも書いたが、レイヤー、版画による重ね摺り。
この手法が、江戸時代の頃から使われていた。(今でこそ、アニメやイラスト、3Dでは当たり前だが)
凱風快晴(通称赤富士)は7枚の版板で重ね摺りされているとのこと。絵のグーテンベルクだよ。分業のSystematicも凄い。


芸術でも、絵画の場合は、音楽(作曲家)と違って

・絵画(画家)と、観る人が、一対一で向き会うことができる。
(音楽は楽器があり演奏家がいるため・・・中間媒体が主役になってしまう)
・何百年も時が隔たっていても、時間軸がない。
(例えば、レオナルドと、モネと、北斎と、彼らの想いを直接観察できる)
・観ることと聴くことによる違いは、百聞は一見に如かずの諺の通りである。
(スメタナの「わが祖国」を百回聴いてもチェコを想像することは難しいが、ミュシャの絵画はプラハの様子を知ることだできる)
 
2014.03/08土
音楽 名古屋大学博物館 -The Nagoya University Museum- / イベント情報  フルリン打のつぶやき
いきなり、大好きな曲の一つである。
ハチャトリアン作曲の仮装舞踏会よりワルツ」が演奏された。

さらに
パッヘルベルのカノン
この曲を、最初に耳にした時のことを、今でもはっきり覚えている
仕事で岐阜県高山市にあるH信金へ行っていて、仲間と昼食をしに国道41号沿いのレストランへ入った。
皆と話をしていたのか、食事中だったのか記憶はないが、BGMで、このカノンが流れてきた。
なんと綺麗な曲なんだろうと、この曲へ気移りし聴き入った。
生憎、曲名を知らなかったので、同席していた仲間数人に尋ねたら、Tatei君が知っていて教えてくれた。
(彼は夏期休暇は必ず欧州へ行き、趣味が車で、知識力のある異色な男だった)

今日も最前列に座った
2m前で生演奏されるマリンバとフルートの音が良かった。(拡声器を使わないので、楽器が発する音を直接聴ける)
マリンバの演奏を見ていると、人間が持つ多重処理(Multi Tasking)能力の凄さを感じる。
4つのばちが四方八方へと瞬間的に動きながら鍵盤を叩く。
爺さんでは無理だな。

世界最古の楽器と言われているフルート、4万年前に骨で作られたのものが、東ドイツで発見されたとのこと。
古代のことを考えると、叩くか吹くかで音を出す手法が一番シンプルで、楽器の基礎なのかもしれない。

そんなことを考えていると、古代の情景が浮かんできた
今日は獲物の収穫がたくさんあり、男たちも誇らしげに狩猟の話に沸き上がっている。
女たちは、いそいそと料理の支度をしながらも、笑い声が絶えない。
焚き火の周りに座り、出来上がった料理を皆で分かち合い、久しぶりに腹一杯に肉を喰らった。
辺りは漆黒の闇で、静けさだけが深々と覆っている、空は満天の星空。
一人の男が踊りだした、誰かが手拍子をとりだし、やがて皆が声を出し調子を合わせる、筒状の木片を叩き出す者も出始めた。
パーカッションの始まりだ。

穂高連峰の2300m位の所でキャンプをしたことがある
周りにテントはなかったので、今夜は私一人だけのようだ。
夕食を済ませ、夜も更けてくると漆黒の闇になり、静寂だけの世界になった。
余りの静けさに、何でもいいから音が欲しいなあ〜と思いながら、眠りの中に落ちて入っていった記憶がある。

闇に覆われると、共有するものが欲しくなったり、存在を確認したくなったりして、音や触を求めるのだろうと思った
以前、
ダライ・ラマが、うつで病んでいる少女に救いの言葉をかけながら、ハグHugしていたニュースを見た。
うつは心が闇の中に入っているのかもしれない。
 
2014.02/15土
音楽 名古屋大学博物館 -The Nagoya University Museum- / イベント情報
よかった
最高
サクソフォンSaxophoneと、ピアノPianoの響きがいいね
Bule Noteで聴いているようだった

目を閉じ、 I remember clifford を聴いていると、映画のような場面が、頭の中に浮かんできた
場所は ニューヨークNEWYORK
Village Vangurd Club 薄暗い明かりの中で、Jazz演奏がつづいている
夜9時を過ぎ、大人の時間になった

テーブルにはローソクの火が揺れている
ゴルゴンゾーラと、プロシュット・ディ・パルマをつまみながら
Old Parr Aged 12 Yearsをストレートで飲み、舌の快感を満喫している

隣の椅子には
若くて初々しいイングリドバーグマンが座っていて、時々彼女と微笑みあい、見つめあう快感を堪能している

耳は、Dave Brubeck Quartettoが演奏する、Take Fiveに、心地よい響きとアバンチュールAventureを感じている
Dave Brubeck - Take Five - YouTube

手は、先程から艶ぽく潤んだ目になっているバーグマンに握られ、触わられる快感に痺れている

体は、今夜バーグマンと泊まる、Ritz Carlton Central Park Hotel 69 roomのことを思い、高まり始めている

そんな
夢の様な気分にさせてくれるところが、Jazzにはある

 
2014.01/15水
美術 SNOOPY JAPANESQUE スヌーピー×日本の匠展 松坂屋美術館|松坂屋名古屋店
若い頃
漫画の中で、スヌーピーを見たことはあるが、興味の範疇ではなかった。
きっと企業戦士として多忙だったのか、余裕がなかったのかもしれない。

しかし、多くの人に、親しまれ、可愛がられた背景を思えば、頷けるようなところがある。
世界的に見ても、1970年代頃はいろんな変化があった時代である。

いつも死と直面し、腹を減らしていた戦争が終わって
何も彼もが、少し豊かになり、心に余裕が出た頃である。
産業が軌道に乗り、働きさえすれば、食べていける喜びが生まれた時代であった。
娯楽が発達し
音楽、映画、芸術、自動車、スポーツ施設などで、楽しむことを覚えた時代でもあった。
そんな時代にスヌーピーはいた。
かわいい!
かわいらしい!と、思う気持ちが人の心を掴んだのだろう。(ディズニーのミッキーマウスのように)

マスコットは一人称、ペットは二人称
スヌーピー(マスコット)というキャラクタ作品を観賞しながら思う。
ポスターや縫いぐるみ、マスコットには、可愛いと思う、一人称の感情だけでいい

ペット(犬)を飼うということは、可愛いだけでは飼えない
心のどこかに
余裕や、優しさ、かわいそうだ、と思うような、共存する、二人称の感情がなくては、飼い主にはなれない。

さあ急いで帰らなくちゃ
ヨークシャーテリアが、家で散歩を楽しみに待っている。
 
2014.01/11
音楽 西本智実&イルミナートフィルハーモニーオーケストラ NEW YEAR CONCERT 2014
愛知芸術文化センター
指揮者 西本智実 Tomomi Nishimoto Official Website | Top
3年ぶりの西本さん。
正面から見て楽団の右手奥の2階席だったので
席からは左前方10m位の所で指揮をしている、写真のような横顔が観えました。

音楽半分で、じっくり眺めていると
日本人離れした白く透けるような容姿と端麗な顔立ちは、百万人に一人と言ってもいいくらいの、絶世の美女。

勿論、美女はそれなりにいますが
クラッシック音楽界で世界的な女性指揮者となると極めて稀で、優れた頭脳や明晰な理論が伴っていなくてはできない。

勿論、優秀な人はそれなりにいますが
個性と拘りを持つ老若男女が入りまじる、肝いりの楽団員を纏め指揮するには
指導者としての器や、心の強い人格や、英雄的な気魄がなくてはできない。

勿論、指導する人はそれなりにいますが
品格や気品が伴っていなくては長く続けることはできない。

本当に稀にみる、美貌と才能、器量、品位が塊ったような女性である。

話しは実に気さくである。

新世界
ドボルザークの新世界が演奏された。
生で聴くのは初めてで、聴きながら、いろんな想い出が蘇ってきた。

もう50年も前
大学生になって、故郷を離れ、新しい世界で、学生生活をしていたころ
バイトで稼いだ金で、ステレオ装置とレコードプレーヤーを買った。
そして、最初に買ったレコードが、ドボルザークの新世界でした。

当時、帝王と呼ばれていたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリン・フィルの演奏
▶ ドヴォルザーク 新世界より カラヤン=ベルリンpo(EMI) - YouTube
感動と上質な気分で悦になって、耽っていました。

寮にいた法学部の先輩がチャイコフスキーの悲愴もいいよ、と言っていたことを覚えている。
その後は、モーツアルトの方へと傾倒していった。

この頃から、一流なものに接することの大事さを意識するようになった。

最近は、チャイコフスキーやベルディー、プッチーニがいいですね。
▶ TCHAIKOVSKY: Serenade for Strings in C major, Op. 48 - YouTube
▶ Verdi.Nabucco.Va Pensiero.MET.2002 - YouTube
▶ Giuseppe Verdi -- La Traviata - Preludio - YouTube
▶ ANNA NETREBKO: O MIO BABBINO CARO - YouTube
 
2014.01/01
初詣 興正寺 - Google    この世に客として招かれたと思えば、自ずと振る舞いは決まってくる
初詣はしても、祈願はしない。
が、平和であって欲しいと思うようになった。
ついつい子供や孫達のことを考えるようになったからかもしれない。(歳だな)

子、孫には
人生を楽しみながら生活してほしいと思うね。そのためには
1.仕事で生活の糧を得ながらも
2.楽しくてしょうがないスポーツ
3.心から楽しめる文芸の趣味を持ってほしいね。

私事(Daily&Weekly)
1.先ずは、しっかり熟睡し、ーーー活力をつける
2.朝の洗顔時に両頬を数発叩き、ーーー気を入れる
3.鏡を見て笑いかけ、ーーーお前は凄い奴だと褒める
  ・何しろ、眉目秀麗で、頭脳明晰で、謹厳実直だ
  ・更に、正道を貫く、強い意志があり
  ・破天荒に人がやれないことをやる、行動力があり
  ・何事にも慌てず冷静沈着な、平静の心があり
  ・多くの人(お客様)から必要とされ、信頼されてきた

4.身奇麗に、若々しく、特に色調と形の組合せに気を配り、Dandyに装い、ーーーお洒落を楽しむ
5.食事はすべてが薬膳、ーーー口に入れたら、美味しい旨いを口から出す
6.Internet上のSKYnewsを見るか、
  
ClasscFMを聴いて、ーーー右脳を刺激する
7.HomePageの更新や推敲に集中し、ーーー左脳を刺激する
8.犬との散歩でーーー犬友と会話を楽しむ
9.どんな些細なことでもいいから、毎日、ーーー新たな発見をして悦ぶ
10.数十人いるGolf仲間と、ああだこうだの口数と球数で競い切磋琢磨し、ーーー小脳と筋肉を刺激する
11.熟年で恒星の人を見つけーーーSenseを真似る
   (恒星の人とは=洗練されたオーラを放っている人。個性、品格、容姿、知性などを備えていて実にセンスの良い人がいる)
12.どんな時でも、どんな状況でも、ーーーこの世に客として招かれたと思えば、自ずと振る舞いは決まってくる