2015.12/26土 ピカソ、天才の秘密

開催式典に招待されて
前県知事、中日新聞社長、トヨタ自動車、関連業界各位が200名位いて
スーツ姿で中には名刺交換や挨拶を交わしている
恰も、県の商工会の集会のような感じだった
県美の開催には、このような開会式が行われたんだと思いながら観察していた
中日新聞社長の挨拶は面白かった
以前も、何度か講演会などで話を聞いたことがあるが
いつも意表を突いていて、頭脳の明晰さを感じさせる

ピカソの絵画は色んな所で観てきたが
所有したいと思うような作品がない
推測するに
1.ピカソは、自分が描いた絵画を売りたい、と思うような画家ではなかった
  セールスマンのような考えを持っていなかった
2.また、絵画は美術であるという概念をも持っていなかった
  美しく描き、気に入られようと思ってもいなかった
3.むしろ、人間が持つ多面的で移り変わる人心を2次元の中に表現したかったのではと思う
  人間が持つ生命への執着心、男と女の営み
  動植物が持つ生命維持本能から生じる憎愛や闘争を描こうとすれば
  おのずと装飾絵画とはかけ離れ逸脱したものにならざるをえない

「天才の秘密」を探ろうとしたのだが、今回の絵画作品からだけでは見出だせなかった
秘密とやらを教えてもらいたいものである

Madrid Museo Reina Sofiaで購入したゲルニカGuernicaがあって時々観るが
これを観ても何だかよくわからない
スペイン人やヨーロッパの人々は、その歴史的背景をよく知っているので
ピカソが描きたかった本質を理解できるだろう
ゲルニカは1937年制作、ピカソ56歳
男も50歳くらいから、本物になる熟してくるような気がする

晩年のピカソの写真を、28歳のころ見た記憶がある
他者を圧倒するオーラを感じた
眼の輝き、知性、顔立ちの誠実さ、男が持つ魅力全てが凝縮し網羅されている、と思った

女性が放っておかないような魅力を放っていた
その遍歴も並じゃあないが
男も女もオーラのある異性が欲しくなるようにプログラムされているから

文芸の原点は男と女のセオリーTheoryでありプリンシプルPrincipleでもある
それを知り尽したピカソだけに
生=性のからみ合いがピカソ絵画の根底となっているような気がしてならない
 


2015.12/20日 極上の大人ポップスナイト
はたけやま裕(Percussion)かわ島崇文(SAX)竹越かずゆき(Vo&Pf) in Jardin de bijoux

自宅から徒歩で5分と近いし、親戚の誘いの関係でF席に
見回すと
知性と教養が顔立ちに出ていて男前女前が多い、仕草や表情には大人の紳士淑女の雰囲気が漂っていて
身形も社会的で熟年層のような感じ
トヨタ系の社長や役員経験者の趣味仲間らしく50人位いた

Jardin de bijouxはブルーノートBLUE NOTEを狭くしたような感じで
開演1時間前から、ビールを飲みながらセルフサービスの肉魚野菜など多彩で豪華なディナービュッフェを食べ
満足したところにミュージックと来れば気分は最高

この様な音楽会だと
アメリカのジャズJAZZ曲
イギリスのビートルズBEATLES曲
日本でお馴染みの曲が似合う(銀河鉄道999はよかったな)
ピアノとボーカル、サックスはComfortableなムードをつくり
何とも言えないハイソHigh Societyで上質の2時間だった


2015.12/16水 オトナと加齢の心理学

演題に興味を惹かれて出席
学生とオトナで二分されたので
新旧相まみえて面白くなりそうだった

叡智Wisdomを考察した研究発表だった
認識や感情を融合させた熟達知識で
分別とか総合的な考え方ができる
それが叡智であると

叡智とは?と
アメリカやオーストラリアの人たちに質問すると、知識があること
日本やインドは、分別があること、と答えるらしい
言葉や文字でありながら意味の定義付けが難しい、不立文字である

ペバーバックPaperbackの英語本を読むが
感情や心理、精神、条件、原理、情景などを表現する単語や述語は難しい(目で見て見えないようなもの)
国や民族でニュアンスNuanceが違っているからだが
それを自分の環境や思想、体験で分り易く置き換えてしまう
謂わば、自分の世界観でしか理解できない
それは日本人どうしであっても
誤解を生じたり、解釈が違ったり、全く伝わらないこともある
人の背景や叡智、専門的理論には、格差があるからだ

殆ど、思っていた考え方だったので、そうだな、と思って聞いていた
ただ、熟年になったから分かることで
自分の50年前を振り返って思うと、学生たちが納得するには、もっと違ったアプローチが必要だろう、と思った
いい意味でオトナといえるかもしれないが
叡智とは、むしろ昔の人がいった「年の功」の方が当たっているかもしれない
(この様に自分流に解釈してしまう、人というものは勝手なものである)

スピリチュアリティSpirituality
日本では余り馴染みがない言葉だが、霊的、精神的といえば、理解できる
ただ、アメリカと日本では、違いがあって
アメリカでは宗教観が深く浸透しているが、日本のように無神教に近い社会からすれば
いくら叡智があったとしても、この種の感覚にはズレが生じても不思議ではない、と思った
既に上記したように
環境的、思想的、体験的なものの意味付けは、相互に理解できないところがある

一番聞きたかった、元特攻隊員のことが時間の都合で途切れてた
13歳で特攻隊員として徴兵された実の父の体験に基いて考察された話だけに残念

私見
子曰、「古希而從心所欲、不踰矩」というが
オトナの叡智や精神は
「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」などの漫画で、水木しげるさんが一番端的に表現した、と今も思っている
特に心理には体験が大きく左右する
生死が伴う痛ましい戦争体験の、有りのままの事実を、面白可笑しく漫画で、踰矩えた所に
水木さんの深層心理としての叡智とスピリチュアリティがある(本当のオトナである)
 


2015.12/05土 総合研究所 公開講座「食事の時間と健康〜健康長寿のために朝食が良くて夜食が悪い本当の理由。〜」

健康寿命を延ばすために本当にためになる講座だった
凄く良かった
大意とすれば
近年の豊かさと個人の生活習慣が
何百万年も生きて来た人類の体の摂理に反している
健康寿命を損ねている
それは
一日の時間の中で、体内の機能が不規則に働かされている
活動する時間と休息する時間に大別されるが
時間帯を無視した生活が体を蝕んでいる
それらを無視すれば当然、健康寿命は望めない(電灯で一日の時間が長くなったが)

纒めると
1.朝食をしっかり摂ること
  朝食で一日の活動に必要な栄養をしっかり摂ると、朝食の脂肪と糖質(炭水化物)はエネルギーになる
2.昼は体を動かし、基本は徒歩(交通機関の発達で移動速度は速く、移動距離は長くなったが)
3.夕食(夜食)は体が休息し始めるため腹八分に
  夕食の脂肪と糖質(炭水化物)は中性脂肪として蓄積される
  朝と夜で、摂取するものは同じでも体内時間が違うと善悪に
4.太陽に従う時間帯で睡眠を8時間しっかりとる(草花と近い時間帯で)
 
人の世話にならず煩わせず、健康で長く人生を楽しみ、ぽっくり死ぬための、方法論である
電気や交通の影響もあるが
医薬の発達で長寿になったことの副作用でもあると思った
ただ昔から
田舎には長寿の人が沢山いて
畑や田圃でごそごととよく動き、粗食で、明朗であったと記憶している
 


2015.12/02水 再興第100回院展

3,4bある大作がたくさん揃っていたが
結局は入口に展示されていた
西田俊英の<森の住人>に、一番惹かれた

11/28に愛犬が腕の中で亡くなって、大げさだがトラウマというかPTSDに近い
前から、言葉というものは、無味乾燥なものだと思っていたが
そのような状態になったので、更に増幅した
状況を言葉で表現したとしても伝わらない
聴かれれば話すが心は伝わらない、「ああそうでしたか」・・・が返ってくる

そんな気持ちの中で院展を観ながら
絵画の持つ表現力は、言葉力を超えるものを持っている、と改めて思った
言葉では、いくら言い表しても伝わらないものがあるが
観ることで感じられるものはたくさんある
謂わば
観ることで状態や状況が分かる(親が子供に会いたがる気持ちのようなもの)
名画を描いた画家の多くが、大きな苦しみや悩みを抱えながら制作している
きっと、心の奥底にあるものを描き出したかったに違いない

現実的には
ペーパーテストでは見えないものがあるから、面接で観るようなものだろう
また
心の病を精神科の医師では治せなかった話は、枚挙に暇がないが
それは文献をいくら読んで理解していても、体験していないと分らないところがあるからだろう
カナダの精神科医エリック・バーンが言うように
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

ベトナム帰還兵を題材に映画がたくさん制作されているが、更に難しい問題だったのだろうが
やはり
同じ体験をした人との共感こそ、心の壁を超える一つの助けになるのかしれない

皆んな凡そのことは分かっていたが
直近で気持ちが昂ぶっている
そんな気持ちの中で一通り観て、「森の住人」に選定した
その理由は
洞窟の中から見える外界には、生命が息づく希望の光が満ちていたように感じたからである

作品の解説文は
「巨大な樹林の生い茂る太鼓の森を彷徨い、洞窟に入る。
暗く静かな一隅から見上げる青空の煌めき。
不意に奇声をあげ、その森の住人が舞い降りるかのように飛び去っていった」

追記
犬の気持ちが分かる自分に、人間という種の狭さに気づいた
犬と16年近く共に過ごした自分に、種を超えた新たな情感を身に着けた
犬の死を哀れんだ自分に、種を超越した心の優しさがあった
心はまだ今の現実と過去の記憶の間を行き来している
 


2015.11/23月 オータムフェスティバル

学校教育に尽力されている知人からの招待で
新垣勉さんの講演を聞きに行く
全盲の方でした
先ずは「からたちの花」を歌われた
テノール歌手だけあって
声量や響きが、流石プロと感じた

演壇の姿を見ていると
点字が刻印されたと思われる、B5サイズの用紙があり
定かではないが、枚数にして10枚位あるように見えた
それを順番に探り、内容を指で辿りながら話を進めている

顔立ちを見ていると
無理をせず意固地にならず素直に生きてきた、大人の顔である
いろいろ辛い思いをしながらも
自分が生きて行く居場所を見つけ
その中で自分が出来ることをして
自立して生きている姿が印象的だった

人は
他者に自分を認知して欲しいと願うものである(士は己を知る者の為に死す)
他者の眼を気にし
クジャクのオスが羽根を広げるようなことをする(それは長く続けられるものではない)

他者の眼を気にせず
在るが儘の自分を出せるようになったら
無理せず意固地にならず素直な自分になれる
ひいては、それが
どうすることも出来ない過去を忘れさせ、新たなことに挑戦をする未来思考となり
出会い、ふれあい、に繋がるものだと、思いながら聴いていた
 


2015.10/26月 ヴェネツィア展 ボストン美術館

今日は三菱商事の貸し切りに招待されて入館

ヴェネツィア(ベニス)は地中海の入江の一つアドリア海の奥まったところにある
分かりやすく言うと、イタリアの股くら部分に位置している
そのため、ヨーロッパ各地からのハブHubとしては、地理的にベスポジBest positionである
更に、ラグーナLagunaである
パリ、ミュンヘン、ウィーンなど、海を見たことのないヨーロッパ各国の人々が訪れると
ヴェネツィアの景観に驚嘆したはずである
それを題材にした作品や、そこで生まれたギルド達の作品が展示されていた

ビデオも流れていた
ヨーロッパは全てが石の文化文明である(バイキングは木造)
フリーメイソンの礎となる明晰な職人達の遺産が、ヴェネツィアでも例外なく現存している
有名なカーニバルを見ていると
好き好きに仮装して祭りを楽しんでいる姿は何処の国も同じだが
コスチュームや顔の化粧、仮面は時代時代の権力者の支配に翻弄されながら生きてきた人々が
日頃の自分とは違う自分になって、道化ている様でヴェネツィアの興亡の歴史を感じさせる・・・

須賀敦子さんの本や、塩野七生さんの「海の都の物語」を読んだことがある
映画では、旅情、ベニスに死す、007カジノ ロワイヤル、ワン チャンス、・・・
何れも、ヴェネツィアの隆盛の面影だけが、海に浮いて揺れているように感じた
 


2015.10/19月 体性感覚から見える世界 立命館大学 東山篤規 

青春の頃から体感に凄く興味があった
体で感じる感覚は、外部のものを認知する目、耳、舌、鼻、皮膚の部位と違って
自分が、どの様な状態(元気である疲れている)にあるのか認知する感覚で
具体的には、水が飲みたい渇き、腹がへる飢え、眠い、性欲、元気・・・
(写真は中京大学1号館7階から
八事霊園が広がり、右奥は名城大学タワー75)

最後尾の席に着いて、周りを観察すると
一般の聴講者は見あたらない、爺さんは私だけだった
若くてハリのある艶艶した透き通るような白い肌、キラキラ輝いた眼差しの女学生がムンムンと溢れていた
若さの魅力は肉体的な輝きなんだよ、と見せびらかしてるように見えた(川端康成の眠れる美女に近付きつつあるなと思った)

制限時間の関係もあったのだろうが、講義は期待していたものとは違っていた
私が思っていたのは内臓感覚らしく、それは含まないらしい
謂わば
皮膚感覚と手足の運動や位置を伝える自己受容感覚だった
両者から受ける
位置、運動、力覚、筋肉の緊張、抵抗の緊張などで
特に、体の傾きに関するバランス感覚の実験結果が中心だった
(だが、この種の研究はアメリカの宇宙開発NASAが既に終えているような気がした)
体の傾き角度が大きくなればなるほど、実際との感覚のズレが大きくなるらしい(より傾いて感じる)

いつもの余談
私の推測だが、地球の重力下で生きてきた人間、必然的に水平を維持しようとする感覚が備わっているからだろう
空手をしても、スキーをしても、ゴルフをしても
殆どの運動は頭のバランスを維持できないようでは上手くなれない(上下左右に動かない)
内耳の中の石ころがゴロゴロ動いているようでは・・・

バランス感覚といっても
上記のような運動による頭の位置バランスもあるが
頭の中身の能力バランスや
精神的な心のバランスもある

人はBalanceで個性が出るのだろうが
平々凡々の平均点的な、Balanceよりも
何かに突出したUnbalanceの方がInnovationに寄与していることが歴史的にみても明らかである

バロック様式と云う言葉があるように
いびつさと云う概念が17世紀頃あった
謂わば
Unbalanceな歪んだ概念であるが、それがAbnormalではないと云う芸術感覚である
近年になって、それが再び見直されている傾向にある
アラン・チューリングの解説:Wired Special 
プロゴルファーのババ・ワトソンのスイング(タイガーのスイングとは明らかに違う)
MLBのイチロー選手の打法(松井とは明らかに違う)
アマデウス・モーツァルトも変人らしい
Apple、Microsoft、Google、Yahoo、Facebook、青色LED ・・・(彼らには突出した概念の違いがある)

Stay weird Stay different (変人で構わない 人と違っていて何が悪い 凡人どもめ、の意味が読み取れる)
好きだな、この言葉
 


2015.10/7水 アール・ヌーヴォーのガラス展

当時のことを思うと
産業革命のようにガラス工芸にも斬新で多種多様な技法が用いられ
画期的な近代芸術インテリアアートとしての
アール・ヌーヴォーであったのだろうと想像がつく
時代的にも
ジャポニズムや中国陶器類の影響が多分にあって
西欧芸術の威信を懸けたような振る舞いを感じさせるところもある
しかし
私的には一品だけタダで頂けるとしても
これは欲しい、これだけは手元に置きたいと思わせるようなものがなかった

余談
十数年も前のことだが
八事のザ・ステージ内に「ルイス・C・ティファニー美術館」があり(堀内不動産所有)
数億もするようなステンドグラスや、ルネ・ラリックのガラス美術品が多数展示されていて何度か観賞した
   関連:2001.07/03ルネ・ラリック展
その美術館が、島根店の松江市に移転し
「ルイス・C・ティファニー庭園美術館」として開館した
ある種の仕事がらみで訪問した    関連:2001.05/27美術館
ついでに伯耆富士大山の登山もした  関連:2001.05/26大山
 その後のニュース
 


2015.9/21月や ヤマザキマザック美術館

ロココ調と聞くと
ルイ15世のフランス宮廷の貴族たちが好んだ美意識を思い起こす人は多いだろう
フランス革命によって葬り去られた感はあるが
美意識を成熟させる原動力であったことに間違いはない
もし
時代が庶民のままであったとすれば、歴史に残る遺産が生まれたかは疑わしい
ある種の格差があったから
歴史を革新させ、大きく成長させたことについては枚挙にいとまがない
最近読んだ本の中にも
「チームワークより金メダル一人」、という格言みたいな言葉があった
Microsoftにしろ、Appleにしろ、Googleにしろ、青色LEDにしろ・・・
たった一人の男が世界を変えてしまった
 
そんなことを思いながら美術品を観ていると
Artificial Intelligenceが突然のように現れ
世界が一変する可能性もありだなと・・・
 


2015.9/21月ふ 古川美術館 四季暦 白秋之章

青春、朱夏、白秋、玄冬の四季の循環の中で、今の季節が展示されていた
私は若い頃から桔梗が凄く好きでした
理由は
10代の頃、田舎の山里を歩いていて、道すがらに眺めただけだが
健気に咲く上品な花だと感じ
紫色が何故か記憶の中に深く染み付いたからである
「上村松篁 野月」

世界が狭くなって、世界各地の花を鑑賞できる機会も増えたが
子供の頃、里山で見た、「秋の七草」がやっぱり馴染む(憶良の気持ち分るな)
同じ様に
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」(敏行は感性が鋭い)
この風情も日本人には、いいね
驚かされるのは、人だけじゃあなく、鈴虫たちも驚いている
そこで一句
一風に一瞬の静寂ありし秋の夕暮れ
 


2015.9/13日 組曲「宿命」 西本智実

松本清張原作の映画「砂の器」を観た人ならからなず
あ、この旋律ね、と云うに違いない
物語と共に、観ている人の心の奥底まで染み込んでくるようなリズムが
幾度も幾度も繰り返され
逃れたくとも逃れられない重い宿命を背負った人の気持ちを増幅させてくる
一度聴くと忘れることの出来ない、実に印象的な映画音楽である
作曲者は菅野光亮「ピアノと管楽器のための組曲 宿命」

一曲目が
ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43」でした
この曲の中で第18変奏は特に有名な部分で、私もClassicFMで流れているのを何度も聞いた
Rachmaninov: Rhapsody on a Theme by Paganini: Variation No. 18
だが、なぜ
二曲目の「宿命」と、何の関連があるのかと、分からなかったが
いろいろ調べているうちに、その理由が分かってきた
モスクワ映画祭ソビエト作曲家同盟賞を受賞し、ラフマニノフのような美しい曲と評されたようだ 


2015.9/12土 COLLEGIVM MVSICVM

又しても、一つの縁で
中野振一郎と生徒さんのチェンバロ演奏会へ
今回はマリー・アントワネットのクラヴサン音楽
デュフリ誕生300年記念を中心とした演奏でした  関連:2006.12/20

18世紀末のフランス、ベルサイユ宮殿の宮廷内、優雅で気品のあるロココ調のチェンバロ音楽を味わいました
だが、間もなくフランス革命(1789年)が勃発し
それとともにクラヴサン音楽も、かげりをみせはじめます

宮廷の室内音楽ですね
だから、どうしても、大衆的な調べではなく音量にも欠けます
ある種のノスタルジックな音楽として残っているような気がしました
 


2015.9/6日 名古屋大学レクチャー2015

格調高い空気を感じますね、名古屋大学は
この様な真摯な場所で学生生活を送った人は、卒業してからも一味違うはずだ、と思いました
一味違う人の実力を充分に発揮させるには、学界や業界内に十把一絡げのような体質ではなく
一流の気風や環境が整っていなくれは、叶うものではありません
戦後70年になりますが、この70年の間に日本人として20人の方がノーベル賞を受賞しています
その中に名古屋大学卒業は5人、凄い! (人が環境をつくり、環境が人をつくる)

赤崎先生の講演は以前うかがいました  関連:2014.10/18 2012.10/06
今日も、物凄く難しい研究過程を解説されました
最後に、研究というのは、HowではなくWhatだ、と云う言葉がとても印象的でした

天野先生は初めてですが、屈託なく無理なく、思考し実行できる人だと感じました
高校生たちも多数聴講してました(天野先生の意向とのこと)
彼らに、夢中になる、夢中になれる何かを持ちなさい、と言われました
Microsoft、Apple、Yahoo、Google、Facebook・・・を創造した人達は、皆んな10代、20代です
創造し夢中になれる年代は若い頃なんです
そして、将来をつくるのも若者です

だからでしょうが、将来のことについてプレゼンテーションされました
エネルギー、水、食料、人口の増加・・・
これらを、どのように解決していくかが、今の若者達に課せられた使命だと
何れにしても、ここ数10年のうちに、世界は、人類は、色んな苦難に直面する   関連:2010.10/10
豊かさを満喫してばかりしては居れない

ノーベル賞のことは一言もなし(過去のことは終わったことなのでしょう)
天野さんは若い頃から、先を見据えた考え方があって、青色に挑戦されたのでしょう

将来を見据え、明日を拓くことができるのは、若人です  (老人は体も心も柔軟性がなくなり固定観念を持ち創造力ゼロ)
若人を見据え、夢中にさせることができるのは、大人です  (小人は群れて自分の過去を振り返って自慢する)
天野先生は、将来を見据え、若人に夢を与えることができる師範だと、通説に感じました  (師がよくなくては生徒は育たない)
 


2015.8/29金 村島増美ソプラノコンサート

人間社会の中は、種々の縁というものがあって、蜘蛛の巣のように繋がっている
目には見えないが、そのような繋がりの糸は切れそうで切れない強さがある
今回もその糸の一つである   

最前列の席で、しげしげと観ながら聞いていると
声楽家(芸術家)として生きるには
蜘蛛にならなければならないな、と思った  関連:2010.9/1

イタリア語が分かれば、もっと感動するのだろうが   関連:2014.12/21
ギリシャ文明を花開かせたイタリアは、何も彼もが先んじて、洗練された文明と文化の都で
当時、ヨーロッパの中では、イタリアが中心であった(アジア圏で言えば、中国)
当然、声楽や歌劇もイタリア語が中心だった

本で読んだことがある
イギリスの貴族の息子は20歳になると、イタリアに行って、大人の勉強をした
語学や知識、教養、社会の所作を学び男になって・・・
反対に
木曽義仲が入京しても政治、文化、歴史などの知識や教養がなく粗野な田舎者の類として疎まれた歴史がある
謂わば
品格と教養なくして領地(天下、国家)は治められなかった
国は違っても人間社会は同じである

都には文化が生息している、それはそこでしか学べない
日本の場合は当時、中国が都でお師匠さんだった(京都の3大祭りなどには今も中国がある)
芸術文化には専門的知識以上のものがあって
強さがあっても、頭のよさがあっても、それら以上に感じさせるものが必要で、それが品格であり教養である

「からたちの花」は良かった
日本の童謡歌は、幼かった頃の田舎の風景を想い出されてくれて、染みてくるところがある
それで思い出した

いつもの余談になるが
もう25年ぐらい前だが、鮫島有美子さんの童謡を聴いて、日本の歌の原点みたいなものを感じた記憶がある
声も美しかったが
舞台上の所作が実に洗練されていて
時の流れに身をまかせるが如く、捌き(さばき)にゆったりとして上品さがあったことを今でも覚えている
故郷 youtube


2015.8/14金 アンデス&ラテン音楽 TAKISUN
 
イオン八事店にiPhone6plusをベルトに付帯できるケースを買いに行くと
イベントホールからラテン音楽が聞こえてきた
何と、生演奏をしているではないか
何曲か演奏された「花祭り」、「コーヒールンバ」・・・
そして遂に「コンドルは飛んでいく」が演奏された

中高生の頃、NHK-FMで流れていた音楽を思い出す
ラテン音楽については  関連:時々聴きたくなる曲 2013.12/21 2014.12/20 

若い頃、好きだったことは、爺になっても(なっての)喜びと楽しみであり、気持ちを若返らせてくれる
孫達にも
好きなことをするように、言っている (花咲く期間は短いからね)

小学1の、みちゃんが毎週のように泊まりに来る
私は、一人の人として尊重し、一個人として対等な態度で接し、話をしている
(6歳の子供だからとか孫とかは思ってはいけない)
なぜばら
私は小学1の出来事を今でも、しっかり覚えていて
家族(犬猫)、同級生、先生の、性格や人柄、誠実さ、人格・・・を感じ、彼らが私にどのように接したかも覚えているから
夏の暑い日、夾竹桃キョウチクトウや百日紅サルスベリの花が咲いているのを見ると
幼少の頃、山口の庭で同じ様に咲いていたことを今も思い出す (自然との接点も大切)
 


2015.7/20月 倉本聰 「あなたは文明に麻痺していませんか 〜真の文明とは〜」
 
少し聴いて、感じたことは
1.倉本さんの人柄が清廉であること
そして
2.内容が知恵から得た話しであること

事業をしていたときに、多くの講習会や講演会を聞いた
また接客で数千もの人に会い、プレゼンテーションをし、説明し、解説し、質疑応答し・・・
あらゆる色んな話題で話し合う機会が多くあった
(人は環境によって作られていますからバラエティ、孟母三遷)
そんな中で
内容が新聞やTVから、人からの受け売り知識なのか(床屋のおやじ的)
自らが得た知恵なのかで、大きな違いがあり、その人の濃度がわかる
3分ぐらい話をしていると、その人が持っている個性や品格、程度までが凡そ分る
(会社の就職面接だな、お互いがだが・・・)

倉本さんは脚本家として生きてらしたから
聴いていて、道理に斬新さや創造力が駆使されていて、意志の強い廉潔な人柄を感じさせた

・何かを長く続けて書くには色んな・・・がなくては書けないと、言われた
(80歳の脚本家の言葉だけに、このHPを書き続ける気力をもらった)

・最後に話された、開高健の話はよかった
「荷物と体は着いたのに、心がまだ着かない、それが追いついてくるのを待っているだ」
地球はグラスの縁を回るを読んでみたくなった)

帰りの地下鉄の中の光景を見ていて
文明に依って
瞬時に沢山の情報が得られる時世(辞世?)、面白きこともなき顔をした人々が、スマホや携帯と懸命に睨めっこしている
文字や言葉や画像の情報ばかりが氾濫し
心がまだ着かない、人々が増え
心がまだ着かない、世である (地下鉄のテロップが、東芝の不適切会計、新国立競技場建設の顛末、を表示している)

高杉晋作の辞世の句を、思い出した
「面白きこともなき世を面白く、住みなすものは心なりけり」
脚本家倉本聰にとって、住みなすものは富良野なりけり、だったのだろう
そこで、心が着いたに違いないと思った
 


2015.7/17金 Jennifer Family

英語の教師として日本に来ていた時に知り合ってから
もう、25年も前のことです 1990年の頃?

私達家族がアメリカを旅行中、サンタモニカを案内してくれました   関連ロサアンゼルス 1992年
その後
ハネムーンで日本に来た時、案内しました   関連Winner夫妻 2000年
そして今回
家族で日本を旅行中に、拙宅に立ち寄ってくれました

写真は、見送りでPM10:30地下鉄八事駅内
孫娘は小学1、隣のJ君は10歳、兄のA君は14歳、今からです
(余談:犬は15歳と6ヶ月、すっかり老衰し、食欲がなく、歩行もままならない状態になってきた
やがて自分もこのようになるのかと思うと、滅入ります)   関連Yorkshire Terrier

時の流れと共に
一つの世代の時代が終わり、次の世代へと繋がっていく
人の世の営みの摂理を感じました


2015.7/7火 片岡球子展 愛知県美術館 NHK日曜美術館

以前から書いてきたので関連も読んでいただきたい
 関連2002.3/29 関連2013.8/1面構シリーズ 関連2013.11/15
ビデオを見たので、その印象から人物像を想像する
美人じゃあない
だが、画家として生きる意志の強さ
自分の画風に「私の描き方なのよ。やれるものなやってみな」とでも云うような、強い心を感じさせる
(そのくらいの気持ちがなくては、才能がぶつかりあう画壇では生き残れないだろう)

会社員の頃、仕事で色んな男と接し見てきたが
本物の強さを持っている男はサラリーマンにはいない(いても極少 しんがり
よく思われたいとか、いいところを見せたいなど、内部を気にする組織人では難しい
(勿論、私もそうだったが、媚び諂うことができない性格だったので、ある時から自分を信頼してくれる人のために働くことにした)
一人になって自分の頭で考え、自分の意志で決断を下し、遂行する能力が不可欠だが
内部にいると、それが養われないし、連帯的責任で薄れる
寄らば大樹の陰 田舎の山里に住んだ者は知っている、大樹の周りには雑草しか生えない、何故か・・・)

東日本大震災の波災地での性格調査 生死を分けた”運命の分かれ目”とは? 調査結果が数日前に発表された
1.段取りを考え自ら動く「問題解決力」があって
2.常に冷静でいられる「感情を制御する力」を備えている
まさにその通り
1は 20,30% くらいはいる
だが、特に
2のほうが重要で 2,3‰ Per Millくらいしかいない
(試験やテストなどで100点を取っても、実際のAccidentalでは冷静さを欠き認識と判断と行動が2,30点になってしまう)
平常時には尤もらしく調子のいいことを言っていても
一人になって、アクシデントと直面した時、その人の本当の正体が現れる
(英語の諺にも:Prosperity makes friends, Adversity tries them. 欧米人も同じ)
 
珠子さんには大胆さがある
大胆に振舞う連中はたくさんいるが
本物かどうかは直ぐ分る
1.やらせてみると
2.突っ込んで問い質すと、たいがいがニュース、雑誌、人からの受け売りである
いいとこ取りの、つまみ食いだと、軽薄で小才ばかりが働き、セコイ生き方になる
本当に大胆な人は
ある種の蝶番(ちょうつがい)を持っている

珠子さんの絵を、比較論で言えば
絵画の世界では、平山郁夫画伯のような正統派ではない
音楽で例えれば、クラッシクではなくPOPS
映画で例えれば、アカデミーではなくサンダンス、ヴェネツィア
宗教で例えれば、真言宗(空海)ではなく天台宗(最澄)
だが
個性や違い(Stay weird Stay diffrent)が如何に大事かを知る人は、学校や会社にはいなくても、社会には沢山いる
    Stay weird Stay different :Google Search

制作順に絵を観ると
48歳で大きく画風が変化し転換している
男も女も、この年令ぐらいから、吹っ切れ世間で通用する実力がつき、本当の大人になれる、のではないかと思う
自分一人になっても、自分の力で生きていける自信がでる頃、なのだろう

珠子さんが<面構>を描く時
「その人の生きざまと個性を描く」と言っている
上の足利尊氏の絵画で
「尊氏という人は、耳もたっぷりしているし、目尻も眉もさがったところがあって
物にとらわれない応揚な人だったようですね、貴族的な感じはない人です」
「尊氏は小学校では国家の逆賊として教えていたのですが、恵比寿様のような福顔なんですね」

珠子さんの観察眼がとらえた尊氏の個性で思い出した
私も事業主だった頃
起業で成功した多数の社長と付き合ってきた
彼ら社長たちは、共通して、尊氏と同じような、生きざまと個性を感じさせた
 


2015.6/29月 刈谷市制65周年記念 NHK交響楽団刈谷公演


近郊の親戚Mさんの誘いで30数年ぶりに刈谷市に来た
トヨタ系の一流企業があるだけに、その発展ぶりはすざましい
刈谷市に限ったことではないが
駅前界隈は一見すると日本のどこでも見られる画一的な景観だった
(そういう意味では松江市は特色があり良かった記憶がある)
文化センターの大ホール
気になったことが2つあった
1.お知らせのためのブザー音、実に下作で下品な音
2.天井の照明が囲碁盤のように配列されていて、それが弦楽器(バイオリン)などの表板に反射して
宝石を散りばめた洋服のようにキラキラ光り、実に目障りだった(演劇の場合は効果ありかも)

チャイコフスキーの「悲愴」が聴きたくて来た  関連2006.6/7 関連2014.1/11新世界
が、「闘争」のように聴こえた
多分その理由は、吹奏楽器と打楽器にある、と思った
ウィーンフィル カラヤンの悲愴が好き
Symphony No.6 in B minor Opus 74 by Peter Ilich Tchaikovsky
アンコール曲の弦楽セレナーデ第2楽章は良かった  関連2006.10/11 関連2007.7/22 関連2013.9/11
Serenade for Strings in C major Opus 48(2) by Peter Ilich Tchaikovsky

N饗について言えば
NHK(日本放送協会)は公共のBroadcastの立場にあって料金を強制徴収している以上
もっと、低料金で還元すべきであると思う
理由は簡単
センスを磨くためには、若い頃から歴史に残る名作をたくさん、観たり、聴いたり、読んだり、雰囲気を肌で感じたりするしかない
そのためには
クラシック音楽で言えば、近くで生の音楽を聴いて感じるしかない
それをN饗が担うべき
(人工知能が社会の中に網羅される時代になっても、必要なものはセンスで、芸術と創造の世界は似かよっている)

イギリスのBBCはプロムスThe Promsというコンサートを開催している
威風堂々2014などの国家的な歌曲で、イギリス国民であることの誇りや希望、栄光を図っている
(日本にも、このような歌曲があると、士気があがると思うのだが)
また
若い頃、アメリカへ行って一番感じたことは、大企業のCSR(Corporate Social Responsibility)である
企業が成り立つ要素は社会があるからで、それに還元するというキリスト教の精神がある

日本でそのような事を先導して出来るのはNHKのような企業しかないからである
 


2015.6/25木 一瞬の勝利を超えて


オリンピック、パラリンピックに出場した選手の話を聴きたくて出席した
・女子柔道の田邉陽子さん、ソウル、バルセロナ、アトランタ
・アルペン回転の湯浅直樹さん、トリノ、ソチ
・陸上の佐藤圭太さん、ロンドンパラリンピック

3人の選手から共通して出た言葉は
スポーツという競技から、一社会人としての生き方を学んだこと
食事の時の、箸の持ち方から教えてもらったと
今も日本武道の精神みたいなものが生きているようで嬉しかった
そして
生きて行く中で、スポーツが心の支えになったこと
人は、いつも目標というか目指すものがあることが如何に大切かは実感しているので
年齢に相応したスポーツマンシップSportsmanshipを大切にしていきたいと思った

司会者が
クーベルタンのオリンピックの理念である「参加することに意義がある」ことを盛んに強調されていたが
選手からは、参加じゃあなくて上位、一位でなくちゃしょうもないと云うような言葉がでた
教育者の文面の理論と、実際に競技をした者だけが知る、世界の違いである

そのことで思い出したことが
私の父の兄は、三菱重工のリーダを務めた人だった
父とは全く違い、会った瞬間に敬服してしまうようなオーラを放っている伯父だった
高校大学の頃、広島の社宅や京都の自宅に何度か伺い色々話をした記憶がある
今でも覚えていることは
・一位と二位の違い
・信頼できる男と、口先男の違い
・議論に勝っよりも大切なことなど

頭で考えていた通りにならないものがスポーツ(に限らないが)には多々ある
頭で理解できて50%
体の基本的な動きができて50%
101%に近づけるためには、能動的な自己改革や革新が不可欠で極意の会得は難しい
が、目標とし目指した人には、多くの他のものを授かる
だから、人には大きな違いができる


2015.5/30土 音楽 宇宙からのメッセージ 名古屋大学博物館

色々演奏をされたが、スターダストが一番心に響いて聴けた

曲の方に気移り
ここ10年くらい(ADSLの常時接続になってから)
BGMでClassic FM = Tuneinを聞きながら、何らかの作業をしていることが多かった
そんな時、流れてくる曲の方へ、気が移ってしまうことが幾度もあった

1.集中してない、移り気だと、言われれば、確かにその通りと答える
2.好き嫌いが激しいのだろうと、言われれば、そうかなと答える
3.聴き慣れたポピュラーな曲だろうと、言われれば、そうじゃないと答える
初めて聞く曲であっても、惹きつけられた  関連2014.3/8 パッヘルベルのカノン

では、なぜ
心に響いてくる曲と、そうではない曲があるのか、違いは何なんだろう?
心は何をもって選別しているのだろう? 
それって何なんだろう?

品女
横道にそれるが
松坂屋の店内を歩いていたり、八事界隈を犬と散歩していたりすると(15年間で2人、犬友である)
はっ!とする中高年の女性に出くわすことが稀にある(恒星の女性)
知性と教養、品が溢れ出て、容姿端麗で格好いいし、洗練されている(女学生も好きだが若さではない)

前者は聴覚から、後者は視覚から感じる美意識の感覚であるが
それって何なんだろう?

同じ様に
物心つく頃から、暗記や解答を求める方法論ばかりを学習させられてきたが
品だとか、コツ、作法の動きや仕草、センス(Sense)だとかは
文字や数字、言葉、プログラミング(Programming)のようなものでは表せない
(やがて人工知能が社会に網羅されてくるだろうが、残された分野になるだろう)
それって何なんだろう?

やはり、学業からでは学び得ることのできない分野なのだろう
熟年の頭脳低下の反作用で、今までに蓄積されたThe sixth senseが頭角を現してくるのかもしれない
と言うことは
若い頃から学業や仕事だけでなくThresholdを広げ、一流の実物をたくさん視、聴、嗅、味、触を認識しておく必要がある
そうすれば、退職後の老後になっても、市井の中に、新たな楽しみが増えるというものだ
それと
男は何歳になっても、品女を悟るセンスを持ち、品女が目を留める品男でありたいものだ  関連2014.01/01
 


2015.5/14木 講演 いのちをいかす いけばなの美と心 池坊由紀


私達人類は多くの生命を途絶えさせて、それを食として生きなければ生きれない、が
花を摘み取り、いのちを途絶えさせて、いかすとは何のことだろう、と
動物の殺生を償うようなかたちで供養する催事が世界的にある
同じ様に、摘み取ってしまったことに・・・
もう一つ、生花の美と言っても
元々は植物が子孫繁栄に使う色道具として持っているものである
人が創造したものではなく、借用し、どのように花を挿し、いけたかだけである
では何故
生花が華道として、根付いたのか?
そのあたりのことが聴きたくて出席した

おもてなしの心、など色々と説明されたが、主役としては、あてはまらなかった
で、勝手な推測であるが
1.「色を添える」と云う、脇役としての美色の文化だと、思った
2.基本的には平和で食べて生ける、安全安心な国だったから
3.また、移動生活を強いられずに、一所で生きれた
4.加えて、四季による植物の様が、人の一生と同化し
5.日本文化の侘び寂びの世界観に、色を添えた

「添える文化」は、芸術だけでなく、人の生活の中にもあって、花は生花としていかしたと、思った
 


2015.4/14火 美術 春の院展

一通り見終わって、貰えるとしたらどれにしようかと思いながら、入口から再度観なおす
エネルギーを感じさせてくれる、2作品
鈴木広太「to the inside」
この絵を観ながら想い出した
青春の血潮がたぎった頃を
このような肢体で彼女が横になると
上から被さりキスをしながら
手はスカートの中に
to the inside  (女も男も青春の真っ盛りだった)

村上裕ニ「進め」
作品の解説文
「進むんだ。進め。進め。考えたってしょうがない。悩んだってつまらない。力の続く限り前へ。
見えてくるぞ。感じるはずだ。聞こえるか。嗅ぎ分けろ。答えなんか求めるな。
前に進む事で新しい明日が迎えてくれる。その瞬間を逃すな。進め。進め。進むんだ。」

ラピスラズリ、黄金、紅。躍動感のある構図
青春の血潮は、明日へ、まっしぐらに進むことだけだった

青春時代の懐古は、老衰へ、まっしぐらに進んでいるのかもしれない
 


2015.3/21土 音楽 西本智実指揮 ロイヤルチェンバーオーケストラ 名古屋特別講演 愛知県芸術劇場コンサートホール

今日はパイプオルガンを背にした2階P1列32席
西本さんとは真向かい、指揮の様子が真正面から見える

観ながら思いました(聴いてもいましたが)
指揮者は運動神経も良くなくちゃあ、美しい曲を綺麗な音楽に、指揮できないんじゃあないかと
それは
映画「マイ・フェア・レディ」のイライザをレディに仕立て上げたヒギンズ教授のように
作法や動きに対するセンスをも持ち合わせていること
単に指揮棒を手先で操作するだけではなく
体全体の動きで(バレリーナが瀕死の白鳥を演ずるが如く)指揮し
更に
顔の表情で
楽譜の中で意味づけられている演奏記号(アンダンテ、アレグロ、・・・)を楽団に伝えている
正面から観ていて、今回はその様子がよく分かった
指揮者は専門職のような職人ではなく、総合的で見えないものを見る経営者に似ていると思った
しかし、美人だな

今日のプログラムは
1.プロコフィエフ:交響曲1番「古典交響曲」

2.モーツアルト:ピアノ協奏曲第21番
特にモーツアルト:ピアノ協奏曲第21番の第2楽章(Youtube)は好きだなあ
まさに天才と言われるだけのリズム感、心地よかった

3.ベートーヴェン:交響曲3番「英雄」
これには想い出がある
中学だったか、大学でたての若い女性の音楽の先生が授業時間にLPのレコードを持ってきて
この「英雄」を聴かせてくれた
田舎の学校だったので、殆どの生徒はLPでクラッシックを聴いたことがなかったのではと思う
小中高を通して音楽の授業で思い出すことは、これだけである

絵画は画家が描いた絵を直接、画家と同じ目線で観ることができるが
クラシック音楽は作曲家が意図したリズムの再現性は難しい
楽譜はあっても、演奏者、楽器、指揮者、コンサートホールなどによって違う
コンテンポラリーContemporaryになっているのかもしれない
 


2015.2/19木 美術 モナコ ロイヤルウェディング展

男として、レニエ3世公の気持ちが分かる
映画でグレース・ケリーを最初に観たのは「真昼の決闘」であるが
既に、モナコ王妃となっていた

ただ、当時は
ゲーリー・クーパーに憧れていた
男前で、かっこ良く、ダンディーで、顔に誠実さがあった
大人の雰囲気が漂ってもいた

誰がために鐘は鳴る」ではイングリッド・バーグマンとの共演
ラストは今も想い出す
仲間と逃亡途中、ゲーリーだけが銃撃を受け、歩けなくなる
一緒に残ると言って狂乱するイングリッドに
僕は君の中で生きている、と言って、一人残って迎撃死していく(映画館へ何度も観に行った)

写真で見たがアーネスト・ヘミングウェイも、いい男だった、もてただろうな
小説も良かった

昼下りの情事」ではオードリー・ヘップバーンとの共演
列車が、ホームから、だんだんスピードを上げ離れていく
必死になって走りながら
純心な乙女心みえみえに強がりを言うオードリー
女を知り尽くしたプレーボーイが
女学生の素直さに負け
列車に引っ張り乗せるラストが何とも云えず、想い出しては目頭が熱くなった
プレーボーイは純粋な素直さに弱いんだよね。僕もそうだけど

真昼の決闘」は一人の男と地域住民を題材にした映画
ストーリは
悪党を刑務所に送り、地域に平和をもたらした
しかし、悪党が刑を終え、復讐に帰ってくる
それに際し、住民達は一緒になって戦おうとせず、保安官一人が孤立する
逃げれば済むことだが、新妻と家庭を持っても、一生追われる身となる
一人で立ち向かう決心をする
妻も協力し4悪人を皆殺しにして
バッチを地面に投げ捨て、新妻グレースと共に、町を去る

この映画は、大学生の僕に、もの凄い影響を与えた
1.いざと言う時に、助けてくれる人がいるとは限らない
2.自分にとって一番大切なものは何かを考えておくこと
3.役割(保安官)とは無味乾燥なもので、世間というか世の中は凡そこんなものだと

真面目さだけでは利用されるだけ、知恵と意思の強さがなくてはどうしょうもない
ましてや
組織や他者のため(自分?)に無理をして、自分や家庭を崩壊させているようでは、しょうもない
 


2015.2/12木 聴講 中京大学文化科学研究所フォーラム 織豊期の歴史と文学

下記の演題を3人の講師から聴くことができた
・細川幽斎の紀行文をめぐって (幽斎が豊臣秀吉に従って九州に出陣した際の紀行文)
・細川家伝来文書にみる信長文書論の現在地 (信長が細川家に宛てた59通の手紙)
・豊臣秀吉の書状と花押印

生死が掛かっている時代の、紀行文とメールである
各地の政権のトップ達が、世情の変化を捉え、その流れに対応している

指導者は
情報力、判断力、先見力、決断力、命令力、宣伝力、が不可欠であること
それと
新たな変化を恐れず、変化をし、立向かう勇気がなければ、天下を狙うことはできなかった、と思った
何れにしても
男として
覚悟ができた肝っ玉の大きな男だったに違いない

本能寺の変は何だったのか?
明智光秀は元々、将軍足利義昭の家臣であった
義昭と信長が連合政権を運営する中で信長に登用されていった
憶測は限りないが、謎だな

信長について色々言われても、私は
特に信長が好んだ「敦盛」のように、信長はいつも覚悟をして貫く意志をもった男だ、と思っている
「思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も、月に先つて有為の雲にかくれり
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思い定めざらんは、口借しかりき次第ぞ


戦国時代の武将の生様を感じることができた
 


2015.1/19月 写真 パンフレット:ねこ歩き_岩合光昭写真展  岩合光昭Google検索

小学生だった頃、田舎の木造の家では
夜中になると、ネズミたちが天井で運動会をして、走り回る音がよく聞こえていた

猫を飼い始めると、静かな夜になった

それからは、いつも猫が同居するようになり
捕獲したネズミを誇らしく見せびらかしたり
まだ生きているネズミを手先で弄び、最後にはバリバリと美味しそうに食べていた

寒い夜、寝ていると
ザラザラした舌で、私の額を舐めて起こし、布団の中に入れるよう催促をした
布団を上に持ち上げると
私の胸の上に乗って丸くなり、喉をゴロゴロと鳴らして快適さと安住を表していた
外から帰って来たのだろう、手足が冷たく、泥が付いていたが、そのまま一緒に眠った
時には、口の辺りからネズミの血の臭いがしたこともあった

猫は役割を果たしていると云う意識があったのか、すっかり家族の一員になっていた
昼は、我がもの顔に、横に寝そべっていたが、音には敏感に反応し状況を確認していた
夏目漱石「吾輩は猫である」を読んで
眠っているようでも、ちゃんと周りに目を配り、鋭い目で私達家族の動向をきちっと捉え観察していたのかもしれない

私達の生活の場である居間や台所、寝床などに、いつもいて共に生きているという感じだったので
猫の性格や仕草、特徴などが、何かにつけて目に入り、観察もし自然に学んでもいた

大学生となって家を出るまで
数匹の猫を観てきたが、それぞれに毛色や模様が違い、性格も違い、特徴があった
子猫の頃は好奇心旺盛で、じゃれて遊び、楽しませてくれるが
年齢と共に、落ち着いてきて、動作が鈍くなり、眠っている時間が長くなって
やがては、いつの間にか、居なくなっていた

家には
猫の他に、犬や十数羽もの鶏、ウサギ、ハト、メジロやホウジロなどの小鳥なども飼っていた
周りの野山や田圃、畑などにも、たくさんの生物が生息していて
それぞれが季節の変化とともに、誕生から死までを繰返していた

子供の頃から猫や犬、鳥、ニワトリと一緒の生活だったので
動物の動きや仕草を見て、彼らの欲求や気持ちを察する心が、自然に身についたような気がする

今も想い出すことがある
野良犬が、家の周りでウロウロしていると
可愛そうだと言って、母が、ご飯に味噌汁を掛けて与えた
飢え切った犬は、当然その日から我が家の一員になった

40歳にもなってから、そんな母の優しい気持ちが、ようやく分かるようになった
その一つは
藤原てい「流れる星は生きている」や、なかにし礼「赤い月」、山崎豊子「大地の子
ヨーコ・カワシマ・ワトキンス「竹林はるか遠くー日本人少女ヨーコの戦争体験記」などの本を読んだことにある

満州から、教師だった父と共に、身一つで必死で引き揚げてくる時
19歳の母は、空腹と飢えで、ひもじい体験をしたからに違いないと、思った
腹には私がいた
そんな優しかった母がいるうちに、「ありがとう」と、ひとこと言っておくべきだった
母の優しさは、娘が引き継ぎ、孫娘にも続いている

今日は、猫の写真から、小中高生の頃のことなど、色んなことを想い出させてもらった