過去の備忘記

2009(H21)年の備忘記

2008(H20)年
2007(H19)年
2006(H18)年
2005(H17)年

Index
2008(H20)年

11/25 立芸術大学管弦楽団
10/31 3rd Granddaughter
10/25 金美齢
10/12 2nd Granddaughter
08/02 東山公園テニスセンタ
07/27 名古屋港
07/26 八事霊園
07/25 中川運河
07/22 ナゴヤドーム
07/12 名古屋大学レクチャー
07/08 隼人池&日赤病
07/02 古文字と中国古代史
06/28 18世紀英国の庭園
06/26 ヤマモモ
06/24 My Yorkshire Terrier
05/28 芥川賞作家 諏訪哲史
05/24 上南交歓演奏会
05/20 つつじ
04/16 源氏物語
03/31 宝塚Me and My Girl
03/07 西洋の美日本の美
03/01 MOA美術館
02/10 ボストン美術館
01/12 ロートレック展
01/09 京都 北野天満宮
01/02 宝塚 紫門ゆりや

2007(H19)年
10/16 神尾真由子
08/24 第5回トヨタ輸送
07/25 小澤征爾音楽塾オペ
07/22 ドルチェ弦楽合奏団 
07/11 浜 矩子
07/07 日本アマチュアゴルフ
05/22 ダリ展
04/10 安野光雅の世界
03/22 シャガール版画展
03/21 上海老飯店
03/21 両洋の眼展
03/21 名古屋国際音楽祭
03/11 NHK 新日曜美術館
03/08 映画 Dreamgirls
03/04 ランの館 MIDLAND
03/02 人間力を育てる教育
02/17 耳順
02/09 日展
01/30 エルミタージュ美術展
01/14 熱田神宮
01/02 新年会
01/01 初詣


2006(H18)年
12/30 映画 フラガール
12/20 中野振一郎のバッハ
12/02 四大浮世絵師展
11/30 スクロヴァチェフスキ
11/29 エルミタージュオーケ
11/28 県立芸術大学 定期演
11/27 ゴルフ愛友会 京が野
11/13 ゴルフ 小原CC
11/03 MIHO Museum
10/11 県立芸術大学定期演奏
07/22 M氏 のHole in one
07/17 茂木健一郎脳と創造性
07/16 國弘正雄アメリカの品
07/15 中坊公平生きること
07/10 Golf 新陽
06/27 Niki de saint phalle
06/25 豊橋交響楽団定期演奏
06/07 ロシア交響楽団
05/25 ゴルフ 青芝会
05/22 映画Good night and
05/15 愛知県美術館木村定三
05/15 水野美術館所蔵の横山
05/12 ゴルフ 愛友会
05/01 ゴルフ シーズン到来
04/29 スキー
04/15 名古屋国際音楽祭
03/31 海 御前崎中田島砂丘
03/26 指揮者 西本智実
01/04
 映画Always 三丁目の
01/01 初詣


2005(H17)年
11/21 ソウル
11/02 徳川美術館
10/02 映画 蝉しぐれ
09/19 EXPO Asia POP
08/07 宇宙からの贈りもの
08/07 東山魁夷展 メナード
07/16 ボストン美術館の巨匠
07/13 EXPO アムール タカ
07/02 講演キートン山田
06/29 知られざる昭和篠田正
05/29 EXPO 青春のグラフ
05/25 名古屋市バス 大人と
05/19 蝉しぐれ 藤沢周平
05/18 ルーブル美術館所蔵 
05/14 祖父になる
05/04 自然をめぐる千年の旅 
04/21 EXPO
04/05 平成の洛中洛外 平山
03/26 宝塚歌劇マラケッシュ
03/04 講演可能性をつくる
03/04 万国博覧会の美術
02/28 上海  写真集
02/15 ロートレックとモンマ
02/12 映画 Ray
02/09 第36回日展
01/03 鍋パーティ
01/01 初詣


11/29 音楽:市民の「第九」コンサート 名古屋フィルハーモニー交響楽団
11/04 聴講:人の生き方について考える 豊田通商会長 古川晶章
10/01 音楽:ジャン=ギアン・ケラス 無伴奏チェロリサイタル
08/08 公演:ミュージカル: オペラ・ド・マランドロ
06/28 旅行:金沢市 兼六園
06/08 美術:ゴーギャン展   ー我々はどこから来のか 我々は何者か 我々はどこへ行くのかー
05/13 聴講:世界金融の潮流と日本 HSBCグループ香港上海銀行在日副代表兼副CEO 山田晴信
04/09 旅行:京都 嵐山
03/26 聴講:名古屋大学レクチャー 2008年ノーベル化学賞受賞記念講演 下村脩
03/16 美術:田渕俊夫展 智積院講堂襖絵完成記念
03/04 旅行:京都 世界文化遺産 賀茂御祖神社(下鴨神社)& 北野天満宮
01/15 美術:モネ「印象 日の出」展
01/11 音楽:庄司紗矢香 ヴァイオリン・リサイタル

01/10 聴講:ガソリン1Lで1,500km走行する省エネカー 名城大学理工学部准教授 村上好生

01/05 美術:絹谷幸二 展
01/01 元旦:初日の出


2009/11/29 ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏会で聴いたのは初めてで、理由は400名の合唱団のone of themとしてwifeが市民参加したからです。

第4楽章の旨味のある部分はFM放送などでよく流れていますが、全体を通して聴いてみると美しいメロディだと思いました。合唱の部分は幾らスピーカーのボリュームを上げても再現できない声量の素晴らしさを感じました。集合した生の響きは圧巻で、当たり前ですが男性の響きの強さを特に感じました。女性の軽やかさも感じましたが。
<いつもの余談ですが>
ヒットラーが数万か数十万人とも思われる群集に向かって演説をしている映像を思い出しました。演説を終わって「ハイル・ヒットラー」と群集が一斉に歓喜の返答をしたとき、ヒットラーは響きに満足し、ナチズムを推し進める確信を得たに違いないと思いました。(400名でこれですから迫力があったでしょうね)
さらに飛躍すると、
ちょうどNHKのBSで世界のドキュメンタリー”鉄のカーテン”を見たり、George Orwellの「1984」を読んでいることもあってか、群集心理や統制社会のことを思いました。
また、小さいころ読んだ童話で「ハーメルンの笛吹き男」の話も思い出しました。
集団による安心感、思考の麻痺とでも言うような心理の怖さを・・・。


2009/11/04 人の生き方について考える 豊田通商会長 古川晶章

 聴いていると、考え方に対するスケールの広さと同時に、気持ちの持ち方としての柔軟性というか、些細なことに動じない気持ちの太さというか余裕というようなものがあって、企業人にありがちな一分野に長けただけの人ではないと感じた。
ヨーロッパの石の文化から1ドル札の裏面に描かれているピラミッドと目、それに繋がるFreemasonのこと。映画、南太平洋の原作者であるJames Michenerの話やKen Follettの大聖堂の話。前世界銀行副総裁を勤め貧困の撲滅に情熱を注いでいる西水美恵子さんのこと、緒方洪庵は世間によく知られているが余り知られていない河井継之助が学んだ山田方谷のことなどなど、興味をそそるように少しのレジュメを話されたので、知ることは最大の喜びであると思っている私にとっては、本当にいい時間でした。
人間社会のいろんな現場を見聞き体験しながら、読書をすることで更に視野を広げられたのだろう。鋭い感受性と共に博愛を持ち合わせた人だと思った。
リタイヤ後は小規模な女子大学の講師をしながら英語の翻訳活動をしたいとおっしゃっていた。


2009/10/01 ジャン=ギアン・ケラス 無伴奏チェロリサイタル

クルターグ・ジェルジ、コダーイ・ゾルターン、JSバッハ、ガスパール・カサド、の作品が演奏されたが・・・。
バッハの無伴奏チェロ組曲は別にしても、全く心に響いてこなかった。
数列前のはげ頭の爺さんが一人歓喜して何度もスタンディングオベーション(standing ovation)をしていたが・・・、自分とは違った世界があって思考や感覚の射程外というか圏外という状態だった。
人それぞれの感性の違い価値観の違いを感じ、人が共生し共有することの難しさも感じた。


2009/08/08 ミュージカル: オペラ・ド・マランドロ

 うむ・・・! 世代的な違いからか、感性の違いからか、何かのめり込めなかった。
自分が浮いていると言うか、馴染めず付いていけなかった。(Time, Place, Occasion でこんなことを感じたことは誰でも一度はあると思うが、あの気持ちです)
片や一方では、演劇に対してなのか役者に対してなのか分からないが、多くの女性群と思われるファンが総立ちで歓喜の手拍子と拍手を送っていた。
例えどんなに説得されても入っていけないなと思うと、孤独な老人やニート達もそんな気持ちなのかもしれないと思った。


2009/06/28 金沢市 兼六園
 気になったことがある。
市内を見下ろす高台にある園内には、広々とした池が点在し淀むこともなく水が流れている。如何してこんな高い場所に水があるのか管理事務所で訊ねてみた。
成る程そうだったのか、300年も前の人は凄い。

金沢まいもん寿司」金沢駅西本店の寿司はネタの鮮度がよく、魚介類それぞれの旨味が口の中に溢れ最高だった。

長町武家屋敷跡も一見に値する。(弁護士、税理士のように士が付くところの武士が必要でなくなった時代を生きた武士は何を志に生きたのだろうか)







2009/06/08 ゴーギャン展 
ー我々はどこから来のか 我々は何者か 我々はどこへ行くのかー

 中央部分に描かれている禁断の実(アップル)をもぎ取り、かじる年頃にアメリカのmfa(Museum of Fine Arts,Boston)で、この絵を一瞥し、立ち止まることもなく通り過ぎたような気がする。
今日、左端の年頃になって、改めてまじまじと眺め観て思うことは。
フランスの美術界は作品を評価してくれない、だったら評価そのものがない場所へ行こうと、逃避したのがタヒチだったのかもしれない。実際のところは分からないが、生きていると誰でも一度は出くわす苦悩のようなものが描かれていて いるように感じた。
所謂、旧約聖書(キリスト教)の戒律と文明の規律の中でうごめくヨーロッパ社会を嫌い、対局するかのような形態の中で生きるタヒチ人の無垢で有るがままの姿を描くことでヨーロッパ社会に反発しているようにも見える。

画題は、「我々は・・・」となっているが、「私(ゴーギャン)は・・・」と言っているように思え、
禁断の実をもぎ取り食べてしまった人間の報いや償いのようなものが描かれているようでもある。
矢張り、ヨーロッパ人が持つ根の深い精神部分が多く描かれていて、アジア人の視点だけでは中々理解できないような部分があるようにも思える。
(いずれにしても、現在に至ってこの作品が評価されるようになったのは、「人それぞれの生き方には多様性があり、人類普遍の原理を示唆していた」と気付いたからかもしれない)

余談だが、
・アップル・コンピュータのロゴマークである「かじられた林檎」は、MACを使えばアダムとイブのように知恵が付くというような意味が込められてデザインされたのではないだろうか。

・中世の文盲の人々にキリスト教を布教させるためにイコン(icon)や神の肖像などを用いた、同時にキリスト教美術は油絵絵画をも発展させた。同じように難しい文字 (Language)によるコンピュータ操作を、GUI(Graphical User Interface)による視覚操作で簡単に使えるようにした絵柄をアイコン(icon)と命名した。キリスト布教と同じように一般の人々にコンピュータを普及させたいという願いがあったに違いないと思うのだが・・・。


2009/05/13 世界金融の潮流と日本
 HSBCグループ香港上海銀行在日副代表兼副CEO 山田晴信

 いままで多くの人達に合ったり見たりしてきたが、山田さんのような人は初めてです。物凄く落ち着いた物腰で泰然とし、頭の中でしか展開できない金融システムの概念を非常にゆっくりと物静かに説明される。同時に誰もが道理として思っている例え話を用いて平易な言葉で教えるように話を進め納得させてしまうところが実に上手いと思いました。
宮城谷作品の孟嘗君を読んだ後だけに孫ピンとはこんな人だったに違いないと思いました。(真のChief executive officerであると感じました)
コンピュータのシステムを説明する時、私はよく人間に例えて説明したことがありますが、山田さんは「金融は人間に例えると血流である」と言われました。確かに!と一発で納得してしまいました。難しい専門用語や仕組みをひけらかす様に解説するプロがいますが、私は「プロとは素人を納得させることができてこそ本当のプロだ」と思っています。
<記憶に残った言葉>
Derivativeは魚屋で
人の本性として性弱説
銀行業は原子力発電所 Corporate Sustainability

<私の勝手な思い込み>
私はアメリカに端を発した今回の金融恐慌は1971年のニクソンショック(金とドルの交換停止、変動為替相場制)が一因だと勝手に思っています。それに時代の流れとして金融市場のグローバル化と金融工学の高度化、コンピュータなどが拍車をかけた様に思います。一つ一つの流れの変化に人間の英知が対応策を巡らし万全であるかの様に思い込んでしまい何も悪いことではないように見えてしまうこと。それと私たちの身近でも起こっていることですが、利権や欲望が勢いをなし突き進んでいるとき、人は奔流に押し流されてしまい諫言を呈することなど不可能に近いところがあります。サブプライムもそうだったに違いないとも思っています。
21世紀は食料、エネルギーなど枯渇する問題が出てくるのでしょうが、もっと難しいでしょう。私はマクロ政策としての産児制限とマグマを利用することで解決できると思っていますが・・・。
人間の抑止力、無我無欲は不可能でしょう。色即是空(般若心経)、方丈記、平家物語・・・時間と空間が変わっても人は何も変わらない・・・。


2009/04/09 京都 嵐山
 いっきに、五月のような陽気と晴天になったので、待っていましたと言わんばかりに、競うように桜が爛漫と咲き誇っていました。
しかし、近年、私を含めてだけど何処に行っても高齢者の姿が目立ちます。それと同じように中国や韓国からの観光客も増えてきました。
欧米人は単独や家族、男女の友人らしい旅行者が多く、アジア系は集団的な団体旅行者が目立ちます。アジア系は群れをなして行動することが好きな民族かもしれません。謂わば、鳥類で例えるならば鷲や鷹ではなく、鴨や鳩、カラスに類似しているのかもしれないと思いながら古都の変遷を辿っていました。


2009/03/26 名古屋大学レクチャー 2008年ノーベル化学賞受賞記念講演 下村脩
 応募数5000人の難関を突破し聴講することができた。
私が座っている横を今年81歳になられる長身の人が演壇へ向かって歩いて行かれた。
聴講しながら観ていると、ノーベル化学賞を受賞したからとかを全く意に介さない学者肌独特のMy wayの人である。
昔は士農工商というものがあったが、人はそれぞれの能力や性格、気質などによって必然的に歩む道を歩むようにできているとも思った。

 未知のものへ向かって疑心暗鬼のなか暗中模索し努力することもさることながら、
日本において、もっと大変なことは、皆が協力し目標を完遂しようとしている場に同調せず、一人我勝手なことをしていると、多くの凡人が大勢に反していると言って村八分にしてしまうことの方だろう。
余程の強い意志がなければ難しい、やはりアメリカへとなるのか。

<余談だが思い出して>
・USPGAのChad Campbellの両親が息子へ曰く
「力を認めて欲しいと思っている内は一流ではない」と

・日本画家の父(加山又造)が私(娘)にいつも言っていた言葉がある
「人と同じことをしちゃあいけないよ」と
 


2009/03/16 田渕俊夫展 智積院講堂襖絵完成記念
 今年の1月11日にNHKの新日曜美術館で時を刻む襖絵を見たので、観たいと思っていた。写生したススキを幾つか切り取って並べ、それを透明フィルムにコピーし、OHP(プロジェクター)を使って襖に映し出し、その影を墨で塗っていく様子が紹介された。
小学生の頃に住んでいた山奥の風景を思い出した。夜中、外へ出てみると昼間の色彩は一切消えて静かで薄暗い月明かりの中に、影のように立っている柿木や柳、ススキなどが黒く浮かんで見える。風が舞って音を立てて動いたりすると、そこに何か居るのではないかと怖くなって凝視した思い出がある。森羅万象、夜の光景のように色彩のない黒い陰のような時間があることを忘れている人は多い。
「葉っぱのフレディ」の一生のように季節の影響を受けながら、それぞれが生きている環境の違いから違った形に変貌し晩秋のころ枯れていく、その様が形よく墨の濃淡で繊細に根気よく丁寧に塗られている。きっと、その巧みさに感動された方が大勢いらっしゃったに違いない。
「人の一生もこの様なものなんだよ」と修行道場に集う僧侶に示唆しているようにも思えた。


2009/03/04 京都 世界文化遺産 賀茂御祖神社(下鴨神社)& 北野天満宮
 今年の年賀状に尾形光琳が描いた紅白梅図屏風を題材に思いを書いたが、その紅白梅図屏風は下鴨神社境内の御手洗川のあたりを描かれたとされ、以来その地にある梅が「光琳の梅」と呼ばれるようになった。ということで、その梅を見たくて下鴨神社へやって来た。
昨日は終日雨が降り続いたにもかかわらず、満開の紅梅が咲き残っていてくれた。光琳も同じように観たに違いないと思いながら眺めることができてよかった。
また、境内にある河合神社には鴨長明ゆかりの一丈四方の方丈と方丈記の影写本があって、それも見ることができた。
確かに人は人生の中でいろんな状況に遭遇し影響を受ける。しかも自分の思いとは裏腹に流がされてしまうことが多い。長明が生きた時代もそうだったのだろうし、現在遭遇している世界不況も人それぞれ違いはあっても予期せぬ出来事として影響を受け、その心境は長明が書いた方丈記そのもので当時と何も変わっていない。
そんなこととは余所に、春の季節を感じた梅の花は昨年と同じように色鮮やかに匂い芳しく咲き誇っている。この情景を見ていると想い出す詩がある。やはり中国でも同じだったのだろう。
唐代の詩人、りゅう希夷きいが 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 と詠っている。
劉希夷(651〜680?)も、鴨長明
(1155〜1216)も、尾形光琳 (1658〜1716)も、貴方も、私も、みんな同じ人間なのだと思うと・・・。


2009/01/15 モネ「印象 日の出」展
 1873年頃モネが塗った絵の具が、昨日塗られたかのよう様な生々しさを残し、大気中の質感を表していた。
モネの作品は日本では勿論パリやロンドン、ボストン、ニューヨーク、ワシントンなどで沢山観てきたが、何処で観ても何時観ても心が落着く。
多分、我々人類が何万年も前から見慣れてきた風景で、今も遺伝子みたいに心の奥底に残っているからに違いない。
大概の作品は、大地に生きる自然があって、そこには晴れた空からの光と情景をみなもに写す水があり、全体を暖かい大気が包んでいる。


2009/01/11 庄司紗矢香 ヴァイオリン・リサイタル
シューベルト:ヴァイオリン・ソナティナ 第3番 ト短調 Op.137-3, D.408
ブロッホ:ヴァイオリン・ソナタ 第1番
ドルマン:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第2番(委嘱新作)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2

 2つのことを思っていました。
細く小さな肢体からは想像できないような、クラッシックの調性的に統一された音階を忠実に厳格に一分の隙もなく奏でていらっしゃること。
それと、
演奏をしながら変化する表情は、無垢で何も知らない少女のような顔になったかと思えば、上目遣いに妖艶に微笑み誘うような表情になったりして男をその気にさせてしまうような魅惑を持っている人だと感じました。
オードリー・ヘップバーンが映画「昼下りの情事」で演じたアリアーヌようなところがあって、フラナガン(ゲイリー・クーパー)もそんなところに魅力を感じたのではないだろうかと思いながら、映画のシーンを思い出していた。
鋭い感性を持ちながらも日本女性としてのしなやかさとでも言うような愛嬌と人懐こいような表情が交差し、人から好かれる表情の美さを持っていらっしゃる人だと強く感じた。


2009/01/10 ガソリン1Lで1,500km走行する省エネカー 名城大学理工学部准教授 村上好生
 就職をして資本主義の営利目的の社会に身をおいてしまうと、成果主義の枠組みにはまり目先の目標を達成することに追われて、いろんなものを失ってしまうことが多い。
所謂、真理の追究が利潤の追求へと変化しまう。
環境によって人は変わるかもしれないが、心の中の余裕、ゆとりとでも言うようなものを失っているようでは、何れにしても良い結果を出せるはずはない。
と同時に、何故だろう如何してなのだろうと疑問を持ち熱中し続けるには青春のような素直さや健気さも不可欠であると、今回も教えてもらったような気がする。
Samuel Ullman サムエル・ウルマンを思い出した。


2009/01/05 絹谷幸二
 今までいろんな作品を見てきたが、違いがあった。
赤系を中心に三原色の色彩がキャンバスにある。
色彩からは、思考を停止させ一つのことに集中し、止め処もなくエネルギッシュに繰り返し動かすことで得られる生命感、何もかも忘れてエネルギーを発散してしまうことで得られる満足感など、人間の本能とでも言うようなものを赤裸々に描いているように感じた。些細なことに拘ることなく、好きな色を使い、思うままに筆を動かすことができる絵師のように感じた。
昨年亡くなった片岡球子の作品が脳裏に出てきた。


2009/01/01 「塩竃神社」初詣
 午後からは一転し今にも雨が降って来そうな曇り空になり冷たい北風が吹いていたが、初詣に多くの参拝者が並んでいた。今まで塩竃神社に参拝したことはなかったが長男家族が近くに住んでいることもあり一度はと思い初詣に選んだ。
拙宅から歩いて八事霊園名城大学の中を通って来たが、八事霊園には多くのお墓参りの人が詰め掛けていて少々驚いた。盂蘭盆にできなかった人達かもしれないと思いながら全体を見渡すと赤や黄色の献花が果てしなく活けられて綺麗だった。(一束1500円としても、うむ・・・。元旦から掛け算の答えが頭を過ぎった)
孫娘が後ろを向いているのも気付かず、みんな自分の写真写りに集中している姿が証拠として写っていた。

初日の出
 起きると6時半頃だった。直ぐに外の天気を見に行く、快晴だった。急ぎ防寒の身支度をしていつもの撮影場所へ向かった。
7:04東南東方向(豊田市方面)の山から眩しく輝く太陽が登ってきた。
暖かい光が顔や体に当たり始めると、太陽のありがたさが身に沁み込んで来た。