1996年からの備忘録 Index
2013.12/21土 名古屋大学博物館 -The Nagoya University Museum- / イベント情報
                         ベネズエラ音楽デュオ・セレステ | 出口泰司 クアトロ バンドーラ 岡野友絵 ベース クアトロ

ベネズエラの音楽とは、どんな音楽なのか?
演奏を聴いていると、
・テンポは、軽快でUP、わくわくさせるようでもあり、哀愁を感じさせるようでもある。
・リズムは、メキシコ、ペルー、ブラジルなど、
 スペインのフラメンコも混じっているラテンの音色である。

 例えれば、ボサノバ(ボサノバと言えば:イパネマの娘)、アルゼンチンタンゴ
  ▶ Astrud Gilberto & Stan Getz: The Girl From Ipanema- 1964 - YouTube
楽器は、クワトロ、4弦のギターで同じような響きをする。ギターの原型とのこと。
・和音は、ギターとはちょっと違って、ラテン系に共通する独特なもの。

・歌は、余り馴染みのないスペインかポルトガル語。

高校の頃、FM放送でよく流れていた
ウーゴ・ブランコの「コーヒールンバ」が演奏せれた時は
懐かしく当時を想い出しました。
▶ HUGO BLANCO - MOLIENDO CAFE - YouTube

勝手な考察
このコーヒールンバが何故ヒットHitしたのか?
世界的にヒットしたのだから、人類が持っている音に対する感性は共通なんでしょうね。
演奏された他の10数曲と比べると、4拍子のリズムがBackで流れながら、
減り張りがはっきりしていて、間の取り方が上手く、だらだらせず強弱のけじめがあり、
そして、耳に心地いい単調なリズムが繰返されている。

ベネズエラは何処にあるかって?
南米の最北端、カリブ海に面していて、ギアナ高地を含んでいる国。
言われれば、ああ、あの辺りかと・・・

以前銃・病原菌・鉄、 砂糖の世界史を読んで
南アメリカの国々やカリブ海周囲の島国は、Europa人に支配され、翻弄させられた世紀を持っていることを知った。
そんなことを思い出しながら聴いていると
彼らは日常の辛さを、音楽で紛らわし生きて来たと思わせるようなところが、ラテンリズムの根底にあるように思えた。
 

2013.12/08日 安城市/市民芸術鑑賞会 真知亜@nakama.僕はこのようにしてヴァイオリン弾きになった

言葉として、どのように表していいのか、苦しんでいます。
今までのConcertは、
有名な交響楽団や演奏家、作曲家の曲などを聴いて良かった、どうだった、だった。

今回は全く違っていた。(有名な演奏家かもしれないが、私の無知)
1.ヴァイオリンが弾けるようになるための学習とは、どのようなものだったのかを演じられた
例えば、左手の指で弦を押さえる、滑らす、血が出るまでやらされる
ギターのように押さえる場所が決まっていないから音階のPositionが分からない
幼少の頃、右手に持つ弓を、弦に対して90度の角度を保って、引いたり押したり動かすことの難しさ・・・
2.年齢とともに段階ごとの関門をぐぐらなければならない
発表会で、芸大受験で、N饗オーディションで
その時に弾いた曲を懐かしそうに演奏された
3.演奏される曲目についての知識
大学では、作曲家の国、当時はどのような時代だったのか、その頃の世相や主義は、
作曲家の人間関係、曲に込めた思い・・・、を学ぶ。
4.所属する 楽員インタビュー|NHK交響楽団
楽団に入るためのオーディションに合格しなければ・・・

このようなことを話されながら演奏があった。
個人の技量で、生きていかねばならない芸術家は、大変だよね。

ここからは私見
楽器を演奏して、飯が食えるまでになるには
楽器の操作技術が優れていなけれが話にならない
勿論、好きになることも必要だが、趣味では家庭も持てない
努力だけでは一流になれない、やはり天性のようなものがなければ
だが、
芸術家として生涯を送れるということは、
他のどんな職業よりも、勝り優れ、どんなに貧しくても第一級の生き方だと思うところが人間社会にはある。(Art秩序)
映画「戦場のピアニスト」、ユダヤ系ポーランド人シュピルマンの自伝(ピアニストであるために殺されなかった)
女性指揮者として活躍している「西本智実」さんの話。(芸術家を目指す人に対し支援するロシア人の考え方)
特に西欧社会の中での芸術家に対する位置づけは確かなものである。
推測だが、ギリシャ文明、ローマ帝国、ルネサンスを経験したことや、
ユダヤ思想の反発かもしれないが? ユダヤ人の芸術家も多い。

初めて見た聴いた馬頭琴 馬頭琴 - Google 検索
西欧白人民族が得意とする音楽概念は、システム的な楽団を指揮者がControlし種々の音色を纏め調和させる交響である。
アジア民族の中に流れる音楽の概念は、一つの楽器を哀愁を帯びた音階で独奏する職人的な演奏が多い。
確かに、馬頭琴もモンゴルのような広大な大陸と夜空を見上げれば、そのような曲にならざるを得ないのかも。

ヴィヴァルディー四季「冬」が演奏された。
▶ ヴィヴァルディ:《四季》"冬"第1楽章/Vivaldi:"Four Seasons" Winter - YouTube
やはり一番良かった。理由は、本当にMelodyが綺麗。
若い頃S45年、栄地下のShopでイムジチ合奏団のCDを買ったのを想い出した。

今日は音楽会を、別の角度で楽しめました。
 

2013.12/02月 再興第98回 院展(2013年11月30日(土)→12月8日(日))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店

M.Minakoさん、いつもありがとう。楽しめました。

院展は僕が大尊敬する岡倉天心が創設した日本美術院の公募展なので、
創設の趣旨である
芸術の自由研究を主とす。故に教師なし先輩あり。教習なし研究あり 」(大好きな言葉)が
作品にどう表現されているか、興味を持って鑑賞しています。

今回も、全体的に霧に霞んだような薄い色彩で描写された作品が多い。
画家それぞれの題材モチーフは多種多様で、
本当に緻密に、よくこんなに上手く描けたものだと感心する作品ばかりですが、
どのように研究されたのか、
鑑賞者が希望や魅惑を感じ、自分のものにしたくなるような、となると・・・。

が、
異彩を放っていた作品があった。murakami_yuji.jpg (730×371)

霞んでなく、色彩が強烈である。
絵を観ていると、カエサルが”賽は投げられた”と言いながら、まさにルビコン川を渡ろうとしているように思えた。
近づいて説明書きを読むと、画題が「その先へ」村上裕二となっていて、
「先へ進むんだ、顔を上げて大空を見上げるんだ、そして君が道を指し示す時、未来は広がりはじめる」と書かれていた。
この作品を観ていると、一歩踏み出して前に進む勇気や気概を貰えるようで、一番気に入った。
  

2013.11/15金 日本画を彩った巨匠たち 〜大観、栖鳳、球子〜|名古屋ボストン美術館

片岡球子大好き
片岡球子の作品を見に行ったと言ってもよい。

もう何年も前だが、彼女の作品を初めて観た時に、
型破りで、大胆な、彼女の画風、作風が大好きになった。
・せこい所がない!
・卑しさがない!
・型にはまっていない!
・他人が何と言おうと動じない!

片岡球子 《山(富士山)》 1967年 259.0×182.0cm

画壇からは批判中傷され落選を繰り返しながらも、
彼女が持つ個性を貫き通した証でもある。
そんな彼女の、生き様みたいなところを、絵画に感じたからだ。

ただ私の推測だが、
彼女だって初期の作品は、極普通の素通りしてしまうような作品だった。
が、50才前後位から、このような画風になってきた。
何がそうさせたか分からないが、
あるがままの自分を出せる、大人の自信のようなもの、そんな何かを持てるようになったからに違いない。

小学生の頃、先生がよく言っていたことを覚えている。
・図画を描かせると、生徒の心情が現れる。
・作文を書かせると、生徒の思考が現れる。

球子さんの心情がこの絵画にもよく出ている。
1.型破りな構図
2.大胆な色づかい
3.のびのびと発揮された筆使い
4.類を見ない独創的な表現
など、想像し創造する審美眼を感じる。

片岡球子 《葛飾北斎》 1976年 116.0×79.0cm

Leonard da Vinciは「眼は魂の窓である」と言っている。
1.確かに、描くことで、よく物を見ることができ、よく理解することが出来る。
一方、
2.魂の窓は嘘をつけない。
心の内にある、気や意、情を如実に表してもいる目は、口ほどに・・・
球子さんを写真やVideoで観ると、眼光は鋭く、山のように動じない面構えをしている。頑固おばさんのようだ。
  

2013.11/02-03土日 絆

邂逅から結婚へ、それが孫の誕生へと繋がったことに、親として爺として本当に喜びを感じている。
これは、まさに奇跡的なことで、望んだから叶うというものではなく、昔から言うように、コウノトリが運んで来てくれたからに違いない。
同時に、この巡り合いでゲノムやミトコンドリア(血縁という言い方が好きでないので)が継承されたことで、お互いの家族に更なる強い絆をもたらしてくれたことは言うまでもない。
それらを祝って、名古屋へ来て頂きました。

昨夜は東新町 鳥銀の名古屋コーチンを皆で食べながら、お酒を飲んで喜びあい、
二次会は親達だけで、ごちそう家 満天で積もる話をしながら深夜まで堪能しました。(かなり酔っ払って千鳥に)
そして、
今日3日は感謝の気持ちを込めて熱田神宮へお参りをして、(子供の健やかな成長を願う753で賑わっていました)
お昼は名古屋名物ひつまぶしを皆で食べました。孫も食べたそうな顔をしていた。

私にとって今が一番、幸せな時である。
 

2013.10/26土 講演 養老孟司 人生で一番大切なこと

人体の解剖学を長いことやってきたからだろう、
死について始まる。

養老先生は、死人が一番安心だから解剖学にしたと、
生きている患者だと何かのミスで死に至らしめてしまうことがある。
そんな、危険きまわりないことはしたくなかったと、
確かにその通り、死んでいれば死ぬことないしね。
死人が一番安心だ。

中学生の頃、社会科を担当していた、とももり先生が授業中の合間に、よく雑談話をしてくれた。
先生は戦時中、海軍にいて、その当時のことをよく話してくれた。(教科より雑談余談を聞くのが好きだった)
「死人が一番安心だ」と話してくれたことを覚えている。
(中学生の頃は死人がZombieのように思えて怖かったから・・・)
「戦争中は、生きている人間は何をするかわからないし、反対に殺されるかもしれない、だから怖いんだよ」
と話してくれた。
死なすことがないから安心、死んでいるから安心、同じだが生者から見れば死者は何もしないBody。

養老先生の話は、当たり前のことを、複雑怪奇に、
線香花火が、パチパチと球となって火花するように、縦横無尽に多種多様に回りくどく話すことが、実に上手い、
普通に聞いていると、人生で一番大切なことが、たくさんあり過ぎだよ、と思うだろう。
が、
養老先生に言わせれば、何も彼も全てが大切なのである
何故なら、私達は、この大気の中で自然界の生物と共に生きる、One of them なのだから。

それを、分かって聞いていると、
人生で一番大切なことを、盛り沢山、回りくどく、ああだこうだと、話している。
(養老先生は、引出が多く、あっちを出したり、こっちを出したりする)
 

2013.10/24木 講演 情報通信産業とそれを支えるモノづくりの課題 | 中京大学

典型的な大企業TopのPresentationでした。
あらゆる所からBack dataを集め、それらをPowerPointを使ってAgendaやGrafに纏め、項目について説明をされたが、殆どの内容は昨今の情報Mediaを通じて知られている内容だった。
淡々と項目から外れることもなく、余談として面白い話もなかったので、聴講者からは一度も笑い声が出なかった。

敗戦後の高度成長期に伸し上がった今の大企業はNTTに留まらず、Sony やPanasonicなどあるが、それらの企業が近年行き詰まっている原因は、当時の成長期に培った画一的な構造から逸脱できないからだと感じた。

謂わば、
使用者のNeedsを忘れた独尊的なモノづくり、Hit商品から離脱できず固執する、親方日の丸的な企業構造、縦型構造の百姓根性、独創的な発想があったとしてもGlobal Marketingでない、など。
勿論、
一流の大学をでた物覚えがよく決められた問題に対する解析力のある人達の集団だから全て分かっているでしょう。
ただ、
私達は小学校の頃から、自分の頭で考え、発言し、Themeについて相手と議論し交渉する機会がなかった。
教材の内容を黙って聞いて、決められた問題をどれだけ覚え解析できたかを試される画一的な教育で22歳まで生きてきた。
それ以降になって、自分の頭で考えなければならない独創を求めるのは元来無理かもしれない。
ましてや、
画一の中で生き抜いてきた諸先輩や経営者が牛耳っているし、
諸外国の中で堂々と渡り合える語学力や度胸、議論や交渉力、相手を説得するPresentationの教育は皆無で未経験ときている。
相手を英語で舐めて抱える位でないと国際人として通用しないだろう。
(岡倉天心がアメリカでAre you a jap? と言われ、Are you a monkey?と言い返したそうだ)

誰かが質問した。
外需については、どの様にお考えですか?
「サムスン電子のように外に出て、外需の需要に合わせた製品づくりと、需要に近い所でのモノ作りが必要です」
との応答でした。
確かにその通り、誰でも分かっている。
だが、やってないから負けている。
これが今の日本企業の現実だと、その典型的なものを感じながら会場を後にした。

講演が終わって、出て行く聴講者達の顔を見ていると、晴れ晴れとしたようには感じ取れなかった。
近くの駐車場には黒い公用車が溢れていて、運転手が起立よくドアを開けて、重役たちを待っていた。
きっと組織内の、関連企業の・・・だろう。
 

2013.10/14月 美術 あいちトリエンナーレ2013

うむ、有無だね。
いったい何なんだろう。
楽しませるわけでもないし、
なるほどなぁ〜と感動するものもないし、
どういう趣旨なのかも分からなかった。
無味乾燥、何もナーレだった。

寄道
B2のアートプラザ ビデオルームで、今年はヴェルディの生誕200年特集として、
メロディーの王様 ジュゼッペ・ヴェルディ」の映画が始まろうとしていたので鑑賞することにした。
これがなかなかいい映画で、
売れない作曲家ヴェルディが貧困の中で妻子を失い、絶望と失意で音楽から身を引くことも考えていた。
最悪の状況下、偶然会ったスカラ座の支配人メレッリから、旧約聖書に原案を得たナブッコの台本を渡され、
作曲するよう勧められたことで出来たオペラ「ナブッコ」が大成功した。
(イギリスの威風堂々と同じように国歌以上に愛されている)
▶ Verdi.Nabucco.Va Pensiero.MET.2002 - YouTube
そしてビクトル・ユーゴー原作の「エルナーニ」、
「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」などを交え、
▶ La Traviata (Giuseppe Verdi) Best of Classical Music / Highlights Klassische Musik Playlist - YouTube
▶ LA TRAVIATA - Drinking Song - YouTube
波乱に満ちながら大作曲家になるまでを描いた映画だった。
映画にはなかったが、
ヴェルディの本を読んでいたので、晩年、彼が慈善事業や社会貢献した心境も頷けた。

改めて、
絵画の世界の画家たちがそうだったように、
貧困や苦悩と闘いながら、仕上げた作品に限って、
名作として人々に感動をもたらし希望をもたらしている。
(人は多かれ少なかれ苦悩や絶望と紙一重のとことで生きているから共感するところがあるのだろう)

文芸作品だけに限ったことではないが、
「ものづくりの原点」は
我々が日常的に抱えていることから、開放してくれるような何かがあり、
共感や共有できるものを感じるからからこそ、
それを求めるものである。
それを忘れたものづくりは無味乾燥で、何も伝わらない。

寄道はするものだ。
映画のお陰で、今日を楽しむことができた。


2013.10/09水 講演 大学の未来へのメッセージー「知」と「挑戦」ー

1.室伏広治氏による基調講演「自己への挑戦〜未知なる探求」と
2.森谷敏夫氏、松田丈志氏、室伏広治氏による座談会「わたしたちと中京大学」の2部に分かれていた。

20歳代は頭の中がSkiに、30歳代はComputerに、40歳代は に、50歳代は登山に没頭していた。
最近は、それがGolfのことになっていて、何かにつけ部屋の中でもClubを握ってSwingをしてしまう。
だから、
OlympicでMedalに輝いた二人のAthleteと、Sports科学の第一人者の、生の声を聞きたかった。

室伏さんは
Top Athleteを維持することに、全てが注がれてきただけに、
話の方は砲丸投げのような滑らかな飛びはなかったが、(慣れだが、謂わば、野茂英雄みたいな)
人としての真面目さ一途さ誠実さを感じさせた。(だから出来た)
 
Olympicの競技種目についての私見
人が、走ること、物を投げること、泳ぐこと、格闘することは、国の違いはあっても特殊な道具を必要としなだけに、
Africaであれ、Americaであれ、Asiaであれ、Europaであれ、同じ場面で競技する公平さがある。
それがOlympicの原点であると思っている。
そういう意味で、砲丸投げは、誰でも何処の国からでも参加できる。
しかし、この種目はGolfのように、金にならないし、脚光も浴びない、地味な種目でもある。
だから、
これを維持することは、自分との戦いや、苦心や、葛藤があったに違いない。(一途さなくして出来るものではない)

座談会
物凄く面白く、納得させられた。良かった。
松田さんは若いながらMedalを取ったか否かの違いを面白く語ってくれた。
きっと一選手だけで終わらない人物になるだろうと予感させた。
 
 
 
 

森谷敏夫さん、さすが京都大学大学院教授、このような教授の授業を受ける京大生は違ってくるだろうね。
Sports科学に留まらず、話が多種多様多岐に渡り、実に興味ある話であった。さすが。
本当にためになったし、Inspireを貰った。
三浦敬三さんのことで、三浦雄一郎さんのことで、
老化し衰える体を、どのようにすれば、長持ちさせることが出来るかを話された。
また、
Americaでの科学的な根拠や実例、実験結果を元に、筋肉を強化する方法論の話は、
私自身が大学時代、空手をしていただけに今からの筋肉強化に役立てたい。

最後の締めで話されたこと
Novel賞受賞者の会合で、ある受賞者がダライラマ14世に質問をした。
あなたが幸せを感じる時はいつですか?
ダライラマは答えた。
Just Right now!
 

2013.10/05土 美術 知られざるミュシャ展 ―故国モラヴィアと栄光のパリ― 松坂屋美術館

文芸などの作品は、作者になると、色んな事が見えてくるもの
いつものように解説パネルなどの文字は一切読まず、入口から出口までの全ての作品を見た。
そしてもう一度、入口から、
作者(画家)になったつもりで、この作品をどの様に制作しようとしたのか、
意図するところは何なのか、などを推察しながら観はじめた。

ポスターなど、たとえ他者から依頼されたものだとしても、
その画家が持っている能力に応じたものになるし、ましてや創作者には強い独自の個性や思い、好き嫌い、主張などがあって、それがでるものである。
ミュシャは、それに加え、時と場合、場所による
Timeの流れ、Placeの違い、Occasionへの対応を敏感に感じ取り、自身を変化させることができる人だったに違いないと感じた。

好きこそ物の上手けれ

今回展示されている作品だけかもしれないが、何しろ女性が殆どである。
よくもまあ、こんなにたくさん描けたものだと感心したのが全体を観ての印象である。
きっと、上の絵のような、エヴァ・ガードナーを思わせる女性が好きだったに違いない。

初期の頃の作品から受ける印象は、
スラブ系民族の衣装や容姿などを感じた。
映画の「ドクトル・ジバゴ」を想い出した。舞台はロシアだけど。

ジスモンダ 1894年(明治27年)
ミュシャは演劇の女性ヒロインを描いたポスターが有名である。
ジスモンダはその代表作だ。
等身大の「ジスモンダ」を一見した時、
豪華で重厚な衣装に身を包み、毅然として立っている女性に目が行く、
自信と誇りに満ちあふれ、威厳をもって接している様に見えるが、
少女ぽい顔は、何にかを見上げながら、
畏敬のものに何かを捧げようとしているように感じられる。
(右手に持っているものには何か意味があるのだろうが日本人の私には分からない)
さらに、
抜かりないのは、
演題の「GISMONDA」を目に付くように上部に位置させ
女優の「BERNHARDT」を頭上のアーチに載せ、右手に持つ枝から、足元のショールへ包むように流し
劇場の「THEATRE DELA RENAISSANCE」を桟敷の視線におき、女優が舞台の上に立っているように
ポスターの中に上手く入れて、宣伝している。

実に見事な構図と黄金色の色彩で 観に行きたい! と思わせている。
 

2013/09/16月 美術 古川美術館 企画展 「放課後美術(アート)」

民主的社会主義

美術館へ行って観賞しながら思った。
民主主義が発達し、格差が是正され、皆が平等に生きられるようになった。
いいことであるが、
民主的社会主義が強くなればなるほど、文化が衰退する。
やはり、
儲けた金は個人の采配で自由に使うから発展がある。
財を成せば成した比率で税金として吸い上げられ、非生産部門の役人に分配されているようでは、
文化の発展というものは阻害されてしまう。
 
コケる
爲三郎記念館に立ち寄って
日本古来の数奇屋造りの室内や庭など、全体を一通りを眺め終わると、時間の長さを感じた。
ふと、何故か、「君が代」を思い出した。
「わが君は幾千年も限りなく永遠であれ、小石が巌(岩石)のように大きくなって、苔が生息するまで」という。

子供の頃、
田舎の川に入って魚を捕ろうと、下流から上流へと川の中を歩いていると、よく滑って転んだものである。
岩に苔がついていて滑るからである。
何が言いたいか?
川の流れが少なく、んでいる所は、コケ(苔=転ける)るのである。
世の中、国であれ、人であれ、あらゆるものは、流れる変化がなくなり、定まってしまうと、コケる
 

2013/09/14土 音楽 オペラ プッチーニ「蝶々夫人」 愛知芸術文化センター

いや〜素晴らしい、感動しました。
文字で表現できない。
プッチーニは日本のことについて相当情報を入手し勉強をしたと思いましたよ。
例えば猿田彦神社も歌詞の中に出てきました。

映画がない時代、歌劇は娯楽という分野の中で絶対的な地位をもって君臨していたに違いない。
だってそうでしょ。
音楽あり、歌唱あり、演劇あり。それが舞台で同時進行する、総合芸術ですよ。
更に、その物語が人々の心を揺さぶるような筋書きだと、観客は堪りません。

このような芸術を創造する一流の作曲家がいて、
それを我が身の如く演ずる一流の俳優がいる。
観客は、そう言う一流のものに接し味わって感動することで、活力をもらい、自分の目を磨くことにもなる。

絵画、音楽、映画、読書、演劇など・・・どれか一つでいいから、一年に一回でいいから、
一流のものに接して、感動する喜びを子どもや孫たちも知ってほしいな。

余談
一流なものを、観たり、聴いたり、接したり、しなくちゃ駄目だよ!
そして、眠ることを忘れ食べることを忘れるくらい集中できる、楽器とスポーツの趣味があると人生が楽しくなるよ!
 

2013/09/11水 音楽 ヴィオラとハープによる初秋のコンサート - イギリス・フランスの名曲を中心に
               
名古屋大学博物館 -The Nagoya University Museum-

ここのホール(博物館内の一隅)は何処の超一流のコンサートホールよりも勝るものがある。
それは電気的な増幅器なしに、楽器が発する振動音を間近で直接聞くことができるからです。

今日の楽器、ヴィオラとハープが発する弦の響きを、3メートル位離れた所から聴いていると、
この2つの楽器が発する弦の振動音は、何か兄弟のように似たところがあって、協奏するには似合っているなと感じました。
知った曲はなかったのですが、若き芸術家の育成を趣旨としているだけに、彼らの思いや曲の解説などを交えたコンサートは、大ホールとは違った雰囲気があって好きです。

いつもの余談です
私は吹奏楽器よりも弦楽器の音が好きです。
もう随分昔のことですが、あるコンサートホールの最前列、指揮者の真後ろで、「チャイコフスキーの弦楽セレナーデ」を聴いたことがあります。▶ TCHAIKOVSKY: Serenade for Strings in C major, Op. 48 - YouTube
左、中央、右のそれぞれの弦楽器が発する響きと、調和したオーケストラのリズムが直接体の中に入ってきて身震いした記憶があります。
コンサートホールで、いろんな曲を聴きましたが、あの時の感動を再度感じたことは、以来一度もありません。
ベルリン・フィルのヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のCDを持っていますが、当然CDでは叶いません。

いつの日か、タングルウッドで、タングルウッド - Wikipedia
小沢さん指揮のボストン交響楽団で聴きたかったのですが・・・
今の望みは
私の葬式の時に流してほしい曲の一つです。
もう一曲は
プッチーニの「私のお父さん」。私の青春時代、世界の頂点にいたソプラノ歌手マリア・カラスが今もいいですね。
▶ Maria Callas - O mio babbino caro - YouTube
  

2013/08/01木 飲み会 大人の顔
大人の顔
色々と付き合いのあった社長や事業主たち。
既得権階級に属していない、つわもの達との飲み会だけに、話をしていても個性と自律性、独立性が強く、爽やかで自信に満ちた大人の顔をしている。
謂わば、
サラリーマンに多い、青年期の顔のままで、年だけ取ったような顔立ちの人はいない。

面構シリーズ

以前、画家の片岡球子が描いた「面構シリーズ」を観賞したことがある。片岡球子 面構 - Google 検索
そこに出てくる人物の面構えが、正に大人の顔であった。
波瀾万丈の人生であったのだろうが、屈託なく自分を信じ、強く生きた凄みのある顔が描かれていて、
芸術家が持つ、
人の内面まで見透かしてしまうような観察眼の鋭さと、それを表現する見事さに、感心した記憶がある。

歴史に登場した人物の面構え
歴史の中で、国家の存亡に関わるような決断を強いられてきた人物の写真を見ると、際立つ特徴がある。
清々(すがすが)しく爽やかで、責務を全うする精神力と素直さが顔面から伺え、男前が多いことだ。
つい3日前NHKTVで見た東郷平八郎もそうだった。
昔、司馬先生の「坂の上の雲」を読んだ時に、「今の日本があるのはこの男がいたからだな!」と思って感動したことがあったが、こんな聡明で爽快な顔をした、男振りの良い男だとは思わなかった。

世界に羽ばたいた女性 川上貞奴 - Google 検索
かなり昔、電力王と言われた福沢桃介がどんな男だったのか知りたくて、でんきの科学館や、南木曽にある福沢桃介記念館を見学したことがある。
その時、桃介と一緒に写真に写っている女性が気になった。(実にいい女だと思った)
外見の美と、内面の美が、表情に出ていて、大人の顔をした女性だと思った。
悪いが、桃介よりも強烈なオーラauraをだしていたので、その女性(川上貞奴)のことを調べた記憶がある。
今でも第一級の女性だと思っている。
文化のみち二葉館 名古屋市旧川上貞奴邸、 旧川上貞奴別荘

アスリートたちの美形
スポーツ選手の中にも、顔立ちが整っていて、心の純真さが出ているような、男前女前の選手が多いような気がする。
スポーツには熱中する真面目さ、並外れた心の強さみたいなものが根底に必要で、一流選手には特に要求される。
人は誰でも、
心や気など内面の状態が顔形として表れる。(顔は心の窓だ、と思っている)
そして正道潔白の実力で何かを成してきた自信のようなものが、大人の顔にさせるのだろう。

今更顔はどうしようもないので東郷平八郎のような髭にしよう。
髭だけでも近づきたい、尊敬する人物の一人である。
 

2013/07/14日 講演 第25回 愛知サマーセミナー2013 | 特別講座紹介 - 愛知サマーセミナー

映画ファンなら知らない人はいないだろう。翻訳家の戸田奈津子さん。
融通無碍な人。謂わば臨機応変が無理なく自然に身についている人だと感じた。
勿論それまでに培ってきた事が自信となって、そうさせている所もあるだろうが、寧ろ持って生まれた気質がそうさせていると思った。

世にでる
1.時代が必要とする運を持っていること
2.好きであること(得意分野)
3.流れの中を泳ぎこなせる技量があることが、必要条件だと以前から思っていた。
戸田さんが言われるように
・昭和30年代という時代が良かったと。(映画にしろ音楽にしろ遊びにしろ多くのものが開花した時期だったと思う)
・英語を読み書きできる基礎勉強はしていたが、それ以上に映画に精通し好きであったことが幸いしたと。
・例えて言われたことだが、泳ぎ方を本で学んで分かったからと言って、水に入って直ぐ泳げるものではない。
英語会話も同じようなもので水の中に入って学ぶものだと。(現場に浸るしかない)

スターとの交友錄
エピソードを聴きながら思ったことは

・映画俳優と言えども、実際の撮影現場では、監督がああしろ、こうしろと要求する演技を受け入れ、
言われたように役を演じなければならない。辛いものがある。(私にはできない)
だからなのかは分からないが、役者になり切ったり、監督になったりする、俳優もいる。
どんな世界もトップクラスは一握り。

・本当に一匹狼だと思う。
見かけは華やかだけど、次の出演依頼がある保障は全くないからね。
(一度しか映画に出演しなかった俳優はごまんといる)

・スターStarとアクターActor
いかに製作から興行まで上手くいくか綿密に計算し行動するトム・クルーズと、
要求される役者を演じきることだけに普請するジョニー・デップ。
(違いはあるが、二人とも若い頃から長いこと続いている)

・あるがままの自分で演技する俳優と、自分と俳優とが別人になる俳優がいる。ロバート・デ・ニーロ
(以前聞いたことがある、勝新太郎は座頭市のまま、市川雷蔵は眠狂四郎から一変し普段はサラリーマンのようだと)

・俳優(仕事)にかぎらず人の生き様は
人から必要とされること
人が歓んでくれること
人の助けとなること
で使命感や生甲斐がでてきて、それが活力になると思っている。
 

2013.06/22土 公開講座 「かぐや姫はどこから来たか」、「言語使用と規範意識 ―『全然』を中心に―」 中京大学

1部:かぐや姫はどこから来たか 九州大学准教授(中国文学) 静永 健 
資料をもらって、驚いた。
竹取物語の内容が白居易(白楽天)が書いた誌の中に多く見られると言う話。
物語の題材が中国に限らずインドや東南アジアにもあるとのこと。

資料を読みながら説明を聞いていて、本当に面白かった。

ハッキリしないことをハッキリさせることが、若い頃から凄く好きだったのでワクワクした。中高生の頃、破天荒だった

竹取物語を書いた人は中国から渡来した人なのか、中国から持ち込まれた漢詩を詠んだ日本人だったのか、知りたいが。
何れにしても、
漢詩が読めて、漢字が書けて、文房四宝が入手でき、物語にすることができる人だった。
作者は今も不明であるが、当時でも相当の知識人で高貴な文人で第一級の人物であったに違いない。

2部:全然という言葉の使い方についての考察 相模女子大学 梅林 博人
「全然」の後に否定を使うか、肯定を使うかについて、それを昭和20年前後の10年間位にわたって調べた結果の話。
よく使う身近な言葉だけに、面白かった。
私も若いころは否定を使っていたが、ある頃から肯定を使う人がいることに気がついたことがある。
肯定から否定、肯定へと、当時の流行語とともに変化している。

当時の若者が使っていた言葉が幾つかあって、思い出させてくれた。
全然好き!
全然ピンチ!
とんでもハップン!
ネバー好き!
キャンディーボーイ(甘くて包装ばかりこっている)! 

言葉は若者が変化をもたらす、と感じた。
言葉だけではなく、すべてに拘らず、へっちゃらに変化させてしまう。
大人は自分の主張や面子に拘り、大人ぶってしまい、自分の枠を作って変化しにくい、
言葉は頭の柔軟性に比例していると思う人は多いと思う。

実に実に楽しい午後だった。
学生の頃は試験や単位が頭から離れず、?
サラリーマンの頃は成果に忙殺され、?
事業では営利に奔走した。?
今この歳になって、知る悦びを満喫している。
 

2013.06/14金 公開講座 ストレス社会と心の健康 www.chukyo-u.ac.jp/event/2013.6.14.pdf

講座とすれば、目新しい内容の話はなかったが、
総論的というか、一般的な話にならざるをえないところも理解できる。
それは、ストレスそのものが、その人個人の問題で千差万別、多種多様であり、全てが異なった内容だからである。
そのようなことを、これで解決できます、と言い切るほうが寧ろおかしい。

私の体験から言わせてもらえば、

ストレスは生きていることの証でもあると思えば

生きるためには食べ物を食べていかなければならないように、生きるためにはストレスを食べていかなければならない。
だから生きている以上、ストレスを消化していかなければならないと思っています。

実際に体験したことだが、
あることで長期入院をしていて、多くの患者と親しくなったことがある。
が、三途に近づく頃になると、殆どの患者は天使のような顔になる、と感じた記憶がある。
謂わば、ストレスが亡くなり消化する必要がなくなった。

もう一つ
ストレスは時が解決することもある
私の場合、仕事で作った、仕事で持ったストレスは、仕事でストレスの解消をしなければ、解消できなかった。

好きなスキーをしていても、音楽を聴いていても、読書をしていても、ふと、そのストレスが頭を持ち上げ憂鬱にさせた。
謂わば、趣味などで一時的に忘れることはできても、解消されることはなかった。
仕事でなら仕事でストレスの原因そのものを解消させるか、その原因を作ったものをリベンジRevengeするしかなかった。
リベンジという言葉が適切かどうか分からないが、
逃げても、隠れても、避けても、閉じこもっても、解決はできない。
いずれにしても自分が正当で正道であるのであれば、
清々堂々と振る舞い、余り変なことを考えたりせず時の流れに任せていると、思い通りになったことが幾度もあった。

生き抜くための強さも

NHKがTV放送した小野田寛郎さんの「生き抜く」。生き抜く小野田寛郎 - Google 検索
敗戦後もルバング島のジャングルで30年間生きたドキュメンタリーだ。
私は登山でキャンプしたことがあるが、テントの中で寝袋に入って寝ても、地面の上で寝ることは辛い。
限られた日数であることや登頂したいという気持ちがあるから耐えられた。が、雨や強風、低温にでもなれば寝ていられる状態ではない。

30年もの間ジャングルの中で寝ていたことを想像するだけでも、「生き抜く」ための強い意思なくしてできるものではない。
詳しくは小野田寛郎さんの著書を読んでもらいたい。Amazon.co.jp: 小野田 寛郎:作品一覧、著者略歴


好きなことを見つけ好きなことをして
漫画家「ゲゲゲに鬼太郎」の水木しげるさん。水木しげる - Google 検索
戦争で左腕を失ったが好きな漫画を描いて現在91才。

好きな言葉 偉人たちの名言集8
806:人間万事、世の中のすべては、天の摂理できまるのが90%、あとの10%だけが人間の成し得る限界だ。松下幸之助
803:バカな奴は単純なことを複雑に考える。普通のやつは複雑なことを複雑に考える。賢い奴は複雑なことを単純に考える。稲盛和夫 稲盛和夫 - Google 検索
 


2013.06/10月 美術 第35回 日本新工芸展(2013年6月5日(水)→6月11日(火))松坂屋美術館|松坂屋名古屋店

工芸?
実用品の中の美というよりも、観賞用の芸術品というような作品が多かった。
それは私たちの実生活自体が合理化されたことで、
工芸品が生活の中の一部ではなくなってきて、むしろ見て楽しむもの、というような傾向に変化しているのかもしれない。
そんなことを思いながら、
今日のいただきものを決めようと、行ったり来たりして、決めかねていた。
どれにするか?

「季のうつろい」 丹下雄介の染色に。
桜の花が6,7枚外輪で咲いているような種類の紫陽花が一輪、
書棚ぐらいあるキャンパスの右下に、大きく描かれている染物。
ちょうど今の季節によく見かける花が、大きな空間の中に自然な形で収まっていて無理がなかった。


寄り道

6階の美術画廊にHisaji Hara Artist 原久路の写真展があったので寄り道。
ちょっとエロのような写真なので、鼻の下を長くして凝視していると、係の24、5歳ぐらいの可愛い女性が話し掛けてきた。
女性「いかがですか?」
僕「こんなエロぽい写真を買っても、何処に置くか、場所に困るよね」
女性「うふふ・・・」(^_^)しながら、笑い
僕「40万円もするけど、寝室かな?」
女性「そうですねー。うふふ(笑い・・・)」
僕「これを買って帰ると奥方が、私じゃ物足りないの、と言うよ」
女性「そうですか?・・・」笑い
僕「あなた、結婚しているの?」
女性「いえ、まだです」(^_^)・・・
僕「セーラー服姿で椅子にもたれながら股を広げて妖艶なポーズをされると、官能をくすぐるよね」
女性「・・・」(^_^)にこにこ
僕「買うとしたら、やはり僕のような年頃の男性だと思うよ」
女性「そうでしょうね」・・・
>>>などなどと、ワイぽい話が10分ぐらい続く・・・。
僕「今日、一番楽しい時間だったよ」
女性「私もです、ありがとうございました」艶っぽい笑い・・・
(紳士振った爺さんが、どんな事を考えているか、分かったような顔をしていた)

写真をネタに、可愛くて若い女性と色っぽい話ができ、至福の口芸展になった。
帰り道、
頭の方は世阿弥の「秘すれば花なり」だったが、気分の方は若返えり、顔の方は好色爺になっていたかもしれない。
寄り道はするものだ。

 

2013.06/01土 公開講座 数学の世界をのぞいてみる 〜現代社会と数学〜 国立大学法人名古屋工業大学

今日のテーマは
1.暗号の歴史
古代エジプト時代の文字の解読の話から、戦時中に使われた「ニイタカヤマノボレ1208」、「トラトラトラ」など、インターネットの取引に使われているRSA暗号など、歴史の中で使われてきた暗号を事例を上げて教えてもらった。

・知られたくない人に知られないように情報を伝える手段は多種多様であるが、人がやることは、いつまでも隠し通せるものではなく必ず知られるものだ、と思った。

ロゼッタストーンに書かれていたヒエログリフをシャンポリオンが解読したことなどは、まさに歴史に残る暗号の解読のようなもので、古代の歴史を知ることに一番役立った例だろう、と思った。

2.リーマン予想と素数分布
RSA暗号が使われる意味が説明されだすと一気に数式の世界に入り、更に世紀の難題への解説へ進みだすと今まで見たこともないような公式が現れ奥深い数学の素数の世界へと誘われるが、もうダメ。Give me up!

数学という教科があってよかった
中学2年生の頃から算数が好きになった。  中高生の頃、破天荒だった
それが数学や幾何学に連動し、物理や化学なども好きになっていった記憶がある。
極端かもしれないが、もし、この算数という教科がなかったら学校が嫌いになっていたかもしれない。
そうなると、工学部電気工学科へはなかっただろうし、
コンピュータの世界へもなかっただろうし、
このホームページを作成するようなこともなかっただろう。
 

2013.05/27月 美術 第48回 日春展(日展 日本画部春季展)松坂屋美術館|松坂屋名古屋店

第一印象

先ず入口に入るなり、4/17の春の院展とは違って、個性のある絵があるなあ、と感じたことだ。

いつものように、出口まで一通り、全ての絵を見て、
もし、「どれでもいいから好きな絵を1枚持っていきな」と言われたとして、もう一度、入口まで戻って、どれにするか行ったり来たりしながら観賞選別。

決まった、貰うならこれ
入口の最初にあった。木村友彦さんの「11:11(きおく)」が、どうしてと言われても分からないが惹きつけられた。時計が11時11分を指し、その奥に地球儀があって太平洋に大きな帆船がいる絵。私の好きな時間と空間、世界観などを感じさせる絵だったので、係の人に質問をしたが不明、更に初老の男性が現れて史料を調べてくれたが解らないので、画家に電話して確認しますと言うので、そこまではと思いお断りした。

面白い発想ー 白井久義さんの「コック」 何か湯でていて、湯気の中に立っているコックさん
孫の誕生を見たりしているからかー 岸春美さんの「生」 妊娠して腹が大きい若い娘さん

絵画の観賞をしていると
自分が体験したことを思い出させてくれたり、想像の世界へ誘ってくれるところがあって、気持ちが若返ってきたり、微笑ましくなるようなところがある。
よく孫は可愛いというが、それは幼い子供が持つ無垢で純粋な仕草や素直さを感じるからだろう。
絵画にもそのようなものが感じ取れた時は可愛いくなる。
 

2013.05/25土 公開講座 数学の世界をのぞいてみる 〜現代社会と数学〜|国立大学法人名古屋工業大学

コメント

募集人数
100名、下記のコメント付けて申し込みをしました。
「若いころ、コンピュータのエンジニアとして働いていたことがあって、数字の中に浸っていたことがあります。
勿論ですが、その数字はコンピュータを稼働させるために人間が作った数字言葉(Code)でした。
数字コードから言語へと変遷はしますが、メモリー上は全て数字でしたので、Memory Dumpから分析をする時には数字のロジカルLogicalな意味を解析しなければならず、頭の中は何時も数字が飛び交っていました。
もうすっかり老人ですが、最近のニュースや書籍で数字の世界の不思議さなどを紹介していて、再び興味が湧いて来ました。
数字は世界共通の記号だけに人類と大いに関わってきたことを感じ、専門の先生から興味あるお話を聞けたらと思い申し込みをしました」

今日のテーマ
1.数学者ってどんな人たち?
>古代のから現在に至る数学者たち、映画になった数学者などが紹介されたので、割りと気楽に話が聞けました。何れも、数字がもつ不思議な成立ち、仕組み、構造に魅了され、その証明や真理の追求に取組んだ人たちの話でした。

2.
材料科学新展開への数学の挑戦 
東北大学原子分子材料科学高等研究機構 (AIMR)
>幾何は形の研究でギリシャで。代数は数の概念でアラビヤ、インドで。解析は運動の記述でヨーロッパで展開されてきた。
現在はそれら数学の総合力で自然界に満ち溢れている対象的な形を微分幾何学で調和写像にして、数学の視点で異なる材料の背景にある構造を見出そうと試みている話。

私感

数字、数学の美は、芸術の世界に似ていて本当に美しいところがあります。
簡潔で無駄がなく、なんて素晴らしい形容だと感じたことが何度もあります。
ある種の専門的な世界に携わった人しか解らないので、全ての人に理解してもらう訳にはいきませんが
今でも、若い頃そのような仕事をさせてもらって、本当によかったと思っています。
そのお陰でか
宇宙や自然がもつ極美に感動したり、スポーツでの動的な美や、いろんな場面での人の作法や、言葉などにも美意識を感じることがあります。
自然界や我々の全てに、数は美と密接に関係し、
静的であれ動的であれ、美を感んじるものには数的に表現できる強さと安定が伴っているような気がします。
 

2013.04/17水 美術 第68回 春の院展 松坂屋美術館|松坂屋名古屋店 


どれを観ても素晴らしい。
何処へ出しても恥ずかしくない。
みんな素晴らしいが、自分のものにしたいと、欲望をそそる作品がない。
そのような印象を感じた。
そして、
展示されている作品に共通して感じたことだが、
何かメルヘンぽく、幻想的で、霧の中に霞んでいるような描き方が多いこと。
そんなことを感じながら観ていると、
もし自分が審査員だったら、どれを最優秀(春院展賞)にするか、
本当に困ってしまう、と思いながら鑑賞していた。

いつもの余談だが
あの人が欲しい、あの人にあやかりたい、あのようになりたい、あれを自分のものにしたい、などと、
欲望をそそるものが、勝者となって残ってきた。
人であれ、物であれ、商売であれ、何であれ、人は己の欲する所に従うものだ。
欲望をそそる作品がなかった。

凡人は、秀才なのか天才なのかも分からないが、秀才は天才に嫉妬する
多分、審査に困る理由は、私が日本画に対する審美眼を持っていないからだろう。
それと、この世界に自分自身を置いていないからだろうと思う。(画家ではないから分からない)
例えれば、
宮廷作曲家サリエリは秀才な人物だからこそ、モーツアルトの天才ぶりを見抜き、嫉妬した。
が、ヨーゼフ2世のような凡人は、彼らが秀才なのか、天才なのかも分からなかった。
 


2013.04/07日 初対面 

次男夫婦の第一子が3/24に誕生したので、対面に西宮へ。
連れて来る!」と言ってから、
結婚式」から、
そして、孫の誕生へ、
爺さんに、いい想い出をつくってくれた。

もう少し長生きをさせてもらって、孫たちの成長を見たいと思うようになったが・・・果たして。
<11か月後の写真

2013.03/29金 B1で花見


気持ちが若返るという効用

20歳代の頃と同じように、
屈託なく、遠慮会釈なく、何でも話ができる古くからの親友たちが居ると、
気持ちが若返ることに気付いた。

老いを感じたら、季節外れでもいいから、B1で花見だな。

「父は子の器量を知る」と言う言葉が古くからある。
親友の一人Sが「子供の器に任せる」と言った言葉が、
とても見識があって印象的だったので、ここに書き残しておきたい。

我々皆、子供を持つ親となった。
子供の幸せを願うのは、親であれば誰しも同じだが、
子供かわいさに、親の力でもって子供の器量を超えた所に務めさせる様なケースがある。
それは子供にとって決して幸せなことではない。

立てば歩めの親心はあっても、
子供は自らの力で立ち、歩むことで大人になっていく、
子供の歩む道を信じ見守ることができる親こそ、真の親で、
それは人としての哲理でもあり、プリンシプルでもある。

人の考え方は、その人の見識を表し、人格をも表わす。

 


2013.03/22金 しだれ梅 名古屋市:平成25年(2013年) しだれ梅まつり(暮らしの情報)


しだれ梅

名古屋名物数々あれど・・・。
満開の時期は駐車場まで2時間半待ちの大渋滞で延々と待つ、と言う情報があった。
人が行った観た良かったということには敏感なだけに。

一見する価値はあると思って、時期をずらしバスで梅見に趣く。

それにしても、土地全体が狭い。
国土が小さいせいがあるのかもしれないが、何しろ小ぢんまりとした梅圃といった感じ。
殆んどの梅は満開の時期を終えて見すぼらしい姿を晒していた、遅咲きの梅が数本時期を逸しながらも華やかに枝垂れている。辺りは閑散とし人影も疎らである。
なんでもそうだが、時期を逸してしまうと、見向きもされなくなると言うが、まさに、こんなものかと思う情景だった。

いつものように想い出す本があった。
縮み志向の日本人 - Google 検索

やはり、ある年頃の時に、諸外国を観ておくことも必要だなとも思いながら帰途に。

 


2013.03/16土 音楽 ノースエコ 愛知芸術文化センター   north-echo


2,30歳代の若者100人ぐらいのコーラス、演奏、ダンス。
一番印象に残ったのはカントリー・ロード。
青春時代、ジョン・デンヴァーがギターを弾きながら「Country roads. Take me home.」と歌っていた。
曲が凄く良く、故郷のことを想う気持ちが詰まった歌詞だと思いながら当時よく聴いていた。
country roads take me home john denver - Google 検索

いつもの余談
藤沢周平が書いた「ふるさとへ廻る六部は」という本を想い出した。
彼が綴ったエッセイ、是非読んで貰いたい一冊です。
それと、もう一つ「Home away from home」北アイルランドの音楽家Phil Coulterの音楽です。
Phil Coulter - Home Away From Home - Google 検索
人の心というものはアメリカ人も日本人もアイルランド人も、そんなに変わるものではない。

最近、若いころに感じたことを回想することが多くなった。
爺さんらしくなってきているのだろう。
そのように思うと同時に
若い頃に、いろいろと感じておくものだな(体験しておくものだ)とも思った。
きっと、この若者たちも3,40年経ったころには、この合唱団のことが、いい思い出になるに違いない。

 


2013.03/09土 音楽 名古屋大学博物館- 愛と自然のバロック音楽 〜イギリス、フランスの香り〜


最前列で、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世になったような気分で聴かせてもらった。
(映画アマデウスを観られた方はお分かりでしょう)


まさに生、マイク無し。
室内楽の典型とも言うべき、チェンバロ(ハープシコード)とソプラノ歌手によるシンプルな古典の音楽スタイルです。

何しろ出だしの曲がグリーン・スリーブスGreen Sleeves。
ブラザース・フォア(Lady Greensleeves)などがギターを弾きながら歌っていて、青春時代からよく聴き慣れたポピュラーな曲なので、いきなり脳幹が痺れました。
The Brothers Four - Greensleeves - YouTube

ソプラノの歌手の方はか細くか弱そうですが、その体からは想像もできない声量と澄んだ声で、
Greensleeves was all my joy・・・が、弦を弾くチェンバロの澄んだ音とマッチし、
目の前から直接、耳に入ってくる肉声生音の心地よさは格別でした。
 

2013.03/08金 講演会 グローバル リスクの諸相と日本経済 浜 矩子 - 同志社大学大学院ビジネス研究科  名古屋学院大学

いきなり私見から
世の中、政治家もジャーナリストも企業もそうだが、簡単で単純な言葉だとか標語、語録を作って(最近の傾向はカタカナが多い)、その単語が全てを表しているがごとく色んな場面で飛び交う傾向にある。

確かに単純で解りやすいことはいいのだが、複雑怪奇に、うごめく国家や経済、金融など、謂わば奇々怪々に変化する化け物のような、とらえどころのない社会構造(世界情勢)の中では、掛け声みたいなもので具体性に欠ける。
ただ逆に、単純な一語で表現したほうが、愚衆を纏めたり、上手く誤魔化には、一番手っ取り早い方法でもある。(例えばアベノミクスのような)

迷いをなくすには単純化させること
ご多分に漏れず、浜矩子教授も著名で頭脳明晰な大学教授だけに、語録が多い。
頭がいい人は単純化させることに長けている。
確かに彼女が言うように”アベノミクスは浦島太郎の経済学”である。
40年前にやって上手く行ったからもう一度同じ事をやりましょう。謂わば、柳の下にドジョウ。

さらなる私見
デフレを脱却し物価上昇2%にすれば、税金が増えるので、消費税を+5%にしたくらい国税が増す。
そして、数年後、消費税率を10%にすれば、国は更に潤う。
だから一時的に借金をしてでもインフレ成長させようという理論。
国民の豊かさなどというものは、そっちのけ。
現在は世界的に彷徨える羊状態で、而もグローバル経済の中でのエコノミクス戦争では命がかかっていないだけにリーダーらしいき人物が出てきても、そう世の中、変わるものではない。
経済学者も論評に苦慮する時世でもある。

一番印象に残っている言葉は「まさかは、必ず起きる」と言われたことぐらいである。
 

2013.02/21木 美術 加賀赤絵展 魅惑の赤、きらめく金彩


2012.07/22日本美術の至宝でも書いたことだが、
漢字言語、宗教思想、芸能、芸術、風俗習慣、生活様式など・・・。

何もかも我々の源流は西の地域にある。師匠は主に中国。
まさに加賀赤絵も、景徳鎮窯や漳州窯の模倣から始まった。

その当時、中国や韓国から多くの移民が日本海側の地域に漂着し、その中に陶工たちもいて発展させたのだろう。
九谷焼に限らず有田焼、萩焼、清水焼、益子焼なども、土や釉薬との出会の中で、その土地々々に定着し、それが必需品になり重宝されるようになったのだろう。
⇐写真は当家所蔵の九谷の湯冷

昔、司馬遼太郎先生の「故郷忘じがたく候」を読んだことを想い出した。

赤絵に限らず、加賀はパリのように芸術を大事にするところがある。
地理的なこともあるのだろうが、そこで生きる人々の気持ちの中に同感したり共感したり受入れたりする心の余裕のようなものがなくては、審美眼を育むことはできない。
きっと、上質な品格や作法などを重んじる人たちが多くいたからに違いない。

「同感」の心は芸術であり、「相違」の心は戦争である。
 


2013.02/16土 音楽  悠久のインドクラシック音楽サントゥール&タブラ 名古屋大学博物館

 

クラッシックにしろ、ポップスにしろ、欧米の白人が確立してきたメジャーな音楽と対峙するように、マイナーな音楽とはどんなものなのかと興味があるものの、マイノリティーなだけに、その機会は少ない。

芸術家の本質を感じた
ハリウッドのような興行で娯楽と営利を共存させたようなものとは程遠い、対局したようなペルシャ風の音楽であるが、細々と懸命に、而も健気に続けている彼らに、本当に感銘を受けた。芸術家の志とはこんなものかもしれないと思った。
rabit records member

 

 

 

いつもの好奇心で
「いつ頃からあるのか?」質問したところ
サントゥールは紀元前1000年に起源を持ち、西欧でピアノへと発展したと、

更に質問、「その頃だと、今の金属の様な弦ではないはず、何でできていたのか?」
動物の腸を使っていたと、だから音質も、もっと響かない低い音だったと。
(ギターの弦をガットと言う。gutは豚や羊の腸で作った糸のこと)

音階のことも質問したが、当時の音階を幾つか聞かせてくれたが、難しくなって理解できる範疇ではなかった。

タブラ奏者の女性に
「決してメジャーではないが、このような音楽の原点みたいな楽器とリズムを日本で聞くことでき良かったです。今後も続けられることを希望します」と言うと、嬉しそうな顔になった。


本当に一途で真面目そうな二人であった。
 


2013.02/14木 キーボードなしマウスなしにした男


スティーブ・ジョブズの発想  2012年賀
iPodが発売された時、その発想の素晴らしさに驚嘆し、すぐ購入した。

iPodというHardwareの構成の巧さ、謂わば、カメラからフィルムを不要にした発想に似ていて、カセットテープやCDを不要にした。
これはジョン・フォン・ノイマンが考えた、ノイマン型コンピュータアーキテクチャの発想と同じだ。
(所謂、プログラム内蔵方式で情報を処理をする)


iTunesというSoftwareを利用しなければiPodが使えないようにした戦略はしたたかだ。
MacintoshというPCとOSを起業しただけに、SoftとHardの両輪が商業的基軸となって企業の吸引力になることを知り尽くしていた。
(単なるStandaloneスタンドアロンのWorkmanでは、真似され駄目だ)


InternetがADSLなどで常時接続になり、時間による課金の怖さを忘れさせる時代が来た。
Networkを通じてiTunesからでしか音楽をDownloadingできるようにしたことは、排他的行為であるが流石と言うしかない。
全体を通じて、このことが音楽業界に革命を起こしたと言っても過言ではないだろう。

いずれにしても既に存在するものを組み合わせながら、全く新しいものを想像するには、頭の柔軟性もさることながら、それを商品化し、世に出すには、ローマ帝国を作るようなものだったに違いないと思った。
(場合によってはユリウス・カエサルになってしまう可能性もあった)

PCからキーボード、マウスをなくした
西欧ではタイプライターの歴史は長く、キーボードは不可欠だ。
更に、PCを持ち運ぶ際には、カメラにフィルムが必要なように、マウスも不可欠だった。
が、この2つの厄介者を取り去った。
彼の発想は天才と言うしかない。
何故なら彼は既存のものに安住することなく、常に新たな利便性を追求することに生涯を通してなした。
Stay Hungry. Stay Foolish.が、常に彼の根幹のところにあった。
 

技術革新の流れも必要不可欠だが、発想力と推進力で、世界の情報産業を一変させた男は、彼以外には居ない。

拙宅には4台のWindowsPCがあり、私たちもiPadminiとiPhone5をそれぞれが持って使っている。
3人の子供達の世帯もSoftBankを使っている。

いい時代を生きて、その恩恵を楽しませて貰っている。
Thanks!! Jobs.
 


2013.02/07木 美術 ドラマチック大陸:名古屋ボストン美術館

建国から100年が過ぎる頃、多くの移民の中にも画家を志す人たちがいて、その頃のアメリカの風景を描いたのだろう。
確かにイギリスやヨーロッパから移民してきた人達にとっては、まさに新世界に来たという心境で、目の前に広がるアメリカは、広大な自然と共に開放感を感じさせ、今からこの地で生きていこうという意欲を起こさせたに違いない。
(それにしても、展示数が少なすぎ暴利!
 アメリカのMuseum of Fine Arts, Bostonは所蔵品50万点、10日間有効で大人$25)

ビアスタットのヨセミテ渓谷

余談
ジョン・ミューアJohn Muir
10数年前、「森の聖者」加藤則芳著を読んで感動したことを想い出した。
アメリカの自然保護の父と言われるジョン・ミューアのことが書かれている。
スコットランドからアメリカに移民してきた彼は、祖国では見ることのできないシェラネバダ山脈の大自然に魅せられた。
当時のアメリカは近代化に伴って自然破壊が進み、シェラネバダ山脈のジャイアント・セコイアなどの伐採が進み、ヨセミテなどの自然環境も破壊されだした。
ジョン・ミューアはこれらに危惧を感じ、シェラネバダの自然を保護すべく生涯に渡って奔走した。
そして自然を保護には国立公園にするしかないと感じ、その制定に携わった人です。
更に、環境保護の意識を人々に広めるためにシェラクラブsierra clubを設立した。
アメリカは「自然保護の父」として彼の功績を讃え、ヨセミテの長距離自然歩道をジョン・ミューア・トレイルJohn Muir trailとして命名した。

アメリカは国に貢献した人の名前を付けて称えるところがいいね。
 

2013.01/19土 新年会:ごちそう家 満天

今日はN氏の誘いにのって満天にきた。
当然のことだが、同じような世代が集まって飲み食いをしていると、同時代を60年ぐらい共に過ごしているだけに、生きてきた環境の違いはあったとしても共通性や共感の持てることが多く、話題に事欠かくことはない。
更に、お酒が五臓六腑に染み渡るころになると、日頃の思いなどを熱っぽく語りたくなって、口数が多くなってくるのも常である。

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
・次世代を担う若者たちが自立し、家庭を持ち、社会の一員として元気に働いている姿を見る機会が多くなった。
まあ、人の世の必然的な世代交代だ。
勿論のことだが自分自身が、そのような視点で世間を眺める年頃(老人)になったからだろう。

・それと外国人が増えた。
自分がサラリー族として、この界隈をうろついていた頃は殆どいなかった。確実に、国際化が少しずつ進んでいるのだろう。今から60年後は、どういう時代になっているのか見てみたいものだが、こればかりは・・・。

人の世は同じではないが、
栄の夜空には、いつもの様に満天の星がきらめいていた。
 

2013.01/10木 美術 生誕110周年記念 ウォルト・ディズニー展 松坂屋美術館|松坂屋名古屋店

2時間30分美術館の中にいた。
ひとつのテーマ展に、こんなにも長く時間を掛けたことは未だかってない。
理由は幾つかある。
当時の試作スケッチや写真などがあって、その横に横書きの大きめの文字で分り易く解説されたパネルが用意されていた。側には、当時のドキュメンタリー映像が数分程度に纏められ繰り返し流れていて、日本語の字幕で説明や会話が分かるように作られていた。
ディズニーのキャラクターがどうして生まれたのかなど、興味をそそるように構成されていて、それらがどの様な形でサクセスストーリーを辿ったのかも綴られているから、どうしても知りたくなる。
更に、彼の名言を用いながら、どの様な思いでアニメに情熱を注いできたのか、映画会社として成功していったのかも。
(アメリカらしいプレゼンテーション手法で実に上手い!)

私が子供の頃、
ディズニーのTV番組が始まると、この人が出てきては、何か解説していたような記憶がある。どんな番組だったかの記憶はないが、ウオルト・ディズニーの方が印象的で、今もはっきりと覚えている。このような番組は他になかった 。

1992年にLosAngelesのDisneylandに行った。
Disneyland Resort | Welcome to the Magic
アナハイムの駐車場から中へ入ると別世界で、ロスアンゼルスの都市が一切見えないようになっていて、日常的な世界から遮断されていた。
謂わば、「おとぎの国へようこそ!」と言う感じだ。
すべてのテーマパークは、来てくれた人を如何に楽しませるかに主眼が於けれていて、それも生半可ではなく、全てが斬新だった。
我々がTVや映画で観てきた懐かしいアニメのキャラクターが具現化されていて、その世界が目の前に広がり、童話の中へいざなうように仕組まれていた。
夜は、
ミシシッピーに見立てた川に本物の蒸気船マーク・トウェイン号(Mark Twain)が表れ、ミッキーやアニメの姿をしたした役者たちがTVや映画で見慣れたダンスなどを披露しながら観客に向かって手を振っていた。
まさに、アニメ達が目の前に現れ、様々なアニメの場面を再現していて、子供達は熱狂していた。(私もだが感動した)

水路の中に扇状の大噴水が表れ、それに白雪姫のアニメが写しだされる、水の飛沫や流れで、あたかも水の中でアニメたちがはしゃいでいる様な光景だった。

夕闇の中で、音楽と映像と色彩、アニメ達の踊り、花火で、いつの間にかファンタジーの世界の中に居るような気持ちになっていった。

大の大人がと言われるかもしれないが、本当に感激した。
子供が持つ無邪気さ、純真さの様なものが蘇ってきてワクワクした記憶が今もある。

周りのアメリカ人だけでなく世界中から観に来た多種多様な人々の顔に微笑みが満ちあふれ幸せそうな気分になっている様子が見て取れた。

館内のパネルに書かれてあった、気に入った言葉を書き留めてきた
・It all begins with dreams.
・何かちょっと普通じゃあないことをしなくちゃ

・その時は気がつかないが、失望することが最高の結果を生み出すこともある
・我々は決して忘れてはならない、すべての始まりが一匹のネズミだったと
・子供の心を常に忘れなかった

・大人と子供の違いは経験の差だ

・私は何よりもディズニーランドが幸せな場所であってほしい
・人生の素晴らしさや冒険を大人と子供が一緒に経験することでより幸せを感じる場所であってほしい
・男は仕事のために家族を犠牲にしてはならない


いつもの余談が閃いた:寄らば大樹の陰
昔から「寄らば大樹の陰」と言う言葉が日本にはある。
私のような田舎育ちで、自然の野山を知っている人には直ぐ分かると思うが、
大樹の陰では、草一本たりとも育たない。

 

2013.01/02水 会食    馬上少年過ぐ
子供や孫達の成長を見ていると若さと言うエネルギーを感じ
それを少し貰ったような気分になることがある。
そんなことを思っていたら
思い出した本があった。


馬上少年過ぐ
40年位前から書棚に納まっている本である。
司馬遼太郎先生の短編で、
伊達政宗が晩年につくった詩の第一句が表題になっている。

馬上少年過 (馬上少年過ぐ)
世平白髪多 (世平らかにして白髪多し)
残躯天所赦 (残躯天の赦す所)
不楽是如何 (楽しまずして是を如何せん)

きっと私や家族をずっと見てきたに違いない。
子供たちは成長し同じような人生を歩んでいる。
近年、私もやっとこの詩のような心境になってきた。


「楽しまないでどうするの」と政宗も言っている。

政宗の心構え
乱世の戦国を生き抜き、徳川の時代まで伊達家を継いだ、政宗の心構えが分かるような遺訓がある。

仁に過ぐれば弱くなる。      (持ちつ持たれつの慣れ合いは競争力を失い弱体化する)
義に過ぐれば固くなる。      (守ってばかりしていると潰しや柔軟性がなくなり枠に嵌まる)
礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。(頭さえ下げておけばいいと思うようになると諂うようになる)
智に過ぐれば嘘を吐く。      (賢ぶっていると知らないと言えず嘘で繕うようになる)
信に過ぐれば損をする。      (信じてばかりで疑わないと騙されてしまう)

・気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。
・倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし

・朝夕の食事はうまからずとも、褒めて食ふべし。
・元来、客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ
・今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。

勝手な意訳
・何事も自分をわきまえないと、過ぎたるは及ばざるが如し、になる。(吾唯足知
・この世の中に、招待されたのだと思って、つつしむくらいがよい。

私の勝手な政宗の人物評価
有事の戦に於いて何よりも必要な才知、武勇にすぐれ、
冷静に考察できる明晰な頭脳を持っていただろう。
が、詩を詠むぐらいだから、単なる戦(仕事)だけの武将ではない!
時代の流れや、移り変わりを感じ取る視野の広さ。
臨機応変に自分を変化させる事ができる柔軟性。
人や書物から学び、自分のものにする自己啓発の逞しさも持っていたに違いない。
(片目で読書をしてみると分かるが辛い、きっと聴聞聴取にも長けていただろう)
それに精神的な、
常人ではできないことを成し遂げる英雄的な気魄(きはく)や、
運命を引き受ける心の強い人格をも備えていただろう。
だが、
命を賭けて戦国の覇者になった秀吉や家康が持つ、人間としてのスケールの大きさに圧倒されたことだろう。
だから、
自分の器を知り、全体の状況や先を見通す見識などもあり、(無ければ殺されるか切腹)
わきまえを熟知した「人物一等級」の男だったに違いない。

ー呻吟語の人物評価ー
人物一等級:深沈厚重(しんちんこうじゅう) 物事を深く考え沈着冷静で人間として重みがある
人物ニ等級:磊落豪遊(らいらくごうゆう)  気持ちを大きく持ち、細事にこだわらない
人物三等級:聡明才弁(そうめいさいべん)  頭がよくて才能があり、弁舌が立つ

 

2013.01/01火 初詣:自己表現  写真:上は川原神社、下は八事の杜 興正寺


格好man

どうして髭を伸ばしているの?
何故そんな格好(服装)をしているの?
その様な質問を受けることがある。
普通のお年寄りらしい格好じゃあない。確かに、その通り。


人と同じ事はしたくないんです
而も、目立ちたがり屋なんです。
更に、カッコ付けたがり屋なんです。
私にとって自己表現の一つなんです。
これが実に楽しいんです。

その理由の1つは
結局のところ、人は自分自身しかコントロールできないから。
具体的に言えば、一番身近な女房だって、子供だって、ましてや他人、更には忠犬と言われる犬でさえも、思い通りにならないんです。
謂わば、
思い通りにできるのは、自分自身しかいないんです。
自分がしたいようにすることには、
鍛えることも、磨くことも、啓発することも、研鑽することも含まれていますが、
私は、それら全てが自己の表現だと思っています。
それらをすることに喜びを感じだすと、楽しくてしょうがなくなりますね。

2つ目は
私自身が、能動的に生きてきたから。
人から言われてやるのではなく、自分が考えて行動してきた。
人の言っていることが必ずしも正しいとは思わなかったし、
発想が誰よりもあったし、自分を信じてもいた。

勿論、受身に受信することも必要ですよ。
読書をしたり、映画を観たり、芸術を鑑賞したり、演劇を観たり、スポーツを観戦したり、講演を聴講したり・・・。
観る目を養い、センスを磨いてます。
確かに、いろいろ観たり聴いたりしていると、分かることが沢山あるし、程度や違いも分かってくる。
でも、その世界は自分自身が考え想像し創作した世界ではない。
あくまで傍観者や批評家に過ぎない。(車の助手席に乗っているようなもの)
反対に、
全く違う見せる世界で生きている人がいる。
芸術家、演奏家、作家、スポーツ選手、仕事人、俳優、・・・
アレンジでも、装飾品の制作でも、自営でも・・・
プレイヤーとして生きている。

能動と受動、発信と受信、この立場の違いは全く違う。

例えば、美術館に行って、単に美術鑑賞しているのと、そのことをHPに記載しようと思って鑑賞するのとでは全く違います。
どの様にHPに載せようか? と思って鑑賞する。 
謂わば、リポーターReporterになって鑑賞する。
(議事録を書き残さなければならない会議みたいな)

観客や鑑賞、観戦だけでなく、
どんなことでもいいから、自分の思い通りに頭で考え、発想し、自己を表現すること

何かを自分自身でしていると、少しでも良い方向へと創意工夫をするようにもなる!

A Happy New Year 2013.